チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

ALEXANDREのヘアーブラシ

2014年03月21日 | 日々のこと

小雨、15度、66%

 こしがない、柔らかすぎる、細い、そんな私の髪を、この歳になって又伸ばし始めたのは去年の夏です。2月の孫の誕生前には切るつもりだったのですが、しっかり縛り上げれば、抱く時にも邪魔にならないと独り決め、やっと肩より下まで伸びました。頼りなげな髪が、肩の辺でさらさらと聞くのは、なんだか久しぶりのこと、とても嬉しくなる瞬間です。

 髪の手入れなんて、ちょっといいシャンプーとコンディショナーを使うだけ。髪を切りそろえてもらう時も、トリートメントなどはしてもらいません。こしのない髪です、一度トリートメントをしてもらったら、10日ほど髪の毛がぺしゃんこになりました。髪にブラシをかけるのも、シャンプーの後と朝だけ。ズボラな私です。昨日、髪をとかしていました。なんだか、髪の先まですっとブラシが下りません。それまで何も気にならなかったのに、気になり始めると、どうしたものかやたらに気になります。久しぶりに、まじまじとブラシを見ると、外回りの毛は、随分抜け落ちています。 それになんだか汚れていそうです。軽くぬるま湯で洗おうと思いましたが、今一度、ブラシを眺めました。はて?いつ買ったヘヤーブラシかな?

 同じブラシの2代目です。初代は、パリのボンマルシェで買いました。長さは13センチほどの小ぶりなブラシで、ブタ毛です。バックの中にも入れますし、家でも使います。小ぶりなブラシでブタ毛のものは少なくて、見つけた時は大喜びでした。ALEXANDREは、髪飾りのお店です。ボンマルシェでブラシを買った頃は、髪の長さも背中の中程までありました。それに、やれなんだかんだと購買欲の一番強かった頃のことです。今考えると恥ずかしい時代でした。この初代をどれだけ長く使ったか記憶にありません。2代目を買ったのは、ここ香港、ALEXANDREが香港にも店を出しました。確か買い替えたとき、新しいブラシで髪をとくと、まるで頭が生き返ったようになったのを覚えています。パリに行ったのが2000年のこと、とすれば、14年でやっと3代目を購入したことになります。おしなべて見ると、7年間使ったことに。いくらズボラな私でも、7年も使ったブラシが傷むのは無理もありません。

 朝、髪をといたとき思うようにとけなかったものですから、支払いをする間ももどかしく、髪をといてみました。やっぱり、とても気持ちよく、すっと毛先までブラシが通ります。

 同じ形のブラシが売られているのも嬉しいことです。新しく、先が丸いマッサージも兼ねたブラシも出ていましたが、やはり豚毛のこのブラシが私には合っています。細いので髪同士が絡まるのです。家に帰って古いブラシと見比べると、ブラシの地の部分の色がオレンジになっています。以前のは黒でした。

 昨晩はシャンプーの後何度も何度も髪をときました。新しいブラシを買うと、一日に100回はブラッシングをしよう、などと思うのですが3日と続きません。ヘヤーブラシが消耗品だとはじめて気付きました。そうそう、小さい頃から、櫛を使ったことがありません。

 髪をどのくらいまで伸ばすか、まだ決めていませんが、そろそろ香港暑くなってきました。小さい頃はずっと、ワカメちゃんの刈り上げカットだった私です。髪が肩まであると、それでだけで優しい気持ちになります。

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スイカの傘

2014年03月20日 | 日々のこと

曇、18度、95%

 3月は私の誕生月です。3月に入る前から、いろんなお店から優待やプレゼンがありますなどとお知らせをもらいます。そんなに買いたいものがあるわけでもないし、消耗品以外は、ものが家に溜まるのがいやですから、ほとんど無視しています。でも、シティースーパーのお誕生日プレゼントだけはちゃっかりもらいに行きます。去年は、熊の入れ物に入った蜂蜜とインスタントのケーキミックス。何でもないのですが、ちょっと気が利いています。

