こんばんわ!
100000ヒット達成!
いやぁ、ありがとうございます。ブログを始めてほぼ20ヶ月、まさかこんなにアクセスをいただけるなんて、誰が予想したでしょうか。
ここまで続けられたのも、このブログに遊びに来ていただき、応援のメッセージやランキングポチをいただいた皆様のお陰でございます。
数えてはいませんが、アップした写真も3000枚は超えているのではないですかね。ストックしているネタは段々少なくなってきましたが、新規の撮影も含めるとまだ暫くは行けそうですし、スキャンを見送っているネタも少々ありますので、時間を見ながら作業をしていきたいと思います。
さて、そもそもこのブログを立ち上げようとしたきっかけは、跡継ぎの期待が出来ない我家で、今まで私が生きてきた証でもある鉄道写真や切符など、私が死んだ時に全部燃されて灰になっては勿体無いし私が可哀想過ぎるので、どこかでこれらの資料をばら撒きたいと言う想いからでした。
そして、ブログの題名やコンセプトを考える時、私が国鉄職員だった特権を前面に出せば、ブログを見てくれる人が多くなるかな?と思っていたんです。
でも、実際にはこの1年8ヶ月の間、殆どそのような機会も無く過ぎてしまいました。
そのようなことをしなくても大勢の方が集まってくれたからに他なりません。
しかし、このまま放っておいては、当初のコンセプトが崩れてしまうことになるので、スキャンの準備もできているし、100000HITをきっかけとして始めようと思ったのです。
それがこの大宮操車場です。
初回なので、画像をクリックするとかなり大きくなるようにセットいたしました。
現在は、さいたま新都心として開発され、新駅の設置、国の合同庁舎やさいたまスーパーアリーナなど、高層の建物により大発展した地域です。しかし、その実態は、見渡しても端の見えない広大な操車場でした。
私は、この写真の手前に大きく広がる群線を所管する阪埠(ハンプ)部に所属し、画面の右半分に属する下りハンプの構内入換手として働いていました。
この写真1枚でも、説明するには相当な時間が掛かってしまいそうなので、組織や施設、構内の様子、車両など、今後アップするごとに少しづつ解説させていただこうと思います。
ちなみに、写真は群線の大宮寄りに建っている照明塔によじ登って、上野方面に向かって撮影いたしました。もちろん無許可です。
この写真を使って説明させていただきますと、○の付いた位置まで上っています。命綱なんて持っていませんから、もちろん素上りです。さすがに一番上まで行くとかなり細くなっているので、怖くて行けませんでした。
このシリーズは不定期となりますが、カテゴリを一番下に作りますので、ここを見たときに出来るだけ話が解かりやすいようにアップして行こうと思います。
今後もお付き合いの程、よろしくお願いいたします。 鉄道ブログランキング
100000ヒット達成!
いやぁ、ありがとうございます。ブログを始めてほぼ20ヶ月、まさかこんなにアクセスをいただけるなんて、誰が予想したでしょうか。
ここまで続けられたのも、このブログに遊びに来ていただき、応援のメッセージやランキングポチをいただいた皆様のお陰でございます。
数えてはいませんが、アップした写真も3000枚は超えているのではないですかね。ストックしているネタは段々少なくなってきましたが、新規の撮影も含めるとまだ暫くは行けそうですし、スキャンを見送っているネタも少々ありますので、時間を見ながら作業をしていきたいと思います。
さて、そもそもこのブログを立ち上げようとしたきっかけは、跡継ぎの期待が出来ない我家で、今まで私が生きてきた証でもある鉄道写真や切符など、私が死んだ時に全部燃されて灰になっては勿体無いし私が可哀想過ぎるので、どこかでこれらの資料をばら撒きたいと言う想いからでした。
そして、ブログの題名やコンセプトを考える時、私が国鉄職員だった特権を前面に出せば、ブログを見てくれる人が多くなるかな?と思っていたんです。
でも、実際にはこの1年8ヶ月の間、殆どそのような機会も無く過ぎてしまいました。
そのようなことをしなくても大勢の方が集まってくれたからに他なりません。
しかし、このまま放っておいては、当初のコンセプトが崩れてしまうことになるので、スキャンの準備もできているし、100000HITをきっかけとして始めようと思ったのです。
それがこの大宮操車場です。
初回なので、画像をクリックするとかなり大きくなるようにセットいたしました。
現在は、さいたま新都心として開発され、新駅の設置、国の合同庁舎やさいたまスーパーアリーナなど、高層の建物により大発展した地域です。しかし、その実態は、見渡しても端の見えない広大な操車場でした。
