放送大学広島学習センターから学位授与式(卒業式)の案内が来た。前回卒業時に初めて出席したのだが、今回も予定は空いているので出席してみようか。放送大学も、5回目の卒業ともなれば、それほど新鮮味もないのだが。
東大教授の「忠臣蔵」講義 (角川新書) | |
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KADOKAWA |
・山本博文
本書は、「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介を相手に刃傷事件を起こしてから、赤穂浪士が切腹するまでが描かれている。この話は多くの者が知っていると思うが、歴史家の間では「赤穂事件」と呼ばれ、「忠臣蔵」とは呼ばれていないと言うことだ。
善悪の基準は、その時々の時代背景、社会システムにより異なるものだが、今の基準では、浅野内匠頭というバカ殿と、47人のテロリストであり、決して「忠臣」なんてものではないと思うのだが。それにしても浅野のバカ殿ぶりには呆れてしまう。いくらバカでも、殿中で刃傷事件を起こせば多くの部下を路頭に迷わせることは分かっていたはずだ。この原因ははっきりと分かっていないとはいうものの、内匠頭がバカだということは間違いなく言えるだろう。
これに巻き込まれた吉良家こそはた迷惑だろう。何しろ、当主は殺されただけでなく、その息子(上杉家に養子に出した息子の次男を養子にしているので、血縁的には孫になる)の左兵衛は、重傷を負った挙句に、討ち入りが防げなかったのが不届きだとして、信州高島藩諏訪家に御預け(流罪)となったのだから。殺人事件の被害者が罰を受けるというのはどう考えてもおかしい。そもそも内匠頭を切腹させたのは将軍徳川綱吉であり、別に吉良上野介が内匠頭を害したというわけではないので仇討というのもおかしなことだ。
年末になると恒例のように放映される「忠臣蔵」だが、本書を読んで思ったのは、今伝わっている話はかなり盛られており、どこまでが真実かよく分からないということである。
<赤穂事件については、当時からいろいろな書物が書かれていて、話がどんどんつけ加わっていくものですから、真偽の判定もなかなか大変なところもあります。>
例えば、内匠頭の辞世の和歌「風さそう 花よりもなを われはまた 春の名残を いかにとかせむ」
これは、当時の検使で内匠頭に同情的だった多門伝八郎の覚書にしか見られず、多門の創作である可能性が高いという。この他にもいろいろと創作部分があるようだ。(pp34~39)
また大石内蔵助であるが、映画やドラマなどでは、京都に住んでいる時代に、仇討の意思を隠すために遊郭などでどんちゃん騒ぎをしている場面がよく出てくるが、実際には、そんな証拠はないようだ。ただ、京都にも妾はいたらしい。この他病死したはずの親が、息子の決意が鈍ったと思って自害したことになっていたり(p157)と枚挙に暇がない。
ところで、赤穂浪士の一人である堀部安兵衛だが安兵衛の読み方はよく言われる(やすべえ)ではなく(やすびょうえ)が正しいということだ。この辺りはちょっとしたトリビアになるだろう。(p63)
この事件の顛末だが、大石内蔵助の3男は、広島の浅野本藩に父と同じ1200石で召し抱えられ、元々3000石の旗本だった内匠頭の弟大学は500石(これとは別に浅野本藩から300石をもらっていたらしいが)の旗本に復帰したという。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。