 シティースーパーは、元の香港西武デパートの食品売り場の方達が、西武デパートが店仕舞した後も香港に残って始められた高級スーパーマーケットです。もちろん日本のものも選ばれたいい物が置かれています。お味噌やお醤油は、日本全国からいいチョイスです。ここが出来る以前は、香港で買えるお醤油はキッコーマン、お味噌はハナマルキ。選択肢などありませんでした。チーズをあまり食べない香港で、チーズ売り場の充実を図ったのもここシティースーパーです。調理器具も世界中からそこそこにいい物を集めています。ダイソンの掃除機を売り出したのも、なんとこのシティースーパーからでした。今では料理教室まで開いています。

 シティースーパーは、地元香港人から欧米人、中國からの観光客と客層も広く、どんな物を買って行くのかレジに並ぶとき観察するのも面白いものです。日本人の多いトンローワンのお店から出発したシティースーパーも、今では、香港中に4店舗、中國、台湾にも出店しています。我が家から、ヒルサイドエスカレーターに乗って、雨に濡れずに行けるところにもオープンしました。

 先日買い物のついでに、コンセルジュによって、誕生日と言うと、お兄さんがおめでとうといって手渡してくれたのが、緑の傘でした。 今や、昔と違って傘は安い物が出回っています。香港$20ぐらいで折り畳み傘が買えます。なんだ、傘ね。と思って家に帰りました。要らない傘は、急な雨の時に人にあげることも出来ます。家に帰って、拡げてみると、スイカの傘です!

 シティースーパーのロゴは入っていますが、この傘の下に立つと、パッと明るくなります。よく見ると、袋にもスイカのシマシマが入っています。欲を言えば、持ち手がちいさなスイカだったらいいのになあ。決して高い傘ではありません。ぺらぺらの傘です。

 香港、この時期特有のジトジトと薄暗い天気が続いています。傘を持つほどの雨はまだ先ですが、パッと心が明るくなるようなこのプレゼント、傘を拡げたとき、きっと私はニコッと笑ったに違いありません。お分かりただけたと思います、私がシティースーパーのプレゼントが好きなわけが。

 

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ゆめちから100%のプルマンローフ

2014年03月19日 | パン

曇、20度、97%

 ここ香港におけるホームベーカリーの普及率、さてどれくらいのものでしょうか?高いものはパナソニック、象印。その3分の1の値段で、中國製が買えます。ホームベーカリーは、確か、ニーダー、つまりパン種をこねる為の機械作りから発展した電気製品だと聞いています。古いアメリカンの雑誌で、今は亡き料理研究家のジュリアチャイルドが、ホームベーカリーの蓋をとって匂いを嗅いでいる写真があります。アメリカでは、もう随分と古くからあるホームベーカリーのようです。それにしても日本の機種は、あれこれといろいろな仕事をこなしてくれるそうです。お餅も作れますし、ご飯からパンを作ることだって出来ると書いてあります。この発想、流石日本です。でも、相変わらず、こねこねして、パン生地とにらめっこしながら焼くパンが好きです。

 このホームベーカリーブームに乗って、日本のクオカのホームベーカリーミックスなども簡単に手に入るようになった香港です。製菓製パンの材料をシティースーパーの富澤商店のコーナーでも買うことができます。こんなに普及する以前、タイ、韓国、アメリカ、フランス、イギリス、中国、手に入る強力粉をほとんど試しに焼いてみましたが、小麦の産地、製粉術このふたつの要素はパンのおいしさを大きく左右します。小麦粉の産地は、北米。製粉技術は日本。と頑に信じていた私が、日本の小麦で作られた小麦粉に興味を持ったのは、このほんの数年のことです。先日、富澤商店の「ゆめちからブレンド」を買って来て、プルマンローフを焼いてみました。噂に違わずいい小麦粉です。香りが薄いのがやや難点。この香りとは小麦の香りです。

 でも、何故、富澤商店はゆめちから100%の粉を売らないのか?とても疑問でした。ブレンドすることでパンを作り易い小麦粉にしたいのか、何か欠点を補う為のブレンドなのか、一度は、「100%のゆめちから」を焼いてみたいと思っていました。いえ、そうブログに書いてしまったのです。

