Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ラダック再訪 18 サフダルジャン周辺

2015-10-31 23:53:28 | インド
8月25日

アマリア・ヴィラの宿泊は朝食付き。
 ダイニングに行ってみると後から一人来ただけでとても静か。
ここは注文式だが黒板にあるものはもちろん、それ以外でも頼めば大抵のものは作ってもらえそう。
 
おしゃれなフルーツサラダにフランス式のクレープで、とてもインドらしからぬ朝食を満喫。

食後はスーパーに行きたいと思いホテルの人に聞いてみると、近所にローカルマーケットがあると言うのでそちら方面へ散歩に。
 
ホテルの前は大通りだけれど、脇道に入ると静かでお高そうな家が並ぶ高級住宅街。

そんな路上にたくさんいるのは野菜や果物を満載したカート。
  
 
こういう商売、日本ではすっかり見なくなってしまったが、アジアではまだまだ健在だ。

 
さらに行くと朝食屋台が出ていて興味津々だが、お腹いっぱいだし、さすがにこういうところで食べている女性は見当たらない。

この先には確かに小さな店がたくさん集まったサフダルジャン・マーケットがあったが、朝の10時前ではどこも店開きしていない。
かろうじて一軒だけ営業していたのはなかなかきれいで立派なベンガル菓子の店。
  
  
冷蔵ケースには銀箔を使ったきれいなお菓子がずらりと並び
 
その上にも揚げ菓子やスナック類が積み上げられていてどれもおいしそう。
 迷いつつ日持ちのしそうなスナックとクッキーを買って帰ったが、特に何かのハーブの入ったクッキーは甘くなくておいし~。これなら他にももっと買ってくれば良かった。

散歩で一汗かいたところでホテルに戻り、今度はやはりインド在住のブロガー、青蓮さんと初対面。
実はこのホテルも青蓮さんのブログで知って予約、お会いしたいと連絡したところ快く来てくださったのだ。

それではお昼へ、とオートで連れて行ってくださった先はなんと、さっき行ったばかりのベンガル菓子屋さんのすぐ隣。
 
この「ラージェンドラ・ダ・ダーバー」と言う店、元々はテイクアウト専門で夜など地元民に大人気なのだそう。
後からできたと言うレストランも大きくはなく、きれいだけれどどことなくオヤジっぽいここに我々が一番乗り。
注文はもちろん青蓮さんにお任せすると
 まず出てきたチキンのマラーイー・ティッカが香ばしくてむちゃくちゃうまーい!
 マトンのカレーはトマト風味、パニールはほうれん草で、奥のパンはミント・パラタ。やっぱりデリーで一泊した甲斐があった。

  食事の後は並びにあるコーヒーデイでアイスコーヒーを飲みながらさらにおしゃべり。初対面なのにすっかり打ち解けてしまって、青蓮さん、おいしい時間をありがとうございました。

最後は快く3時のレイトチェックアウトを承諾してくれたホテルでシャワーを浴びて、手配してもらった車で空港へ。
 
デリー空港、本当にきれいになったものだと感心しつつ、JL指定のラウンジは今はITCラウンジ。
 
以前のラウンジの方が見栄えは良かった気がするが、今度の方が広くて落ち着く。
  
用意されたホットミールはまたもやカレーなのでパイなどつまんでいると、なんとボーイさんがうどんを持って回っている(これはお腹がいっぱいで食べられなかった)。
さらに置いてあったポテチが辛いマサラ味ばかりだったので普通のはないのかと聞くと
 忘れた頃に「こちらをお召し上がりください」とわざわざ座っているところに持って来てくれた。
ITCラウンジのサービスはいい。

と感心したところで飛行機に乗って成田へ。

ラダックもデリーも、インドはやっぱり楽しい。


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ラダック再訪 17 ハウズカース・ヴィレッジ

2015-10-29 01:16:03 | インド
8月24日 続き

マッサージで体をほぐしてもらい、シャワーを浴びてさっぱりしたら、夕方涼しくなったところで
 オートに乗っておでかけ。

着いた先は今やデリーの原宿とも言われるハウズカース・ヴィレッジ。
 なるほど狭い通りがごちゃごちゃと入り組み、両側に並ぶ小さな店はカラフルでキッチュな若者向けのところが多く、夜になるにつれて増える若者たちはジーンズ姿ばかりで、サリーどころかパンジャビを着ている女の子もあまりいない。
ここに限らず、デリーではパンジャビ姿がめっきり減った。

