![]() | ビッグデータの覇者たち (講談社現代新書) |
クリエーター情報なし | |
講談社 |
ITの世界は、よくバズワードと呼ばれる言葉が流行する。例えば、昔流行ったweb2.0なんてのもそうだったが、はっきりとした定義もなしに、たくさんの人が、「ああ、あれね!」という感じで使っている言葉だ。いまならさしずめ、「ビッグデータ」などがその筆頭であろうか。このビッグデータの現状と将来展望について述べられたのが「ビッグデータの覇者たち」(海部美知:講談社現代新書)である。
ビッグデータとは、これまでは処理できなかったほどの大量のデータを指す言葉だが、むしろデータの海の中から意味のある情報を汲み上げるデータマイニングの意味で使われていることが多いように思える。ただし、著者はビッグデータを広い範囲の考え方、コンセプトとみなし、データマイニングは手段と見做しているのだが。もちろん、バズワードなので、統一された定義があるわけではない。その典型的な使い方は、予測、絞り込み、見える化というところか。IT技術の発達により、これまで扱えなかった大量のデータを処理できるようになったことが、昨今のビッグデータブームの背景にあるだろう。
本書では、Gogleを初めとする主要ネット企業でのビッグデータの使われ方、科学技術におけるビッグデータの応用例や選挙での使用例などが示されており、この技術が既に世の中に広く浸透していることを感じさせてくれる。よく「量より質」と言われるが、ビッグデータは、「量を質に変える」技術なのである。
しかし、何事にも光と影がある。ユーザーのネット上でのあらゆる行動が、データとして収集され、分析され、広告の材料として使われるのだ。著者も指摘するように、プライバシーが、丸わかりになっているような気持ち悪さがある。著者は、利便性と差し出す対価(情報)とのバランスと考えているようだが、ひとつ重要なことを指摘しておきたい。
それは、「情報の非対称性」ということだ。いくら利便性があるからと言って、その対価として、どのような情報が吸い上げられているのか、実際のところはよく分からない。多くの人は、そのような感覚さえなく、データを収集されているのではないか。いったいどのような個人の情報が収集されているか、それがわからないと我々は利便性と対価のバランスなど判断しようがない。何らかのルール作りは必要だろう。
☆☆☆
※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。