雑品屋セイゴオ | |
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春秋社 |
・松岡正剛
博識で知られる松岡正剛氏が、身の回りにあるものをテーマにして書いたエッセイ集。目次の前にある「触れ書」によれば昭和20年代後半から昭和50年代半ばまでのいささか懐かしい雑品のみを取り扱っていると書かれているが、今でも目にするものも結構ある。ただ、エッセイの中に、本の話題や、いかにも松岡氏らしい蘊蓄が語られるのは見事だろう。
特に笑えたのは、「便器」、「キンカン」、「万年筆」とタイトルがつけられたエッセイである。ちなみに、どれもいわゆる下ネタだ(笑)。
「便器」は、正剛氏が高1の時に京都から横浜の洋館に越してきて初めて西洋便器と出会った時のエピソードだ。勘のいい人は彼がどうしたか見当がつくと思うが、今では半ば定番ギャグになっているようなあれである。なんと正剛氏便器によじ登って用を足したらしい。正剛氏の妹は、泣きながら立ったまま済ましたとのことだ(pp135~137)。
「キンカン」は、あれが男子の大事なところに付くとすごいことになるという話(pp190~191)。「万年筆」では小2のころ、友人と万年筆のキャップを男子の持ち物に嵌めて抜いて遊んでいたことが書かれている(p289)。
本のレビューを書くとき、真正面から取り組むスタイルと、からめ手から入るやり方があると思う。松岡氏の場合は後者の色合いが強いように思えるのだが、このエッセイ集を一読してそのテクニックを覚えれば便利だろう。もっとも色々なことで蘊蓄を語れるくらいの勉強は必要なのであるが。
ところで、この本にもやっぱり、「正しい理科知識普及委員会(自称)」としては見過ごせないところがある(笑)。「電気花火」というエッセイに次のような個所があるのだ。
<レイ・ブラッドベリの「発電所」は、雨宿りのために発電所で眠ってしまった女が、あっというまにスパークや高圧電流と化して地球上のあらゆる電気回路に同時に出現するという話だった。>(p300)
既に何度も指摘している通り、「高圧電流」なんてものはないし、電気のことを知っているものならまずこの言葉は使わない。そもそも高圧であろうが低圧であろうが、流れる電流が大きければ危ない。例えばドアノブを触った際にビリっとくる静電気だって、数千ボルトの十分な高電圧である。しかし電流が小さいし一瞬しか流れないので、ビリっと来るだけで済む。しかし低圧に区分される100Vの家庭用電源での感電は、電流が系統側から供給されるので、死の危険がある。
この辺りでも、正剛氏が文系の人間だということが分かる。シーザー(カエサル)ではないが、次のようなセリフが頭に浮かんだ。
「セイゴオお前もか!」
☆☆☆