 1週間ほど前、郵便屋さんが小包を届けてくれました。なにかな?開けてみると、「100%のゆめちから」が入っています。私が書いたちいさな言葉も逃さずに友人は、送料の方がうんと高くつくにもかかわらず、「100%ゆめちから」を送ってくれました。

  さあいよいよ、「100%ゆめちから」でプルマンローフを焼きます。

 先日の「ゆめちからブレンド」で感じたのは親水性がいい粉だということです。水は、少なめに加えてみます。プルマンローフの生地は、かなりべとつき気味に仕上がります。一次発酵では、やはり、縦にも横にも伸びる特性があります。蓋を閉めて焼くプルマンローフは、1次発酵の状態で、2次発酵の時間を決定しますが、時計より自分の目の方が正確です。焼成の為にオーブンに入れるタイミングが、きちんと角があるプルマンローフを作ります。

 この「100%ゆめちから」、こねている時から香りがたってきます。1次発酵の後ボールからすくいあげる時にも、甘い香りです。以前のブレンドでは、この香りがありませんでした。

  持ち重みのあるプルマンローフです。焼きたては普通、外はやや固めですが、ゆめちからで焼くと耳まで柔らかに焼き上がります。気泡の大きさも、上に向かうの生地の延びも見事です。

 お味は、どちらかというと甘く感じる(砂糖の甘さではありません。)パンに仕上がります。おそらく、ゆめちかという小麦が持つ甘みです。こね、焼成、焼き上がった後もいい香りだったこのパンですが、やはり、食べると香りが薄く感じます。これも、ゆめちからの特徴です。初めに噛み切った時に、小麦のはじけるような香り、欲を言えばその力強さに欠けています。これは、北海道と北米の土壌の違いから来るものでしょうか。

 「ゆめちから100%」のプルマンローフ、日本人のようにホンワリしたパンです。もちろん、バターもお水も日本のもので焼いてみました。

 こんな貴重な体験、いつも心にかけてくれてありがとう。

 

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寶林寺 大仏 香港

2014年03月18日 | 日々のこと

曇、19度、97%

 昨日は、私の誕生日と孫の一月目お祝いでした。この歳までほんとに健康でいられたこと、孫のこれからの成長を願いに、香港ランタオ島の寶林寺の大仏を参ることにしました。

 寶林寺の大仏は、私が香港にきてから出来たもので、まだ、20年くらいの建造物です。一時は、世界一大きい座像などといわれましたが、今や中国の新興大仏像に押しのけられて、大きさではさしたるものではなくなりました。ランタオ島は空港のある島ですが、香港島よりも大きく中央を走る山は深い緑をたたえています。その峰のひとつにあるのが寶林寺の大仏です。天気のいい日には、飛行機の離着陸の時に見ることも出来ます。以前は、ここまで行くのに半日仕事でした。地下鉄の完備、自動車道の整備が進み、空港隣のトンチョンからはロープーウェイも出ています。実は3年ぶりのお参りです。以前は、決まって旧正明けに参っていました。ちょっとご無沙汰していると、なんと、途中の道はガードレールが出来て離合待ちをすることもなく、2車線になっています。バスの離合待ちをするのに、崖っぷちに車を寄せる必要がなくなりました。それに、ランタオ島名物の自然にいる牛や水牛たちが、道を歩いている姿も減りました。カーブを曲がると牛の群れ、などという、急ブレーキも要りません。それでも、 のんびり草を食んでいます。

 着くとびっくり、 こんな門が出来ています。あらこれでは、中国の新興の観光地ではありまあせんか。以前は、ほんとにのんびりとした山間のお寺が、今や世界中からやって来る観光客のために、味気ないものになってしまっています。聞こえてくる言葉も、マンダリンのみならず、インド、スペイン、フランス、韓国、イタリア、英語に?どこの言葉かな。