私は、この写真の手前に大きく広がる群線を所管する阪埠(ハンプ)部に所属し、画面の右半分に属する下りハンプの構内入換手として働いていました。
この写真1枚でも、説明するには相当な時間が掛かってしまいそうなので、組織や施設、構内の様子、車両など、今後アップするごとに少しづつ解説させていただこうと思います。
ちなみに、写真は群線の大宮寄りに建っている照明塔によじ登って、上野方面に向かって撮影いたしました。もちろん無許可です。
この写真を使って説明させていただきますと、○の付いた位置まで上っています。命綱なんて持っていませんから、もちろん素上りです。さすがに一番上まで行くとかなり細くなっているので、怖くて行けませんでした。
このシリーズは不定期となりますが、カテゴリを一番下に作りますので、ここを見たときに出来るだけ話が解かりやすいようにアップして行こうと思います。
今後もお付き合いの程、よろしくお願いいたします。 鉄道ブログランキング
その記念としての大宮操車場特集は、大宮に生まれ育った私にとってひじょうに嬉しい限りです。
私がかつての大宮に住んでた時には、ひっきりなしに機関車の汽笛を聞いてたものであり、夜の汽笛は何処となく子守歌チックな感じだったと思います。
大宮始発の青い電車に乗って、与野ハウスをバックにした広大な操車場の大パノラマを見る事は、ほんとうに素晴らしい限りでしたけど、今となっては想い出と化してしまいました。
操車場の懐かしい写真を見てると、汽笛や貨車の音が聞こえてきそうな感じがするのは、果たして操車場の全盛を知る人たちでしょうか・・・・・・・・・!?
やはり埼玉に住んでいた私にとっても、大宮操車場は馴染みのあるところでした。
南浦和から大宮に向かう時には、必ず左側ドアにへばりついて眺めてました。
当時の輸送を担っていた車扱輸送、貨車の種類もこの時代は豊富で、戻れれば貨車を撮りたいです。
昨夜はポチ反映されてなかったのですか・・・・
本日、勤続30年の表彰で本社に行っちゃいますので、この朝ポチで勘弁を。
大宮の操車場はあまり馴染みがなかったのですが、総武沿線の新小岩、西船橋は通るたびに見ていました。冬場は貨車の屋根に大量の雪が積もってるのを見ると、山は雪降ってるなーなんて思ってましたね。
しかし、こう見るとデカかったんですな。
memoの方は9月に楽天からメールで10万ヒット超えたなんて知らせてきたんですが、アメブロはそもそもカウンターがあったんだったかな。(無関心)
操車場とか車両基地って見学会でもないと見られないから楽しみです。そういえば、昔の本が出てきたので、私のほうも不定期でアップしていきます。
これからの更新も、楽しみにいたしております。
大宮操車場、広大な風景ですね。国鉄精算事業団が出来てから、真っ先に削られたのが大宮や新小岩の貨物操車場であったのは同じく操車場を見ながら育った私にとっても寂しい限りですが、こうしてまたつばささんに息吹をもらった写真をこれからも楽しみにしております。
今日も日替わり直前Wでどうよ。
真夜中のお祝いありがとうございます(笑)。
地元だと相当思い入れも強いことと思います。私も母親の田舎に行く時、この脇を通り過ぎて行ったわけですが、まさかこの広大なヤードで働くことになるとは夢にも思いませんでした。
57・11改正以前は三交代勤務だったので、夜中の作業が無い時間は3時間しかありませんでしたから、近所に住んでいる人からすれば、スゴクうるさかったんではないでしょうかね?
以前も話題にしたことがあるのですが、平面で無機質な写真でも、経験をしたことがある人はモノクロ写真からでも色が伝わってきますし、情景から音や匂いまで想像できたりするんです。人によって感覚は異なると思いますが、このような楽しみ方、想い出も、人間ならでは、経験ならではの特権ですね。
ここで働くようになるまでは、あまり貨車とか貨物列車というのは興味が無かったような気がします。
しかし、実際に様々な貨車を見たり乗ったりしているうち、こんなにもバラエティーがあり、個々の形式によってクセがあるというのを知って、かなり研究するようになりましたね。
残念なことに、貨車の写真は撮っても、形式の珍しいものとかまで気が回らない(っていうか、仕事中に写真なんて撮っていられない)かったので、バラエティーが無いです。
30年金属、いや勤続ですか。おめでとうございます。
お祝いポチをWで入れておきました。
いつもお世話になりありがとうございます。
照明塔に登るときは、先輩と相談していきました。非番とは言え、転落事故なんか起したらシャレにならないですからね。上りは良かったんですけど、下りはメッチャ怖かったです。2度は上りませんでした。
DE10・11の写真も何枚かあります。(DD13は配属されていませんでした。)今後のアップをお楽しみに!