この原宿通りをどんどん奥に進むと石造りの塀と門が現れる。
 
中にあるのは14世紀に作られた貯水池と、そのほとりに建てられたメドレセの遺跡。

 
結構な大きさの貯水池を石壁の上から見下ろすことができ
 
周りの遺跡も大きくはないがかなりしっかり残っている。

メドレセの中央にはこの学校を建てさせた皇帝、フェローズ・シャーのお墓もあり
 
 派手さはないが天井が美しい。

周りは芝生になっていて大勢の家族やカップル、若い子たちものんびり遊びに来ているが
  
塀のすぐ外にはインドらしいアパートが立ち並んでいて、ここはまさに都会の中のオアシス。
こんなところをちゃんと残すのがインドの余裕。

遺跡を見た後は自然派化粧品の店なども多いハウズカース・ヴィレッジをしばらく冷やかして歩き、最後は高級ブティックの「オガーン」にも入ってみるがここの服は高級すぎて眺めるだけ。

そこでこの店の2階にある「コースト・カフェ」でインド在住のブロ友、サントーシーさんと再会。
中は名前の通り明るくさわやかでインドを感じさせないしゃれたインテリアだったが、すぐにおしゃべりを始めてしまって写真を撮り忘れた。

メニューにはケララのお料理が多くて、選択肢の少ない粗食エリアから戻った身には魅惑的。
  
ケララ・フィッシュフライにケララ風エビカレー、インゲンをココナッツであえたトランもケララの料理。
 これらを米粉のクレープ、アッパムと食べればおいし~。
 チャイのアイスクリームも洗練されていて、都会はやっぱり違う。
と言ってまた喜んで僻地に行くのだけれど。

食後には大阪に帰る女の子を無事空港行きのタクシーに乗せて、サントーシーさんとはまたの再会を期したのだった。


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新インドビザ申請センター

2015-06-23 16:36:05 | インド
まだすぐに必要なわけではないが、5年ぶりにインドビザの申請に行った。

以前は茗荷谷に申請センターがあったのだが、これが今年の4月から芝公園に移転している。
ところが「インドビザ申請」でネット検索をすると相変わらず茗荷谷のオフィスがトップで表示され、名前は「インドビザ支援センター」となって「申請業務は終了しました」なんて出るものだからぎょっとする。

そこでインド大使館のHPを見てやっと新しい申請センターの情報にたどり着くという不親切さ。
ちなみに新しい申請センターの名前は IVS Global Japan
なんでこれが検索のトップに来ないのかがインド的なミステリー。

さて、現在のインドビザはまずオンラインで申請書を埋めてデータを送り、そのプリントアウトと写真を持って申請センターに行かなければならない。
場所は芝公園駅から5分ほど、セレスティンホテルの裏手の目立たないビルの1階にある。
 

平日の午後に行ってみると待っている人はほんの数人。すぐに申請窓口に書類が出せて、1時間以上も待たされた前回より随分改善された、と思っていたらこれが甘かった。

ほんの5分ほどで名前を呼ばれたので行ってみると、「こことこことここが間違っているのでやり直し。写真のサイズも違います」と横幅が5ミリ足りない写真をはねられた。でも普通のスピード写真に5x5cmなんて設定はないんだよ。

そして問題は申請書の訂正。これがプリントアウトを修正するわけにはいかなくて、またオンラインで新しく申請しなおさなくてはならない。そのためにこの申請センターにはPCとプリンターが設置してあるのだが、「使用料は1820円になります」って、ビザ代が1890円なのに。

この高額の使用料に出直すことも考えたが、やっぱり時間の無駄なのでここで再申請。
自慢じゃないが自分は英語で飯を食っている、それでもこの申請書はわかりずらくて、案の定申請に来た人のほとんどがやり直しを言い渡されたり、書類の不備を指摘されたりで、一発で受理される人の方が少ない。
「こんなんじゃわからないよ」と文句をつけているおじさんに「私たちは決められた規則を守っているだけです」ともっともな返答の窓口のお姉さんたち、親切に教えてくれるだけに余計インド外務省に腹が立つ。