 門の中は犬は禁止と書かれていますが、 いました、いました。ここの出店の人たちが放し飼いにしてる犬たちです。なぜか大きな犬ばかり、ここの来る楽しみのひとつです。

 大仏の拝観料は要りません。ただ、座台の下の仏舎利が納骨堂兼博物館になっていて、そこへの入場料は必要です。108ある階段を上ります。曇り空と逆光で大仏の顔がよく見えないのですが、深い眼差しが下から上る人たちを見据えています。

 家族それぞれに干支の水晶で出来たお守りを求めるつもりでしたが、この3年で、姿を消していました。求めたのは、息子の家のお守りだけ。

 大仏から下を見ると、 山間の家々が点在しています。懐かしい古い香港の建物がまだ残っています。大仏を下ると、右手が寶林寺です。 2度ほど行きましたが。もっぱら大仏のみで戻ってきます。お寺の中では、精進料理が振舞われます。お金を出すコースと、気持ちばかりのお金をおいて行くコースに別れています。昨日も、寺には行かず、犬たちに挨拶しながら戻ってきました。

 ランタオ島も、空港が出来、こうして観光地化され、人が住む高層マンションの開発も進んでいます。それでも、寶林寺まで来ると、空気は澄んで新芽の香りが満ちていました。私の新しい歳の一日目でした。

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57歳になりました。

2014年03月17日 | 日々のこと

曇、18度、94%

 おかげさまで57歳を迎えることが出来ました。この一年もまた、風邪もひかず、病院のお世話になることもなく過ごすことが出来ました。そして、初孫も元気にひとつきです。

 毎年この日に、一番感謝をするのは母です。私も自分が母となり、以来、母に感謝するようになりました。いつも遠く離れていますから、電話で「お母さま、ありがとう。」と私が言うと、母は決まって「真奈さん、おめでとう。」と声が返ってきました。母が施設に入って以来、ここ3年は電話をとることが出来ませんので、お世話してくださる方に伝言します。母からの言葉は返ってきません。そして、その母が亡くなってちょうど7ヶ月が過ぎました。私をこの世に生み出してくれた母がいなくなったのだと、この7ヶ月にしてはじめて、その喪失感を味わいました。決して、仲のいい母娘ではありませんでした。いえ、確執、葛藤の多い親子関係でした。

 今朝は、走りながらまだ明けやらぬ空に向かって、「お母さま、ありがとう。」と声を出して言ってみました。私には、「真奈さん、おめでとう。」と母の声が聞こえます。

 この一年、母をなくしましたが、息子にはお嫁さんが来てくれました。そして、ありがたいことに孫まで授かりました。母は、息子のお嫁さんにも会いました。母にとってはひ孫の誕生することも知って逝きました。私にとっては鬼門の母でしたが、息子にはほんとに甘い母でした。結婚の報告も、孫が出来たことも、私が告げると、子供のように小さな顔をくしゃっとして喜んでくれました。

 ああ、こうして人の営みは巡って行くものだと思います。これは男の人にはわからないかもしれません。子供産むことが出来る女が持つ輪廻感です。

 さあ、毎年書きますが、今日が私にとっての元旦。この一年をどう生きて行くか、来年のこの日を少しでもよく迎えることが出来るか、今日は一日ゆっくりと考えてみたいと思います。

 息子が家を離れて、20年。主人との生活は、親と過ごした時間の倍以上になりました。いつも、一番側で見守ってくれている主人に、ありがとう。その主人とモモさんと3人で昨日は散歩に出ました。香港は、花、新芽の季節を迎えています。母が好きだった、ネズミ餅の花が咲き始めています。母がネズミ餅と私に教えてくれたのですが、実はどうも違う名前の木のようです。それでも、この花が群れて咲くのを見ると、早春に菜採に母と出かけた夕方、ほの白く見えるこの花のかおりを思い出します。

 

