こんばんわ。
絶不調のため予約投稿です。
先般、EF58174の画像をアップいたしましたが、いよいよラストナンバーの175号機です。
昭和56年8月頃 赤羽駅にて EF58175 単機
角度・構図とも悪いですが、おそらく貨物線を行く単機回送です。
東北新幹線の工事に伴い、赤羽駅を前後として貨物線が単線化されていた時期がありました。新幹線高架工事の足場を確保するためのものと思われます。
画面右側の不自然な空白域がその時代を物語っています。
昭和57年8月頃 大宮駅にて EF58175牽引 2321レ
175号機の牽引する最後まで残って有名になった客車列車2321レです。
2321レは、終点の高崎に到着後、321レと名前を変えて信越本線を長野に向います。さらに大休止の後、323レと名前を変え、22時半頃に新潟に着きます。上野からほぼ16時間を掛けて、信越線全線を走破する唯一の列車でした。上り列車もその逆パターンとなります。
175号機は、昭和33年7月28日落成の三菱製。新製配置は高崎第二機関区で、生涯最後まで異動が無かったようです。昭和57年11月9日付で廃車。
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先般、EF58174の画像をアップいたしましたが、いよいよラストナンバーの175号機です。
昭和56年8月頃 赤羽駅にて EF58175 単機
角度・構図とも悪いですが、おそらく貨物線を行く単機回送です。
東北新幹線の工事に伴い、赤羽駅を前後として貨物線が単線化されていた時期がありました。新幹線高架工事の足場を確保するためのものと思われます。
画面右側の不自然な空白域がその時代を物語っています。
昭和57年8月頃 大宮駅にて EF58175牽引 2321レ
175号機の牽引する最後まで残って有名になった客車列車2321レです。
2321レは、終点の高崎に到着後、321レと名前を変えて信越本線を長野に向います。さらに大休止の後、323レと名前を変え、22時半頃に新潟に着きます。上野からほぼ16時間を掛けて、信越線全線を走破する唯一の列車でした。上り列車もその逆パターンとなります。
175号機は、昭和33年7月28日落成の三菱製。新製配置は高崎第二機関区で、生涯最後まで異動が無かったようです。昭和57年11月9日付で廃車。
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当初からツララ切りと汽笛カバー、スノープロー装備だったんでしょう。
16番では上越最終型と称して173~175号機をモデル化製品も出ましたが9ミリではどうだったんでしょう?
ところでこの列車、勿論尾久持ちと思いますがそれにしてもすごい運用ですね。
大昔はもしかして新潟まで直通運用だったのかもしれません。
Nはここ数年まったく研究していないので、発売されたかどうか分かりません。バリエーションが多過ぎる形式なので、メーカー側も選定に頭が痛いでしょうね。特定機なら目立ちますけど。
客車もこの頃はまるで研究していませんでしたので、全貌はちょっと分かりませぬ。昔は奥羽本線経由の青森行きが何本も出ていたくらいですから、本線踏破の列車はあったと思いますよ。