変なサイズの写真も結局はここのスピード写真で撮り直す羽目になって、このセンターはこれとPCの使用料でもうけているんじゃないか、なんて勘ぐってしまう。

幸いにして2度目の申請で無事受領。
ビザの交付は1週間後で、以前は夕方の30分だけしか受け取り窓口が開かなかったが、今は平日の営業時間中ならいつでも受け取れるようになった。これは確かに改善されているのだけれど。

このインドビザの申請方法、これからもコロコロ規則が変わるようで、まったくインドの不可解さはビザの取得時から実感できる。


過去のビザ申請シリーズ:

シリア大使館
バングラデシュ大使館
インドビザ申請センター
ネパール大使館
ミャンマー大使館


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インドのおまけ

2011-04-20 19:16:19 | インド
水がめ

インドの街中ではよく水がめを見かける。
 
素焼きの甕の気化熱を利用して道行く人に少しでも冷たい水を提供しようというこの水がめが好き。  
 
ジョドプールの砦にいた水売りおばさんも素焼きの壷に囲まれている。
これでどのぐらい水が冷えるのか興味があるが、飲んでみる勇気はまだない。


交通事情

 デリーでみかけたいかす信号
 その信号に従ってこんな乗り物が走っている。
中はもちろんギュウギュウ、一体何人乗っていたやら。


偉い人

これまたインドの各地でみかける眼鏡をかけた胸像
 どうやらアンベートカルという差別民問題と闘った仏教徒の政治家らしいのだが、これがどうにも大橋巨泉に見えて困る。
 これもアンベートカルさんだろうか。
ちょっと怪しい・・・。


怪しいインド人

怪しいインド人といえば
 これって外国人が連想する怪しいインド人のステレオタイプじゃなかろうか。
車に魔法かけてどうするの?


人形こわい

なぜかインドのお人形はみんな顔が怖い。
  
カラフルなパペットもよく見ると顔が不気味だし
 骨董屋の店先に座り込む楽隊も目が据わっている。
 でも一番怖いのはこのお子様達だったりして。


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インドのおやつ

2011-04-05 00:11:33 | インド
インドの町を朝散歩すると、必ず見かけるのがサモサを包む男達。
  
あっちでもこっちでも床にペッタリ座り込んで、大体はカレー味のじゃがいものフィリングを皮で三角形につつんでいる。
 あとは一日中これを揚げて売るわけだが、揚げたてのサモサは大体どこで食べてもあまりはずれがない。

 ジャイプールのLMBレストランでも正面に並んでいたのはサモサ。
その奥にあるのもじゃがいものコロッケのようなおやつだが、これを頼むとわざわざ崩して辛いソースがかかって出てくる。

  
左の兄ちゃん達が丸めているドーナッツのようなものも、右のおじさんが揚げているオレンジ色のかりんとうのようなものも甘~いシロップ漬けになる。

 このおじさんが大なべで作っているのはニンジンを甘く煮たデザート。
レストランではポピュラーなデザートだが、外で作っているのははじめて見た。

 おなじみパニプリの屋台。
こんなに大量のパニプリ、一日で売り切れるのだろうか。

 そして屋台でよくみかけたのはピーナッツ売り。
なぜか必ずピーナッツの山の上には煙を上げる壷が載っているのだが、何か意味があるのだろうか。

町歩きをしてのどが渇いたときにお世話になるのはチャイ屋さん。
  
屋台で営業していたり、お店とお店の隙間で商売していたり。
 今回一番おいしかったのはマンダワのこのおじさんのチャイ。
ミルクを煮詰めて淹れたチャイはこくがあって実においしかった。

大体チャイは道端の専門店のものが一番おいしい。
食堂、レストラン、ホテル、と金額が高くなるほど紅茶がおいしくなくなるのはインドの不思議。
高級ホテルで食後に紅茶を頼むとほぼ間違いなくティーバッグが出てきて、これがタージマハル印だったりすると目も当てられない。インドの巨大財閥、タタ・グループのこのブランドはおそろしくまずいのだ。

インドに行ったら街角のサモサとチャイをお試しあれ。


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ラジャスタン横断 23 グルガオン

2011-03-30 19:02:08 | インド
12月28日 続き

インドの旅もいよいよ大詰め、夜の出発まで余った時間をグルガオンで買物をしてつぶすことにした。

グルガオンはデリーの郊外にある新興都市、日本で言えば横浜のみなとみらいのように真新しく大きなビルが立ち並んでいる。
日本の企業の多くがここにオフィスを構え、日本人も多く住んでいるので「ここは日本人町だ」と我がドライバー、そういうことだけは言える。