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ジャスミンティー

2014年03月16日 | お茶

曇、16度、62% 

 香港の飲茶屋さんに日本人ばかりで行くと、こんなことがあります。特に観光客とお店の人が思った場合です。席に案内されると、普通は何のお茶にしますか?と尋ねるウェイターさんが、観光客とおぼしき日本人には何も聞かずに、ジャスミンティーを持ってくることがあります。地元の香港人、一般的にはポーレイティー(プーアールティー)です。確かにポーレイティーは、カビ臭くて色も濃く、はじめての方は随分とびっくりなさいます。中国茶といえどウーロンティーばかりではありません。地方によって、飲むお茶も違ってきます。香港の飲茶屋さんやお茶屋さんは、日本人がジャスミンティーを好きだと信じているようです。

 我が家は、中国茶をよく台湾の方から頂きます。お茶は投機の対象にもなるほど、高いものは信じられないような値段がついています。当然、お土産で頂くお茶は、とても値段のいいものに違いありません。封を切って、中の葉っぱを見ただけである程度の等級がわかります。日本茶と同じく、お茶の葉先、新芽を使ったものは、お高いものです。プーアールティーにいたっては、それをまた永年寝かせるとお値段が高くなります。台湾のお知り合いは、なぜかジャスミンティーばかりはお土産にくださいません。

 ふとした時に、ジャスミンティーがとても恋しくなります。味ではありません。やはり、あの香しい香りです。近くのスーパーででも、簡単にティーバックが手に入りますが、そんなに上等でない普通のルーズリーフのジャスミンティーを自分で買って来ます。 白く見えるのがジャスミンの花です。中国茶は、何もかも熱々にして、葉っぱが開くのを待ちます。中国茶にも茶器のセットがありますが、景徳鎮の螢の湯のみ、日本の小ぶりな急須、茶壺はイギリスのものと、かき集めの茶器たちです。

 

 熱いジャスミンティーの香りを胸まで吸い込むと、いつも同じ場所を思い出します。

 以前、この香港で私は家庭教師の仕事をしていました。家庭教師ですので、教え子たちの各家庭を廻ります。22年間で教えた子供の数も100名近く、伺ったご家庭も70軒ほどでしょうか。その中でも、5年近く教えた子供がいます。彼女の家は、日本人が密集している場所からほんの少し離れたところにありました。門のところに管理人のおじさんがいて、門を開けてくれます。マンションの入り口は自動ドアーでした。ドアーが開くと、人気のない広いエレベータールームには、静かなジャスミンティーの香りがします。暑い時期は殊更に、冷たい空気とジャスミンティーの香りが迎えてくれるのが、何よりの楽しみでした。まだ、啓徳空港があった頃のことです。空港近くのマンションは、いずれも低層で、彼女のマンションはフラットも広く住民も少なかったように覚えています。

 日本のように、芳香剤などではありません。ジャスミンティーの匂いの元はどこかしら?いつも不思議でした。普通のマンションは、このエレベータールームに管理人のおじさんがいます。ところがここは門にいるだけで、エレベータールームには、人の気配すらしません。静かなエレベータールームでした。

 少し離れたところにある彼女のところは、いつも一番最後の授業です。他の子供のところから、10分近く歩いく内に、いつも思い浮かべるのは、あのジャスミンティーの香りでした。なん軒かの家を廻って、ああ、これで今日の最後の仕事、ジャスミンティーの香りが私を寛がせてくれました。

 結局、あのジャスミンティーの香りの出所はわからないままです。広くて、少し薄暗いエレベータールームを満たしていた静かな香りが、時折ジャスミンティーへと私を誘います。

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マカロンパリジェンヌ

2014年03月15日 | 菓子

曇、15度、77%

 先日、若い友人と香港のマカロン談義に花が咲きました。香港でも、日本同様ここ数年マカロンが人気のお菓子です。しかも、本場フランスのお菓子屋さんがこぞって出店しています。我が家から歩いて15分圏内に、ラデュレ、ジャンポールエヴァン、ピエールエルメのお店があります。どの店も出来たばかりの頃は、行列ができていました。あんなに高いお菓子を買うのに若い香港人女性たちが並びます。ああ、香港も豊かになったものだと感心します。私はといえば、実はマカロンを買ったことがありません。もっぱら、頂き物。あの甘い甘いマカロン、フランスの伝統的なお菓子です。でも、甘過ぎますね。口に含むとホロッとアーモンドの香りがして、ねっとりとパリッとが絶妙に口の中に拡がる、なんとも魅惑的なお菓子です。

