こんばんわ。
今日はレアネタです。
今は全国的にも虫の息になってしまったキハ30系ですが、その昔、首都圏における非電化区間での通勤輸送や地方都市におけるローカル線などにも幅広く使用されていました。
千葉地区で房総各線が非電化だった頃、無煙化により気動車化がいち早く進められました。その中には新鋭のキハ30系もあった訳ですが、一際目立ったのがオールステンレス車体のキハ35900番代でした。
登場当初は全てが塗装無しの銀色だったのですが、その後、霧が多い房総地区における視認性の向上のため、前面に赤帯が入れられました。
房総地区が電化されると、キハ30系たちは全国に散らばっていきましたが、とりわけステンレス製の900番代は川越線・八高線用として配置されたようです。
さらに、首都圏色(いわゆるタラコ色)がメジャーになるとステンレス車もタラコ色となり、晩年に相模線に転出した車両は、専用の相模線色にまでなっています。
そんなレアな車両であったキハ35900番代ですが、銀色時代に川越線で撮影したものがあります。
いずれも昭和52年1月頃に大宮駅において撮影したものと思われます。番号は不鮮明ですが、910番っぽいです。
隣に連結された車両も殆どがタラコ色に変更されてきていますので、標準の2色塗りも殆んど見たことがありませんでしたが、何故か銀車体だけは少し遅くまで残っていたようです。
ピンボケになってしまっているのは勿体無いですが、この時だけしか撮ることができなかった車両なので、私的には非常に貴重な資料となっています。
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今日はレアネタです。
今は全国的にも虫の息になってしまったキハ30系ですが、その昔、首都圏における非電化区間での通勤輸送や地方都市におけるローカル線などにも幅広く使用されていました。
千葉地区で房総各線が非電化だった頃、無煙化により気動車化がいち早く進められました。その中には新鋭のキハ30系もあった訳ですが、一際目立ったのがオールステンレス車体のキハ35900番代でした。
登場当初は全てが塗装無しの銀色だったのですが、その後、霧が多い房総地区における視認性の向上のため、前面に赤帯が入れられました。
房総地区が電化されると、キハ30系たちは全国に散らばっていきましたが、とりわけステンレス製の900番代は川越線・八高線用として配置されたようです。
さらに、首都圏色(いわゆるタラコ色)がメジャーになるとステンレス車もタラコ色となり、晩年に相模線に転出した車両は、専用の相模線色にまでなっています。
そんなレアな車両であったキハ35900番代ですが、銀色時代に川越線で撮影したものがあります。
いずれも昭和52年1月頃に大宮駅において撮影したものと思われます。番号は不鮮明ですが、910番っぽいです。
隣に連結された車両も殆どがタラコ色に変更されてきていますので、標準の2色塗りも殆んど見たことがありませんでしたが、何故か銀車体だけは少し遅くまで残っていたようです。
ピンボケになってしまっているのは勿体無いですが、この時だけしか撮ることができなかった車両なので、私的には非常に貴重な資料となっています。
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