  
大きな通りの両側には大きなショッピングモールが続々と並び、無国籍な店内はジーンズ姿の若者でいっぱい。
今までいたところもインド、ここもインド。

  
スーパーがあるというこちらのデパートで
 クッキーなど買い込んで買物終了。

小腹が空いたので小さなフードコートでインド風スナックの食べ納め。
 さすが都会ではビニールのキャップに手袋をつけている。
  
ドーサにもいろいろ種類があって、マイソール・ドーサというのを頼んでみたら内側にびっちりオレンジ色のソースが塗られた。これが辛くて、ちょっと失敗。
 インド風お好み焼きのウッタパムは食べやすい。
 でも一番好きなのはこのパニプリかも。
丸く膨らんだ殻に穴を開け、右側のポテト、緑色のスープ、赤いソースを好みで入れて食べる。
ジャイサルメールのおいしいというパニプリもやっぱり食べてみればよかったな。

と、またまたインドに心を残しつつ、霧もだいぶ晴れてきたデリー国際空港で運転手とお別れ。
 
コミュニケーションには苦労したけど、とにかく全行程1800キロ、事故を起こさず無事に運んでくれたのでよしとしよう。

 新装成った空港は出発ロビーも以前とは見違えるほど。
  
いささか落ち着かないが、ラウンジもかなり立派になった。

JAL便は定刻どおりに出発して12月29日日本着。


いやはや、それにしても長い旅行記になってしまった。


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ラジャスタン横断 22 ニムラーナのFlying Fox

2011-03-27 19:34:22 | インド
12月28日

インドに来て以来ずっと雲ひとつないピーカン続きだった天気、朝起きてみたらどんより曇り、サモードを出発するとやがて土砂降りになった。この時期にラジャスタンに雨が降ろうとは。

さらにデリーへの幹線道路を走るうち、霧が深くなってきた。
冬のデリー周辺はよく霧が出ることで有名。2,3日前からはその霧が深くて飛行機が飛ばなかったりしていたようだが、今夜の我々のフライトは果たして大丈夫だろうか。

そんな心配をしつつ高速を飛ばして2時間ほど、ちょっと脇道に入ってやってきたのはデリーから100キロのニムラーナ村。
 ここにも15世紀に作られたという砦があり、今はホテルになっている。
  
門番に予約票を見せて大きな門をくぐると、続く廊下には花びらで模様が描かれている。
 見上げる砦は雨にぬれているせいもあって、灰色の空を背景にいかめしい。

さて、このホテルにやって来たのは宿泊や食事のためではない。
お目当てはこちら
  
食堂脇のテント内で営業中の Flying Fox というアトラクションのため。

Flying Fox とはオーストラリア英語で普通はジップラインというようだが、要は高いところに張られたワイヤーロープを小さな滑車で滑り降りるという遊び。
ヨーロッパで始まり、今は世界中あちこちにあるようだが、インドでは脱サラしたイギリス人によってここニムラーナとジョドプールで営業している。

あらかじめオンライン予約をしていたので受付で名前を告げると、こまごまとした注意書きを渡され、これにちゃんと読みましたというサインをしないと参加させてもらえない。

結構な雨が降っているが中止はしないのかと聞くと、強風の時以外は雨天決行とのこと。
この時点で同行の友人は雨に濡れたくないと脱落。ヨーロッパ人の家族も午後に延期すると抜けたが、自分はこれがやりたくてニムラーナまで来たのだから、とあくまで参加。他にはインド人の若いカップルが一組いるだけ。

テントの中で両足を通すハーネスをつけ、手袋と水筒の入ったポーチを渡されたら準備は完了。
インド人の若い兄ちゃんの後について砦を出て、裏山の急な小道を15分ほど登る。
 この登りが結構きつくて、しかも先導の兄ちゃんが早足だからこちらはぜいぜい。
しかし砦を出た途端にあれほど降っていた雨がぴたりとやみ
 地上を這う濃い霧の上に山の頭だけが姿を見せ始めた。
「こんな景色ははじめて見た」ともう1人のイギリス人のインストラクターも大喜び。
これは以外にラッキーだったのかも。

砦を見下ろす小高い山の頂上にはまるで洗濯物干しのような練習用のワイヤーが張られ、ここで説明と練習。
 ぶら下がっている間の姿勢と必要な場合のブレーキのかけ方、さらに途中で止まってしまった場合の対処法を教わる。