 フランスには、マカロンと名のつくお菓子が沢山あると聞きました。私たちがもてはやしているマカロン、正式にはマカロンパリジェンヌと呼ばれています。まあ、カラフルなところといい、なんともフォトジェニックなそのかわいい様は、パリジェンヌと呼ぶのにふさわしい気がします。 実は20年ほど前に、このマカロンを作ったことがありました。卵白を泡立ててメレンゲを作ります。その時の砂糖の量の多いこと。確かに、溶けるような軽やかさは、いいのですが甘過ぎます。フランス菓子は、甘い、重い、しっかりとした骨組みがあるお菓子です。そして、老若男女を問わず、フランス人は甘いお菓子を喜んで食べています。

 どうしたことか、3日前に急にマカロンを作ってみたくなりました。食べたくなったのではありません。もちろん、作ればお口にポイと入ります。家にあるものだけですぐ作れます。卵白、粉砂糖、アーモンドプードル。でもなんだか緊張気味。丸く同じ大きさに絞るのは、難しそうですね。たった卵白で2個で、なんと、30組のマカロンを作ることになりました。

 マカロン、生地の周りに小さくフリルのようなものが焼いている間に出来てきます。ピエと呼ばれるものですが、オーブンを覗き込んでいると、 ピエは徐々に付いてきます。あー、面白い。

 久しぶりにしては上出来です。外側のパッリと、中はモッチリ。これって、フランスパンにもつながる食感です。色出しが、今ひとつです。お菓子屋さんのそれのように、くっきりはっきりしなくても、もう少し、柔らかい色付けをと思っています。いやいや、しばらくはマカロン作りに凝り固まりそうです。実に面白いのです。

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モンティ君、ひさしぶり!

2014年03月14日 | もも

小雨、16度、85%

 香港、例年この季節は朝から霧が立ち込めたようになります。昨日の朝は湿度100%、雨も降っていました。ところが昼前から、晴れ間も出て湿度がグングン下がりました。気温21度。夕方前に雨がきたにも関わらず、なんとも散歩にはうってつけです。私ももう半袖。いつも、散歩はモモさんが行くがまま、昨日は山向きの一番長いコースをとりました。この道が歩けるのもあとひと月ほどのこと、暑くなったらもうやって来ることが出来ません。ぐるっと山道を下りて、車の多い道に出ました。後15分ほどで我が家です。暗くなり始めた道の向こうに、あら、モンティ君が。ちょっと疲れ始めたモモさんですが、モンティ君と聞くや、シッポを立てて小走りになりました。

 ブルドックのモンティ君、モモさんの幼なじみの一人です。パグのマックス君、ピーグルのルーポス君、そしてモンティ君とモモさんは、1歳になる前からの散歩仲間です。全員香港生まれの10歳です。いま香港にるのは、モンティ君とモモだけです。マックス君もルーポス君もアメリカに連れて行かれました。モンティ君は3回引っ越しをして、今は我が家からちょっと遠くに住んでいます。モンティ君とモモさんが会うのは、なんと3年ぶりのことです。

 初めて会った頃は、モンティ君とモモさんそんなに変わらない体型だったのに、ぐんぐんモンティ君は大きくなりました。小さい頃は会うと戯れ合っていましたが、流石に昨日はクンクンと挨拶をするだけです。大人の再会です。モンティ君の様子がおかしいなあ思っていると、後ろ足を骨折して、長時間歩けなくなったそうです。後ろ足に負担をかけないために、随分ダイエットしたようです。前にあった時は、お腹が地面に付くほどの太り様でした。

 モモさんたちがよく遊んでいた道には、モモさんを嫌いなハスキー犬もやって来ます。モモさんを見ると飛びかかろうとします、男の人が散歩させているのですが、かなりの力強さです。そんな時、モンティ君はモモさんの前に出て、ウーッと歯茎をみせて唸ってくれました。

