こんばんわ。
今日もこの時間、えらい寒くなってます。風邪に気をつけましょう。
現在、急行越前さんのブログで中央線シリーズ?を驀進中なのですが、先日の記事『1982年11月 101系「みたけ」』でサボを誤ったまま運転された記事が紹介されていました。
終点で運転士や車掌が電車を下りる際、また、乗務を開始する際は、車両前面の異常(前部標識・後部標識の消滅灯及び運行番号・行き先サボなどの表示)を確認しなければなりません。
今の世の中、サボは何かしら電動化されており、終点に到着する前に車掌が折り返しに備えて操作してしまいますが、その昔は駅員が行っていたことを思い出しました。サボ運用は行き先札の交換を含めて駅員(上野駅では一部委託業者)が行っていたのです。
もしかして?と思って過去の写真を確認しましたら、これを証拠付ける写真がちょうどありましたのでご紹介したいと思います。
昭和52年 赤羽駅にて 101系 京浜東北線
写真は大きくなるようにしておきました。
赤羽止まりの電車のサボをちょうど回している最中の写真です。
一見運転手さんのようにも思えてしまうかもしれませんが、左手でサボを回していて、右手には赤旗を持っていることから、これは運転手さんではなく駅員であることがお判りいただけると思います。
今ではこのような幕式の手動サボも殆どなくなってしまいましたので、こうした光景を見ることは出来ないかもしれませんね。
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今日もこの時間、えらい寒くなってます。風邪に気をつけましょう。
現在、急行越前さんのブログで中央線シリーズ?を驀進中なのですが、先日の記事『1982年11月 101系「みたけ」』でサボを誤ったまま運転された記事が紹介されていました。
終点で運転士や車掌が電車を下りる際、また、乗務を開始する際は、車両前面の異常(前部標識・後部標識の消滅灯及び運行番号・行き先サボなどの表示)を確認しなければなりません。
今の世の中、サボは何かしら電動化されており、終点に到着する前に車掌が折り返しに備えて操作してしまいますが、その昔は駅員が行っていたことを思い出しました。サボ運用は行き先札の交換を含めて駅員(上野駅では一部委託業者)が行っていたのです。
もしかして?と思って過去の写真を確認しましたら、これを証拠付ける写真がちょうどありましたのでご紹介したいと思います。
昭和52年 赤羽駅にて 101系 京浜東北線
写真は大きくなるようにしておきました。
赤羽止まりの電車のサボをちょうど回している最中の写真です。
一見運転手さんのようにも思えてしまうかもしれませんが、左手でサボを回していて、右手には赤旗を持っていることから、これは運転手さんではなく駅員であることがお判りいただけると思います。
今ではこのような幕式の手動サボも殆どなくなってしまいましたので、こうした光景を見ることは出来ないかもしれませんね。
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上野駅では115系などがホームと反対側のドアを開けて、車内清掃とともに「トッカーン」という音を立てて横長のプレートを差し替えていました。
電動側面方向幕の設置に伴う解雇反対のために方向幕の使用開始が遅れたこともあったとかですが、クルクル回っていくのを見ていると思わぬ表示が出て面白かったものです。
今では終点で折り返す前に変わっていたり、LED標記などは「一瞬の出来事」ですね。
弊ブログの記事に便乗(?)していただきありがとうございます!
方向幕は完全に車輌の設備なのに、駅員さんの仕事とはちょっと不可解です。さすが国鉄...
それより、水色の101系に「田町」の方向幕がそそられます(笑)
そう言えば、113系や115系が冷房化され、電動幕が普及しましたが、しばらくは準備車で使用されていませんでしたね。何で使わないのか?と疑問に思いました。
上野駅でアルバイトをしていた頃、何度かサボ交換をしたことがあります。1度、165系のサボ交換をしている最中に車掌がドア閉めやがって挟まれたことがあります。予期してないときはパニックですよ。めちゃくちゃ痛かったし。
車上職はその列車のみ責任を持つと言うことで、次の列車の責任は取らない、という仕切りなのでしょうかね。元々の表示は外付けの案内ですから、取り外し式のヘッドマークも含め、駅の旅客案内の一環として位置づけられていた名残かもしれません。サボの運用も「施設」という意味からでしょうか、駅員が運用を管理して、他のホームに回送したりしていました。
101系なのが渋いですねぇ。
時期によっては、春闘の順法闘争用のスローガンとかが
車体側面に書かれてたりとかありましたよね。
手動幕→自動幕→LEDと進化していく一方で、失われる光景も
出てくるんですよねぇ。
当時は、101系、103系、103系ATC準備車があり、それぞれの思い出があります。
まず、101系ですが、幕が蛍光灯に反射して裏から文字が読み取りにくくて、外に出て幕を表から見て着駅を出してました。布製みたくて透き通らないタイプでした。
103系は、ビニール製だったのか、裏からでも透き通って駅名が見えたので、かなり楽に操作できました。
幕を回すハンドルも、101系のは扱いずらかったんですが、103系は回しやすかったです。
中には、洋光台、平塚などの駅名も入っていて、本当は自分で出して撮りたかったくらいです(笑)
103系電動幕は、やはり珍しかったのでこの車両が来ると嬉しかった思い出があります。
当時は103系が当たり前すぎて、フィルムが勿体無いし、撮ろうなんて思ったことがありませんでしたね。101系とか、混色とか、このような幕回しだとか、かなり限定された範囲でした。田町行きなんて実際にあったんでしょうかね?
私は103系くらいしか経験が無いですね。いたずらでは113系なんかもやっとことありますけど。
103系も初期車は布製じゃなかったですか?なんか見づらかったような記憶があるんですけど。
京浜に逗子とか入ってましたね。潮干狩りや海水浴に借り出されていたなんて、私の世代でも見たことありません。