これが済んだらまずはイギリス人インストラクターが先導。
 要はロープを滑り降りるだけだから早い、早い。

さて次は、というところでインド人の彼氏が男の沽券を見せねばと思ったのかすぐに手を挙げた。その次は当然彼女だから自分は3番目になった。
前の人が到着したのを確認してからプラットフォームを蹴って出発。
 ロープから足元の地面まではたいした高さではないが、ちょっと脇を見ると砦を真上から眺められ、そのまわりの景色も見通せて気持ちいい~。

とごきげんで滑り降りたのはいいが、終点の10メートルほど手前で失速して停まってしまった。こうなったらあとは自分の腕でロープをたぐって終点まで行き着かないといけない。これがきつくて、あとで腕とわき腹が筋肉痛になった。こつは足を胸元に引き付けて重心を後ろに持っていくこと。3本目のラインでこれがやっとわかった。

こうして滑り降りるロープは全部で5本。
 
一番長いロープで400メートル、短いので90メートル、全長は1265メートル。

  
いろいろな角度から砦を見ながら降りられるようになっていて、この設計が実にうまい。
 霧にけぶる村の景色も雰囲気がある。

所要時間は2時間と聞いていたが、参加者が3人しかいなかったので1時間で終わってしまった。でもおもしろかった!こんなに楽しいならジョドプールでも行けばよかった。高い所好きにはたまりません。

と大満足して、さてではホテル内でゆっくりお茶と見学でも、と思ったら今日はインストラクターに見送られてすぐにホテルを出ないといけないと言う。と言うのもこれからホテルを貸しきった結婚式があるからとか。
そう言えばホテルに着いた時に大きなビデオカメラとレフ版を持ちこんだ連中がいたし、入り口の花びらもそのためだったのか。
そもそもはじめはこのホテルに宿泊しようとしていたのにどうしても予約が取れなかった、その理由がやっとわかった。
どれだけ盛大な結婚式か、それを覗けなかったのが残念。

砦を出た後は村の中を通って、この村に残る階段井戸を見に行く。
  
装飾性はないが、思っていたよりもずっと大きくて立派な階段井戸。
  
底に水はなく、ゴミが散らばっているだけだけれど 
  
18世紀に作られたと言う階段の状態は悪くなく、全体にすっきりした造形が美しい。

やっぱり階段井戸が好きだ。
今回は残念ながらデリーの2つも、アーバネリーも見逃してしまった。
これはやはりリベンジせねば。


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ラジャスタン横断 21 Samode Palace

2011-03-24 23:47:03 | インド
当初の予定ではジャイプールの次にはアーバネリーにクンダ(階段池)を見に行き、アルワールで1泊するはずだった。

ところが前日、現地旅行会社の社長から連絡が入り、ラジャスタン州の東部はデモ隊が鉄道線路と道路をブロックしているので入れないと言う。
新聞を見ると確かに鉄道は止められており、道路も通れないらしい。もっとも誰がどんな理由でデモをしているのかははっきりせず、「デモ隊は封鎖した線路上で歌ったり、踊ったりしている」とあったから危険なデモではなかった様子。

ともあれ予定変更ということで、ならば最後の1泊はこれまでよりもちょっと贅沢なところに泊まってみようと急遽ジャイプール郊外の Samode Palace をあたってもらうと、ラッキーなことにクリスマス客が帰ったばかりということですんなり予約が取れた。

ジャイプールから北へ40キロ、幹線道路をはずれた低い丘陵地帯にサモード村はある。
砂色の建物の間の狭い道を通り、突き当りの大きな門を入ると
 そこがサモード・パレス。
19世紀の始めごろから拡張されたと言う建物の正面は威圧感がある。

階段を上がり、中庭に面したフロントでチェックインをして、部屋の用意ができるまでお茶をいただく。
 
日陰は涼しいというより寒いぐらいで、熱いチャイがうれしい。

やがて案内された部屋はあの威圧的な建物の1階にある。
 この3つの窓がすべて我が部屋。
  
広々とした部屋に清潔なベッド。
 これまた広いバスルームにはバスタブもある。

これまで泊まってきたホテルは1部屋が5000円から1万円ぐらい。それに較べてここは3万円以上するのだから部屋が良くて当たり前。思ったほど「豪華」ではなかったけれど、なによりぴかぴかに清潔で居心地がいい。値段の違いほど部屋に差があったとは思わないけれど。