 モンティ君は初めの引っ越しのすぐ後から、かなり凶暴な犬になりました。他の犬に向かって行きます。体格の一番大きかった頃です。そんな時でさえも、モモさんにだけはいつもクンクンと顔を寄せてきました。

 昨日も、ひとしばらくクンクンとした後で、またね、と別れたのですが、急に、次にいつ会えるともわかりません。急いで戻って、二人の写真を撮りました。

 10年前の可愛かった頃のモンティ君とモモさんの写真はありません。あの頃の携帯は、写真機能が付いてませんでしたものね。

 後ろ足を引きずって歩くモンティ君を見送りながら、今度この二人はいつ会えるのかなと思います。モモさんは、確かにモンティ君を覚えています。そして、ずっと思って来たのですが、犬たちにも友情があるのだと信じています。

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近江八幡のお菓子

2014年03月13日 | 日々のこと

雨、19度、100%

 続けざまに近江八幡のお菓子をお土産に頂きました。

 最初は、栗のお菓子。たねやというお店の「栗月下」。ずっと以前に同じお店の「西木木」という栗のきんとんを頂いたことがありました。この「栗月下」栗羊羹のようですが、 切り口を見ても解るようにホロッと崩れるような栗羊羹です。寒天でつないだ羊羹ではなく、栗ばかりを使った甘みも自然なお菓子です。そういえば「西木木」もほろりと崩れるようなきんとんでした。栗の菓子といえば、小布施のものばかりを思い浮かべるのですが、日本各地に美味しい栗があると思われます。ここ、香港で食べられる中国産の栗は、ホックリしていません。甘みは強いのですが、やや練っとりとした栗です。でんぷん質のさらさらを感じさせないのは幾度か食べたフランスの栗も同じ事。栗をペーストにした時の色が、日本の栗のように、黄色くありません。ねっとりの栗は、ケーキのモンブランのように茶色が勝った色合いです。「栗月下」あっさりとしているので、ついつい食べ過ぎてしまいそうです。はい、もちろんお茶の番をしてくれていた方にも、少し分けてあげました。

 次にただいたのが、クラブハリエというお店のバームクーヘンです。 バームクーヘンばかりは家では作れません。いえ、亡くなった串田孫一さんがフライパンを使ってバームクーヘンを作っていましたが、なんだか気の遠くなるような時間がかかります。バームクーヘン、実は、私の大好物です。それを言ってしまうと、皆さんしっかりと覚えていてくださって、お土産にしてくださいます。言ってはいけないと思いつつ、こうして白状してしまいました。バームクーヘンもこうした大きいホールのものが、乾燥しないのでしっとりとして美味しく感じます。このぐらいの大きさのバームクーヘンなら、一遍で食べてしまいそうです。ぐっと我慢をして、主人にも残しておきましょう。 クラブハリエのバームクーヘン、丁寧に作られています。しかも、保存法、夏冬の食べ方の違いなど、細かく書かれています。美味しく食べてもらいたい、そんなお店の気持ちが伝わってきます。

 近江八幡は、まだ行ったことのない街です。そして、ずっと行ってみたいと思っている街でもあります。琵琶湖東のこの街、ヴォリースという人が建築した建物があります。ヴォリースは建築家でもありますが、メンソレータムの会社を創立した人でもあります。ヴォリースの建築物は関西一円にあるのですが、ここ近江八幡には、住宅が残されていると聞きました。私が育った福岡にも西南学院の博物館は、ヴォリースの作だ言われています。昭和の初期、アメリカ人ヴォリースが、宣教も兼ねて建築の手がけたそんな足跡を近江八幡に見に行きたいと思っています。

  こんな美味しいお菓子もある近江八幡です。ところがこの「たねや」と「クラブハリエ」は実は同じ会社だと知りました。地方都市にはよくある、和菓子も、洋菓子も手がけるお店です。しかも、クラブハリエの店舗のひとつは、ヴォリースが手がけた建物だそうです。ここで一気に、近江八幡への思いがまたしても膨らみ始めました。

