本書は闘う哲学者である故梅原猛さんが古代に思いを馳せたエッセイ集である。題材になっているのは、縄文土偶、柿本人麻呂、吉野ケ里遺跡、清少納言、北野天満宮、中世の物語文学など。
ただ梅原さんは思い込みが強いようで、例えば縄文土偶には必ず縦の線があると書いており、あれは胎児を取り出したあとだとしている。梅原さんは子供さんがいるのに、奥さんが妊婦さんだった時のお腹を見たことがないのだろうか。あれは正中線といって、誰でももっているが、妊婦さんになると、特に目立つようになるものだと思う。事実そのような説明をしているものも多い。また必ずそんな線があるわけではない。例えば縄文土偶を代表する有名な遮光器土偶。ネットで調べた限りでは、そのような線はみあたらなかった。
人文科学の分野では大ボスの言ったことが定説になるようなところがある。あのように権威が言ったことに従うのではなく、敢然と立ち向かうようなエネルギーがないと独自の梅原日本学を打ち立てることはできなかっただろうと思う。
梅原さんは伝承を大切にする。例えば梅原さんの著書に柿本人麻呂について述べた「水底の歌」があるが、そこで大御所の斎藤茂吉が人麻呂の終焉の地を島根県の湯抱としたことについての反論のひとつに、かの地には人麻呂の伝承がまったくないことを上げている。
私も湯抱と言うことは無いと思う。島根県なので多少の土地勘はあるが、湯抱というのは今でも鄙びたところである。人麻呂の時代は言わずもがやというところだろう。どうして宮廷歌人でならした人麻呂がそんなところに行って死ななければならないのか。今のように整備された道路なんてない時代である。
それに湯抱は今でこそ温泉地になっている。いつ頃から温泉地となったかははっきりしないものの、一説には戦国時代と言われている。しかし人麻呂の活躍した時代はそれよりずっと昔なのだ。だからここに人麻呂が湯治に訪れるなんてことはまず考えられない。
そして、梅原さんは歴史の敗者にスポットを当てる。それが聖徳太子だったり、柿本人麻呂だったり清少納言だったり、菅原道真だったり。清少納言が歴史の敗者というのは意外に思う人が多いかもしれない。どうして紫式部と並ぶ平安女流文学を代表する人物が敗者なんだと。彼女は一条天皇の皇后になった藤原定子に仕えた。しかし、定子は、父道隆の死後、叔父の道長に父の地位をとってかわられて、兄弟は流刑にされ、後ろ盾を失い失意の中で夭逝している。そして清少納言は定子に非常に近い人物だったし、晩年は没落したという話もあるのである。
また、絵巻物は宝の山だが、研究が進まないのはたぶん学問のセクショナリズムのためだろうと嘆く。そしていくつかの絵巻物を紹介した後今昔物語の話に移る。
少し梅原さんのエネルギーに辟易するようなところもあるが、定説を疑うというその姿勢は評価できると思う。
☆☆☆☆