午後早い時間にホテルに入ったが、さすがに旅の疲れが出てきたのでもう村まで出ることもやめてホテルの中を探検する。
  
以外に複雑な造りの建物で、館内案内もないのでふらふらしていると思わぬところに出る。

そんな風に偶然迷い込んだのはダルバール・ホール。
 表はこんな感じだけれど
 中の大広間は豪華絢爛 
  
壁から天井まで手書きの細密画で美しく飾られている。

さらにそのまわりの部屋も
 美しいブルーの部屋とか
 ミラーワークの部屋とか
  廊下の隅々まで装飾で埋められている。

ホテル棟の2階に上がってみると
  
中庭を見下ろすバルコニー部分にこんな美しい一角があった。
  
  
天井の染付のような白と藍色の模様も美しく、
  
壁の細密画もすばらしい技量。

このすぐ脇の部屋にもお客さんが泊まっていたが、中はどんなだったろうか。覗かせてもらえなくて残念。

華麗な装飾に興奮した後は、プールサイドにあるスパで最後のマッサージ。
チベット系のような容貌のマッサージ嬢はとても上手で気持ちよかったが、フロントに言わせると「ここに来るのは中国本土と台湾からのお客さんばかり。日本人はあまり来ないねえ」とか。

そして最後の夕食はこのホテルの「創作インド料理」レストランで。
  
バルコニーにもテーブルが並んでいたが、寒い夜だったのでさすがにヨーロッパ人もシックな室内で食事をしている。

 まずはアミューズで冷たいなすのお料理。
よく覚えていないがおよそインド料理らしくなく、そこが「創作」のゆえんか。
 前菜には「ピンク・ジンジャーとビーツのサラダ」と言うのを頼んでみたが、ピンク・ジンジャーとはなんとガリ。合うような合わないような。
 お口直しにおいしいグアバ・シャーベットが出て
 メインにはハリームという羊肉と小麦、米を3時間もついて作という料理を頼んでみた。
ほとんど肉を感じさせずとてもおいしかったが、マッシュポテトのようなアクセントのない食感なので正直途中で飽きてしまった。
 奥は友人の頼んだカシミリ・モレル・カレー。
モレルとはなんぞや、と思っていたところ、これがモレル茸だった。まさかインドでモレル茸がとれるとは。
手前にあるのは7種類のパン。ココナッツ入りやら全粒紛やら、おいしくて楽しい。
 そして食後の締めはレモンジンジャー。
温かいこの飲み物がさっぱりとしてとてもよかった。

旅の最終日に泊まった高級ホテル、急な予定変更ではあったが結果的には吉と出た。


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ラジャスタン横断 20 シティパレス

2011-03-19 02:21:12 | インド
12月27日

ジャイプールのシティパレスは旧市街のほぼ中央に位置する。

 車の往来する道路からはこの門をくぐってさらに奥まったところ。
ジャンタル・マンタルを作ったジャイ・シングが1733年にアンベールから移り住み、その後も増築を重ねて現在もその末裔が住むと言う宮殿はかなりの広さを占めている。

入り口を入って目の前にあるのはムバラク・マハル。
 イギリス人のサミュエル・ジェイコブ設計のこの建物は、現在は内部がテキスタイル博物館になっている。
撮影禁止の展示の中心はもちろん昔のマハラジャやマハラニが着用した豪華な衣装だが、中に一着、巨大なズボンがある。これを着用したマド・シングと言う王様は250キロの巨体だったそうだが、この衣装を見ればさもありなん。

 
ここからまた一つ門をくぐった先にあるのが謁見の間。
  
入り口にイギリスに行った王様がガンジス川の水をこれに入れて持って行ったという巨大な銀の水がめが展示されているが、その間で愛嬌を振りまいているサンタが場違いで不気味。

この奥にこれまた撮影禁止の巨大で豪華な部屋があるのだが、そこに数多く飾られているのは最後のマハラジャ、マン・シングII世の写真。
 1949年にインドが共和制になるまでマハラジャだったこの人、男前なだけではなく、ジャイプールの近代化に努めた名君だったそうな。