 いつものことですが、私のちいさな世界観は、身近な食べ物や花たちの先に拡がって行きます。食べ物や花は、私にとっては世界への窓です。

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オロという猫

2014年03月12日 | 日々のこと

雨、16度、97%

 昨日、我が家のモモのために買ったダイソンの掃除機が壊れた話を書いたところ、4匹の猫と生活している友人からコメントが入りました。4匹の猫ね、羨ましいなあと思いながらコメントに返事を書いているとき、急にあることを思い出しました。いえ、ある猫のことを思い出したのです。

 我が家が香港にやって来たばかり、随分昔です。来て3ヶ月目ぐらいのことです。少し生活にも慣れました。でも、はっきりいって、右も左も今考えると解ってはいない状態の頃です。朝の市場通いの帰り道、猫がかんかん照りのところでうずくまっているのを見つけました。毛はボサボサ、やせこけた体にははっきりと骨が皮の下に感じられるほどです。目は閉じたまま、胸で大きな息をしていました。間違いなく病気です。どうしてやることも出来ません。地元の香港人は、そんな猫などに見向きもしません。当時の我が家は、動物を飼うのが許されていないマンションに住んでいました。ぐっと、気持ちを押さえつけて、一旦家に戻ったのですが、どうしてもその猫のことが気になります。大きなかごと、古いバスタオルを用意しました。もしも、まだ、同じ場所にいたら、連れてくるつもりです。

 案の定、先程よりまだ日差しが強くなった同じ場所から動けずにいます。タオルに包んでも身動きすらしません。そのまま、かごに入れ、入り口のウォッチマンにも咎められずに家に着きました。最初に見た時から解ってはいましたが、お腹に大きなしこりがあります。水を口に含ませて、様子を見る日が続きました。排泄もほとんどしませんが、時折歩くようになりました。その姿が、オロオロと見えるので、オロと名付けました。ミルクをぺちゃぺちゃと音を立てて飲めるようになりました。それでも、固形物は食べることが出来ません。お腹の腫瘍は依然そのままです。香港に来てはじめての夏休みはこうして、このオロとの生活でした。

 オロと呼べば、少し頭をもたげますが、ほとんど寝たっきり。まだ香港に来て間もないものですから、友人知人も少なく、生き物を飼っている人も知りません。7月の初めごろに我が家に来たオロは、少し元気になったかのようでしたが、8月の半ば過ぎには、ほとんど食べれなくなっていました。

 当時香港には、R.S.P.C.A.といって動物保護団体がありました。今でも、頭のR(ロイヤル)がなくなって継続している団体です。数日考えた私は、オロを引き取ってもらおうと、R.S.P.C.A.に電話を入れました。息子にも、オロを預けるとはどういうことかを話しました。そして、夏休み最後の8月31日、連れて来た時と同じかごにオロを入れて、息子も一緒にR.S.P.C.A.を訪ねました。

 ちいさな診療所の奥からは、犬や猫の鳴き声が聞こえます。白人の女性の獣医さんがオロを診てくれました。彼女が首を振って、もう助からないから、注射をするけどいいか?と聞いてきました。来る前からこうなることは解っていました。出された同意書にサインをして、もう目も開かなくなったオロの体をさすって別れました。

 いまでも、S.P.C.A. は同じ場所にあります。オロが行き倒れていた場所も時折通ります。オロのことをふと思い出すことはあっても、こんなに鮮明に記憶を辿ったのは久しぶりです。私ですら遠い記憶の仲にあるオロのこと、ましてや主人や息子は忘れてしまっていると思います。

 こうして振り返ってみると、オロという病気の猫が、我が家が香港ではじめて一緒に生活した動物でした。

 猫好き犬好きと区別する方もいますが、私が育った家には犬も猫もいました。我が家も、日本で暮らしている時は、犬も猫も一緒でした。家族3人の中で、動物のノミが付くのは私だけです。それでも、拾って来たばかりの猫といつも一緒に寝るのは私です。久しぶりに、猫の温もりが恋しくなりました。

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