マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

115系:東北本線の短編成普通列車

2010-03-19 00:13:00 | その他電車
こんばんわ。

今日は歴史的地味ネタを一つ。

東北・上越新幹線の開業に伴い、日中の特急列車が撤退して線路容量に余裕が出来た東北・高崎線においては、閑散時間帯の普通列車の大増発が行われています。いわゆる「フリークエンシーサービス」と言われるもので、毎時○○分発とか、本数を多くして時刻表を持たなくても乗りやすくするというダイヤ作りですね。

これについては、東北・高崎線だけではなく、かなり全国の広い範囲でも実施されました。この施策が、日中の鉄道利用の旅客を多く集めるきっかけとなったことは間違いないと思います。

しかし、列車を増やすには様々な課題が残ります。それは、運転士・車掌といった乗務員の確保を始め、車両そのものを増やさなければ、実施することは出来ません。それには、より効率的な乗務員の運用の追求や、厳しい労働強化も行われたことでしょう。

では、車両の調達はどうしたでしょうか?
当時は赤字クローズアップの攻撃を受けていた国鉄ですから、新幹線関連以外には新製車両の投入というのはたかが知れていたので、「短編成化」により対応していました。
それまでは日中の閑散時間帯においても115系15連運用があったりしたのですが、これを、東北・高崎からの「上野直通」を原則11連又は8連とし、切り離された7連又は4連の車両を使って「大宮折り返し」の列車を多数設定したのです。

全国でもこのような増発が実施されたため、短編成化により先頭車が不足することとなってしまいます。サハからの先頭化改造や、113系との形式間改造、さらには、東北・高崎線7連の中間封じ込めとなっていたクハを中央本線普通列車から抜いたサハで置き換えるなど、短編成化を実施するための施策はこの頃採られるようになっています。

日中の列車大増発により旅客の呼び寄せが大成功となったのですが、このことにより短編成の大宮折り返し列車はメチャクチャな混雑を招くことになってしまいました。さらには、最低でも11連あった上野直通列車も、8連ともなるとラッシュ時のような混雑となります。



昭和60年7月28日 東北本線 栗橋~古河間にて(再掲)

7連化された東北本線の普通列車。中間にスカ色のサハが組み込まれていますが、元はこの位置にクハを連結している編成が非常に多く存在していました。逆に中央本線の115系はクモハタイプの115系であったため、1編成にサハを2両組み込んでいるという異色の編成でした。中央本線の普通列車からサハ2両を抜いて6連化し、これを東北・高崎線のクハと差し替えることにより、何両ものクハを捻出したわけですね。



昭和62年3月19日 東北本線 栗橋~東鷲宮間にて

国鉄末期ですが、相変わらず短編成の115系が走っています。ラッシュ帯を抜けた普通列車は、その両数を約半分にして走っていました。編成は身軽ですが、中に乗っているお客さんはたまったもんじゃありません。



昭和62年12月29日 東北本線 栗橋~東鷲宮間にて

こちらは4月1日を越えたため「JR」になってからですね。車体にもJRマークが貼付してあります。極めつけの4両編成。私も乗ったことがありますが、日中なのに恐ろしいほど混んでいたことを記憶しています。


大宮止まりの列車は、同様に高崎線にも存在し、ほぼ同様の輸送体系だったようです。
その後、211系の増備などにより車両不足は解消にされました。

年が進むと、東北・山手貨物線の旅客化が浮上し、なんと、池袋まで直通の乗り入れ列車が誕生します。さらには新宿まで延長開業し、東海道・横須賀線とのスルー運転が実施されるようになります。「湘南新宿ライン」の誕生です。

現在は、大宮止まりの列車が殆ど無く、湘南新宿ラインと交互様な形で東北・高崎線が運転されています。
それは当時の大宮止まりをそのまま延長したような感覚であり、フリークエンシーサービスから始まった「大宮止まり」の列車は、「湘南新宿ライン」誕生の布石となった、意義のある列車・施策だったと思います。

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コメント (6)
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