雨、16度、97%
昨日、我が家のモモのために買ったダイソンの掃除機が壊れた話を書いたところ、4匹の猫と生活している友人からコメントが入りました。4匹の猫ね、羨ましいなあと思いながらコメントに返事を書いているとき、急にあることを思い出しました。いえ、ある猫のことを思い出したのです。
我が家が香港にやって来たばかり、随分昔です。来て3ヶ月目ぐらいのことです。少し生活にも慣れました。でも、はっきりいって、右も左も今考えると解ってはいない状態の頃です。朝の市場通いの帰り道、猫がかんかん照りのところでうずくまっているのを見つけました。毛はボサボサ、やせこけた体にははっきりと骨が皮の下に感じられるほどです。目は閉じたまま、胸で大きな息をしていました。間違いなく病気です。どうしてやることも出来ません。地元の香港人は、そんな猫などに見向きもしません。当時の我が家は、動物を飼うのが許されていないマンションに住んでいました。ぐっと、気持ちを押さえつけて、一旦家に戻ったのですが、どうしてもその猫のことが気になります。大きなかごと、古いバスタオルを用意しました。もしも、まだ、同じ場所にいたら、連れてくるつもりです。
案の定、先程よりまだ日差しが強くなった同じ場所から動けずにいます。タオルに包んでも身動きすらしません。そのまま、かごに入れ、入り口のウォッチマンにも咎められずに家に着きました。最初に見た時から解ってはいましたが、お腹に大きなしこりがあります。水を口に含ませて、様子を見る日が続きました。排泄もほとんどしませんが、時折歩くようになりました。その姿が、オロオロと見えるので、オロと名付けました。ミルクをぺちゃぺちゃと音を立てて飲めるようになりました。それでも、固形物は食べることが出来ません。お腹の腫瘍は依然そのままです。香港に来てはじめての夏休みはこうして、このオロとの生活でした。
オロと呼べば、少し頭をもたげますが、ほとんど寝たっきり。まだ香港に来て間もないものですから、友人知人も少なく、生き物を飼っている人も知りません。7月の初めごろに我が家に来たオロは、少し元気になったかのようでしたが、8月の半ば過ぎには、ほとんど食べれなくなっていました。
当時香港には、R.S.P.C.A.といって動物保護団体がありました。今でも、頭のR(ロイヤル)がなくなって継続している団体です。数日考えた私は、オロを引き取ってもらおうと、R.S.P.C.A.に電話を入れました。息子にも、オロを預けるとはどういうことかを話しました。そして、夏休み最後の8月31日、連れて来た時と同じかごにオロを入れて、息子も一緒にR.S.P.C.A.を訪ねました。
ちいさな診療所の奥からは、犬や猫の鳴き声が聞こえます。白人の女性の獣医さんがオロを診てくれました。彼女が首を振って、もう助からないから、注射をするけどいいか?と聞いてきました。来る前からこうなることは解っていました。出された同意書にサインをして、もう目も開かなくなったオロの体をさすって別れました。
いまでも、S.P.C.A. は同じ場所にあります。オロが行き倒れていた場所も時折通ります。オロのことをふと思い出すことはあっても、こんなに鮮明に記憶を辿ったのは久しぶりです。私ですら遠い記憶の仲にあるオロのこと、ましてや主人や息子は忘れてしまっていると思います。
こうして振り返ってみると、オロという病気の猫が、我が家が香港ではじめて一緒に生活した動物でした。
猫好き犬好きと区別する方もいますが、私が育った家には犬も猫もいました。我が家も、日本で暮らしている時は、犬も猫も一緒でした。家族3人の中で、動物のノミが付くのは私だけです。それでも、拾って来たばかりの猫といつも一緒に寝るのは私です。久しぶりに、猫の温もりが恋しくなりました。