マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

花を咲かせるということ

2005年05月26日 | 私の想い
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毎朝物干しに出ると嬉しいことがある。
もうすっかりおばあさんのデンドロビウムに
美しい花が咲いた。
このデンドロビウムは頂いてもう10年になる。
毎年忘れずに僅かながら花を咲かせてくれる。

きっとこれは春になるのを待っていたかのように
デンドロビウムのお礼奉公かと思う。
春一番に咲きたいけれど、おばあさんだから
なかなかエンジンがかからないのかと思ったりする。

このデンドロビウムは大切に育てているわけでもなく
真夏の照りつける太陽の季節でも
寒い冬場、霜の降りる季節でも室内に入れない。
日よけや霜よけもするではなく
ただ水を与えて、時々肥料をあげるだけ。
なのにどうして毎年花を咲かせてくれるのかと思う。

女は育てるという行為が好きだ。
それはきっと母性がそうさせるのかと思う。
植物を育てるのと子育てはどこか似ている。
どちらも慈しみながら愛情を注いで丹精込めて育てる。

過保護でないデンドロビウムだけれど
水遣りの時は、心の中で何かしらつぶやく。

「花を咲かせてね」とか「お水いっぱい飲んでね」とか
「今日は寒いからお昼にお水あげるからね」とか

こんな私の会話が届いているような気がする。
だからおばあさんのデンドロビウムは老いた体でもなお
美しい花を咲かせてくれるのだと思う。

子育ての頃、ある友人が言った言葉がある。
お花は大切に育てると花を咲かせてくれるのに
子供は全然花を咲かせてくれないと・・・。
私も同感だと思った。

子供はなかなか親の期待通りには育たない。
一喜一憂しながら、右往左往しながら・・・
何度も挫折しながら、復活しながら・・・
たくさんの友人と子育て談義を繰り返しながら
時には慰め合いながら、葛藤しながら
みんなの中で育ててきたように思う。

子供たちは社会人となった。
20余年かかったけれど、花は咲いたではないか。
愛情をかけた分、立派に育ったではないか。
今、社会人となって一人歩きしている。

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人はそれぞれに持ち味が違う。
ひまわりの子もいれば、桜の子もいる。
バラの子もいれば、コスモスの子もいる。
タンポポの子もいれば、すみれの子もいる。
みんな自分らしさを誇りに思って咲いている。

やはり私たちは大輪の花を咲かせたと
堂々と胸を張りたいと思う。

そしていくつになっても恩返しの花を咲かせられる
このデンドロビウムのように、優しい心根の花であって欲しい。
そんなことを子供たちに重ね合わせながら今朝も水遣りをした。







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