マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

お彼岸の『とげぬき地蔵』

2008-03-20 22:25:22 | 鉄道以外の写真ネタ
今日はお彼岸の中日、春分の日。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、これまでの春を越したような陽気に比べて、今日はなんと寒かったことか。

我家の恒例で、お彼岸は我が本家と女房の実家のお墓参りに行っています。
我が本家のお寺はお隣の戸田市内にあり、早ければクルマで10ほどの近いところなのですが、女房の実家のお墓は、地蔵通りの入り口にあります「真性寺」というお寺なので、大体は女房のお母さんと現地待ち合わせで、お墓参りの後に『とげぬき地蔵』にお参りし、昼食を摂って帰るというのが結婚して以来のパターンとなっています。

いつもはお彼岸であろうと無かろうと、休みの日の「地蔵通り」はジジババたちで大変な混雑なのですが、予想通りといいますか、今日は通りも閑散といった感じです。
毎度毎度ですが、歩きの遅いジジババたちにぶつかりそうになったり踏み付けそうになったり、ある意味大変危険な場所ですし、生来人混みが嫌いな私としてはどうしても好きになれない場所です。ですから、こんな雨の日は面倒ではありますが、安心して歩くことガできるのです。




いつもの活気が全く感じられない「地蔵通り商店街」。
人通りはそれなりにあるものの、殆どが地元生活者たちという感じで、巣鴨駅へ向かう人、帰ってくる人たちばかりのようです。



いつもは3つ折の行列となる観音様(通称:洗い観音)。
今日はご覧のとおり、順番待ちも最大5分程度でしょうかね。
ちなみに私は一度も並んだことがありません。一度アタマの辺りでも洗っておいた方が良いかな・・・。


なんで行列が少ないかと言うと、境内自体がこんな感じだからです。つまり、今日は殆どのジジババは家でゆっくりしているのでしょう。
正解です。無理をして風邪引くより、今日は家でご先祖さまを供養していた方が良いですよ。

この後、家族でラーメン定食を食べ、家路に着きました。
道路も一部大通り同士の交差部分で若干の渋滞がありましたが、概ね空いていましたね。お彼岸はいつも渋滞と人混みでウンザリするのですが、今日はあまりストレスを溜めずに帰って来ました。
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ED60:大糸線

2008-03-20 00:20:24 | 国鉄・JR機関車(直流型)
このところスキャニングが滞ってしまい、ネタが中途半端で悩んでおります。
さてどうしたものか・・・。

どれもが完結しない内容なので、構成に困るんですよね。

そんな中で、これ以上出てこなさそうなのがあったので、ED60型電気機関車の画像をお届けいたします。

直流型新性能電気機関車の始祖となった機関車です。
D型だし小柄で出力はそれほど大きくありませんが、後の強力型貨物機や高速型機関車のお手本となるカマです。

ED60とED61は非常に似た形態のカマですが、勾配線区向けのED61が回生ブレーキを搭載するのに対して、平坦線区用のED60はコレといった装備がありません。その関係で、ED60はED61に比べて車体長が1.3mも短くなっています。

ED60は線区・線路の特性から阪和線で重用されましたが、一部は大糸線(電化区間)の貨物列車の牽引で活躍していました。

では、大糸線で活躍していた頃の写真をご覧下さい。


昭和56年7月22日 ED601 トップナンバー車

新製配置から唯一大糸線を離れなかった機関車です。



昭和56年7月22日 ED603牽引の貨物列車


昭和56年7月22日 ED603のサイドビュー

3号機は、阪和線や甲府など何回か異動していたようです。


大糸線の旧型国電を撮影に行った際にキャッチしたもので、出逢いはこのとき限りでした。
旧型国電廃止後も少しの間残っていたようですが、貨物合理化に際して全廃。飯田線で余剰となったED62と交代して引退しています。

交流機ED71と限りなく似たスタイルのED60。カッコ良いというよりは、コンパクトで可愛いヤツでした。
コメント (6)
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