そしてさらに人気があったのはこの人の奥さん、ガヤトリ・デヴィ。
 ヴォーグ誌で最も美しい女性10人の1人に選ばれたというのもうなづける。

この二人も住んでいたであろう一角はチャンドラ・マハル。
 
ここには現在もマハラジャ一族が居住しているとのことで、下々が入れるのは中庭まで。

この中庭にはきれいな門が4つあって、
  
緑の門は春
   
蓮の門は夏
  
孔雀の門は秋
  
薔薇の門は冬をそれぞれ表しているのだそうだ。

門だけでもこれだけの装飾の施された宮殿、内部はいかほどかと思うが、しかし毎日観光客の押しかけるところに住むのはどんなものだろう。

 中庭には金色の天蓋のプレートがついた車が駐車していたが、これはマハラジャ警護の車だろうか。

美男子マハラジャの末裔には残念ながらお目にかかることはできなかった。


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ラジャスタン横断 19 ジャイプールのジャンタル・マンタル

2011-03-16 16:10:46 | インド
12月26日 続き

風の宮殿の屋上から西側を見ると、大きな中庭を一つはさんで巨大なオブジェが立ち並んでいる一角が見える。
 
これが昨年世界遺産に登録されたばかりのジャンタル・マンタル(天文台)。

1734年、ジャイプールの町を作ったジャイ・シング王は学問に熱心で、サマルカンドのウルグ・ベク天文台をモデルにデリーをはじめあちらこちらに巨大な天文観測施設を作ったが、ジャイプールのものがその中でも一番規模が大きいのだそうだ。

宮殿から見えたのですぐに行けるだろうと思ったジャンタル・マンタル、表通りから行こうとしたら入り口がわからなくて迷いまくる。実はシティパレスの隣にあるのだが、その入り口がまたわかりにくい。こんな時だけはガイドがいたら便利だと思う。

世界遺産に登録されたばかりだからか、夕方でも入り口はインド人観光客で大混雑。横入りしようとするインド人と格闘しながら入場券を買って入り口を入ると
  
  
まるでエッシャーの絵が立体的になったかのような建造物の数々。

  
一体どのように使って何を測るための器具なのか
  
  
それぞれに英語の説明はついているし、ガイドは熱心に説明していてインド人の皆さんも一生懸命に聞いているが、何しろ天文学の知識が皆無なので、おそらく日本語で説明されてもわからないだろう。

これらの器具は今でも測定に使えると言うことだが、単なるオブジェとしても魅力的で、装飾だらけの建築物ばかり見てきた目にはとても新鮮に映る。

日も傾いてジャンタル・マンタルを追い出された後はジャイプールの町をうろついてお買物。

買いたかったのはキルティングのお布団。
  
どこのホテルでも使われていたお布団は軽くて、インドらしいプリント柄がかわいらしい。
安いものは数百円で買えるけれど、ちょっと良い品を置いていたこの店でのどが痛くなるまで兄ちゃんと値段交渉して買ったハンドプリントのものは2000円。まだ高かったかもしれないけれど、夏掛けとして活躍してくれるだろう。

電球に煌々と照らされたマリーゴールドのお供え屋台を通り過ぎ
  
夕食に選んだのはこちら
 LMBレストラン

 入り口を入るとお菓子のショーケースがずらりと並んでいるが
  
奥まですすむと立派なおひげのドアマンがいて、その先がレストランになっている。
ファミレスのような感じのカジュアルなレストランだが、ガイドブックにも載っている有名店なので外人観光客もいっぱい。

メニューを開いて何を頼もうかと迷うが、ここはラジャスタンの料理がいろいろ食べられるターリにしよう。
 まずは辛酸っぱいスープが来て
 ど~んと12種類の小皿が載った巨大なターリ盆が登場。
隣にいたヨーロッパ人に「写真撮らせて」と言われるほどの迫力。
 ←メニューはこちら。クリックすると大きくなります。

しかしこのターリは実は失敗。注文する時、「辛さはどうする?」と聞かれて「中ぐらい」と答えたら、これが辛いのだ。辛すぎて辛いのと甘いのぐらいしか味がわからない。正直、お昼のレストランの方がずっとおいしかった。

 アイスクリームもジョドプールの市場の方がおいしかったなあ。

それでも食後にショーケースを見るとお菓子も試してみたくなる。
 と言っても日持ちのしないものは買えないので
 クッキーを買って日本に持ち帰った。

そして後日食べてみてびっくり。6種類も入っていたクッキーと言うかパイのようなお菓子、これがまたどれもスパイシーで辛いのだ。

インドの辛さをなめてはいけないのであった。


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