マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

都営バス「オリンピックを東京に!」:大丈夫ですかね石原さん

2008-03-21 21:13:05 | バスの写真館
ちょっと久し振りのバスネタです。

昨日、お彼岸の墓参りで巣鴨に行き、その様子をアップいたしましたが、昼食のお店を物色しているとき白山通り(国道17号線)で都営のラッピングバスを見つけました。

国道17号線を挟んで地蔵通りと真反対側に都営バスの巣鴨営業所があります。
家族連れなのでまだ1度もお邪魔したことはありませんが、営業所が近いことだけあって都営バスがバンバン通ります。

歩道を歩いていたとき、「あれオリンピックのだよ!貴重になるんじゃない?」・・・「へ?」・・・女房に言われて初めてバスに着目しました。
腹が減っていたし、良い店がなかなか見つからないのでバスなんか全然気にならなかったのですが。「撮っておいた方が良いんだ!」と思うまで1分くらい掛かってようやくカメラをスイッチON!運良く営業所への右折待ちだったので捉えることができました。






平成20年3月20日撮影 巣鴨駅付近にて

ラッピングバス大嫌い派の私がラッピングに着目して撮影するのは極めて珍しいことです。
オリンピック招致のオリジナルロゴに卓球の福原愛ちゃん。頑張ってスマッシュしてますね。

2016年オリンピックは強敵が多いようで、絶望視されている向きも多いような話です。むしろ、前評判の悪い今年の北京と争った方が確率的には良かったんでしょうか?

いずれにしても、開催国となるかどうか、現時点では分かりません。

2016年まであと8年もあります。果たして東京に、日本に招致することができるんでしょうか・・・幻のラッピングとなってしまうのか・・・石原さん、大丈夫ですかね?
コメント (6)
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キハ58系急行「ときわ」「奥久慈」

2008-03-21 01:35:09 | 気動車(急行・その他)
過去ログで修学旅行用のキハ58系800番代のご紹介をしたことはありましたが、気動車急行列車に特化してご紹介したことが無かった思いますので、今日は1発ご覧頂きたいと思います。

今日ご紹介いたしますのは、常磐線全線電化後も走り続けた気動車急行「ときわ」「奥久慈」です。
「ときわ」は451・453系を中心とした電車急行で、特急「ひたち」がキハ81系による1往復運転時代からも常磐線の優等列車として活躍していました。
電車急行であると同時に、水戸から水郡線に乗り入れている気動車急行「奥久慈」を伴って、これを併結した気動車急行としても歴史があります。
「奥久慈」は上野に乗り入れる水郡線からの唯一の列車であり、通年2往復体制をとっていましたが、多客期には臨時列車も増発されています。水郡線内では何れも途中駅まで急行運転であり、その先は普通列車となっていました。

では、架線の下を疾走していたDC時代の「ときわ」「奥久慈」をご覧下さい。


昭和55年頃 上野駅にて 常磐線快速ホーム11番線に停車中のDC急行「ときわ」

時代によって変遷があるようですが、上野駅の11・12番線は京浜・山手ホーム同様に嵩がありますので、ステップ付きの車両は入口の1歩目が落ち込むため危険なんですよね。私がバイト時代に臨時の「ときわ」「奥久慈」が11番線発だったので、この写真も臨時かもしれません。旅客誘導中に何人かステップに足を引っ掛けて転びそうになった人がいましたな。



昭和55年頃 上野駅にて 上野駅を発車したDC急行「ときわ」「奥久慈」

上の写真の列車が発車したシーンと思われます。この時代でも上野発のDC急行は非冷房車が多かったのですが、関東のみを運用する水戸区には冷房車が中心に配置されていたようですね。同じ時代の「おが」や「いいで」「ざおう」と随分格差のある編成です。



昭和56年5月頃 常磐線 新松戸駅にて 快速線を疾走するDC急行

常磐快速線はこの区間でも95~100km/h運転していましたので、DC急行も結構カッ飛んでいましたね。



昭和56年8月30日 常磐線 新松戸~北小金間にて 下りDC急行

これは新松戸駅近くの築堤をよじ登って撮影したものです。未だ循環タンクの付いていないトイレの列車が走っていたので、実はこのアングル、ある意味命がけです。
今ではこんなところをよじ登ることすら出来ないんでしょうね。



昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて

この区間は交流区間ですが、DCだから「そんなの関係ねぇ。」

この翌年の昭和58年には、急行「奥久慈」は常磐線内のみとなり、水戸からは普通列車という直通しているだけの役割となり、年を追うごとに衰退し、昭和60年3月改正でとうとう廃止となっています。

私は個人的に常磐線には縁がなかったので、当急行列車には乗ったことはありませんが、その昔は編成中にキハ55も組み込まれており、注目していた列車でした。
しかし、現実にはバイト中に臨時の「奥久慈」にキハ55が3両連結されているのを見たことがあるだけで、晩年の定期急行はキハ58系に統一されていたようでした。
結果的に混成列車を撮ることができなかったのが非常に残念でした。
コメント (11)
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