ガス、19度、97%
日本を離れて永く生活をしていると、日本古来のものが懐かしくなります。香港は、食べ物に於いては、ありがたいことにここ数年はほとんど不自由なく暮らせるようになりました。和食、ラーメンやお寿司屋さんは雨後のタケノコ状況です。どうしても手に入らないものは、和服まわりのもの、焼き物や漆器です。そして、年を重ねるごとこうしたものへの思いが強くなるのは致し方ありません。和服はこの蒸し暑い香港では、なかなか袖を通す機会がありません。季節の入れ替えのとき、少しずつ揃えた着物をそっと撫でます。器の好みも、若い時とは少し変わってきました。それはやはり自分が作る料理の変化もあるように思います。
中國、東南アジア伝来の漆器、海外ではジャパンと呼ばれます。確かに質の高さ、芸術的なものにまで漆器を高めたのは日本人です。蒔絵も施されていない漆器の深い光沢が好きです。
こんな私に、10数年もの間月に1,2度、東京の黒田陶苑から図録が送られてきます。物故者、現役の方の焼き物や漆器の数々が紹介されています。きちんとプライスリスト付きです。その図録の中ではじめて知ったのが黒田辰秋という塗師です。塗師と一概にいえず、木工作家といった方がいいのかもしれません。図録で見たはじめてのもは、螺鈿の棗でした。私は九州の福岡の出身です。韓国由来の螺鈿を目にすることが多くありました。黒の塗りに夜光貝などの真珠層をはめ込み模様を作り出す、凝ったものです。小さい頃から見慣れた螺鈿細工は文様が花鳥や山水的なもので、それほど深く興味を抱かないままでいました。ところが黒田辰秋の螺鈿の棗、貝がタイルのように扱われ全面を覆っています。光を当てると、まるで手に納まる光の壷です。以来、黒田辰秋の作品に興味を持ちました。
今年で生誕110年、お亡くなりになって30年近くたっているそうです。先日の帰京の折、私鉄の車内広告に横浜そごうで黒田辰秋の展示会があることを知りました。午後には、お嫁さんと孫の面会で多摩川を渡る予定です。病院から横浜まで、ちょっと時間がかかるけど、高校を出てから馴染みのある一帯です。土地勘があるので、時間も苦にならず暗くなり始めた夕方、横浜へと向かいました。
デパートの美術館、時間的にもお勤め帰りの人がいるのかと思っていると、私以外にったった一人の方の参観です。この展示は、黒田辰秋と各界の著名人との接点を基軸に、それぞれの方達の所蔵品が展示されていました。河井寛次郎、柳宗悦、白州正子、小林秀雄、川端康成、黒澤明。しかも、これらの方達は、特別に注文をして作品を作ってもらったようです。たとえば、黒澤明は別荘に置く椅子を一式。白州正子は、自宅で使う蓋付きのお椀をという具合です。その細工も、螺鈿ありただの拭漆まで様々です。
黒田辰秋のお椀を見たのははじめてのこと、そのおおらかな姿、塗りの深さには惚れ惚れとします。チケットの写真は、白州正子所蔵のお椀です。さすがに皇居の納められた調度品は出品されていませんでしたが、「王様の椅子」と題された、黒澤明所蔵の拭漆の椅子は、大きさが棗とは対極にあるせいか、黒田辰秋というひと一人の創造力の大きさに圧倒されます。
出品物の中で、私を惹き付けたのは、赤い螺鈿の菓子箱。京都の老舗の菓子屋、鍵善良房が注文した菓子箱です。目も覚めるような赤の漆に、螺鈿で鍵善の屋号が意匠されています。なんとモダンなこと。
日本の漆は、蒔絵のものが頂点にあるように思われますが、黒田辰秋の螺鈿は、それにも匹敵する、いえ、それ以上の存在感を持って目に映ります。赤の漆の色が一通りではありません、そのものに合った赤が使われています。ちょうど、柳宗悦らの民芸運動の頃、なんと、今よりも現代的と思えるものを作った方だと思います。
日本を離れているからこそ解る日本の美に、この漆との時間は、私に充足感を与えてくれました。