マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

待つことの大切さ

2005年05月18日 | 私の想い
tea050517
ブログに書くネタがない日がある。
何も思い当たらないことがある。
書くことは難しいと思う時である。

反対に立板に水のごとく
止まることなく言葉が出てくる時がある。
このギャップは何なのかと思う。

今日は夕食を食べ終わっても何を書こうか決まらなかった。
脳みそが筋肉マンになって、柔軟性を失くすと
小さなキッカケをもつかめない。

食後に一息入れてお茶を飲みながら新聞を広げた。

朝日新聞の中ほどの生活面に
「ひととき」という女性だけの投稿欄がある。
この「ひととき」欄、実は大好きだ。

大好きというより一時投稿にはまった。
3ヶ月に1度くらい的を絞って書き上げて
投稿すると必ず掲載してくれた。
もう20年くらい前のことである。

季節にタイムリーな内容がいい。
そしてやはり人の心を打つ内容。
心をさらけ出して書かなければ伝わらない。
真実は小説より奇なりである。

今日の投稿もよかった。
タイトルは「待つことの大切さ」だ。

大阪市に住む46歳の女性。
14歳のお嬢様はダウン症とある。
「明るく、焦らず、諦めず」をモットーに生きてこられたとある。

小学校入学時は徒歩15分の学校まで
お母様が自転車に乗せて通われた。
2年生の終わり頃、迎えに行った時、先生に
「いつまでも自転車ですみません」と言ったそうだ。

先生は「いいよお、お母さん、待ってあげようよ」と言われたそうだ。
胸のつかえがすーっとおりたとある。

「教育とは待つことだ」と言われる。
そしてお嬢様をしっかりと受け止めたいと結んでいた。

「教育とは待つこと」
この方のこの言葉はとても説得力がある。
本当にそうだと、今なら私もわかる。

こんな簡単なことがどうしてわからなかったのかと思う。

生まれた時から体重の増加を気にする。
寝返りが打てた。離乳食が始まった。
歯が生えた。
そして今度はハイハイが出来た。
立った。歩いた。
・・・・と親は子供の成長に期待をかける。

そして文字が読めた。計算が出来た。
九九が言えるようになった。
・・・・とここでも生き急いでいる。
「早くしなさい」をどれだけ連発して育てて来ただろう。

本当の教育とは「待つこと」だったのに。
「待つこと」が実践された時、きっと親も子も一歩進めただろうに。

私は二人の子供からたくさんのことを教えられた。
私が教えたことなど、いくらもない。
私は子供たちを育てた代わりに
子供たちもまた私の心を十二分に育ててくれた。




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