こんばんわ!
昨日、バリウムを飲んでから胃腸の調子が悪くなったつばさです。ゲフッ。(失礼)
今日はEF58シリーズで、久々の上越機です。
地域柄、高崎第二機関区のカマを見る機会は多かったわけですが、何故か若番機の写真がありません。あまり詳しくは無いのですが、若番機は長岡第二機関区に所属していたのでしょうかね。
そんなわけで、未だアップしていない上越機の中から、後期2ケタ車の画像を集めてみました。
昭和52年8月 東北本線 蕨~西川口間にて EF5859牽引 12系客車列車
種別サボが見えないようなので、修学旅行の団臨でしょうか。記録では8月頃となっているのですが、窓が全開です。当時の修学旅行列車は、電車車両も含めて非冷房が当たり前でしたから、冷房を切られてしまったのかもしれませんね。
昭和56年 東北本線 蕨~西川口間にて EF5859牽引 マニ30回送(再掲)
過去ログでもご紹介いたしました、マニ30の回送シーンです。次々位はスニ40。
昭和52年8月 東北本線 南浦和~蕨間にて EF5859牽引 12系客車列車
こちらは種別サボが入っていますので、おそらく臨時「佐渡」と思われます。もしかしたら、急行「信濃川」なんて臨時もありましたので、そちらかもしれませんが。
昭和52年頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF5872牽引 配給列車
大宮工場からの出場配給列車ですね。夕方の上りが設定されていて、おそらく品川客車区へ向かっていたのでしょう。スニ40、スハフ14、マニ36など、新旧客車が混結されていました。
ストライキのペンキも悲惨なくらい塗られています。今だったらイタズラ書きでも運休になってしまうくらいなんですけど・・・時代が変わりましたね。
昭和54年8月 尾久駅にて EF5872牽引 急行「鳥海」回送
上野に到着した上り急行「鳥海」は、尾久客車区へ回送されると、さらに東大宮操車場へと回送されます。一番ホームに近い発着線で待機する光景を良く見掛けました。
昭和53年頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF5886牽引 客車普通列車
高崎発の上り上野行き普通列車。上越新幹線が開業する昭和57年11月まで運転されました。
昭和56年5月 東北本線 蕨~西川口間にて EF5887牽引 荷物列車
この頃は、東北・高崎線を問わず、荷物列車の牽引に活躍していた高崎二区のEF58。翌年には高崎二区のEF58が壊滅状態となったため、最後の活躍とも言える頃でした。
昭和52年頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF5890牽引「鳥海」回送
東大宮操車場に回送される「鳥海」編成は、そこそこ遅い時間になってから通りましたので、比較的見る機会が多かったように思えます。急行「鳥海」は、昭和57年11月に廃止されるまで、旧客編成のままの姿を貫きました。
ご覧のとおりですが、上越形である高崎第二機関区のカマは、詳細には個体の個性があったようですが、比較的に姿が似ており、私的には『没個性』という感じがしていました。
それでも、今となっては貴重な写真ですから、フィルム代の心配が無い時代でしたら、「もっと撮っておけば良かった」なんて思うのでした。
各車標準スペック
耐寒耐雪仕様(ツララ切り、ホイッスルカバー)、デフロスタ装備、電気暖房装置(EG)搭載。原形エアフィルタ。
パンタグラフは、59号機・72号機がPS14、86号機・87号機・90号機がPS15搭載。
テールランプは、86号機・90号機が原形、59号機・72号機・87号機は外バメ式。
59号機
昭和28年5月28日 東芝製 新製配置は東京機関区。昭和57年9月10日廃車。
72号機
昭和29年9月24日 川崎車両製 新製配置は東京機関区。昭和55年6月6日廃車。
86号機
昭和30年3月10日 東洋電機・汽車会社製 新製配置は東京機関区。昭和57年3月24日廃車。
87号機
昭和30年5月27日 東洋電機・汽車会社製 新製配置は浜松機関区。昭和58年2月18日廃車。
90号機
昭和31年9月1日 日立製 新製配置は米原機関区。昭和58年6月18日廃車。
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昨日、バリウムを飲んでから胃腸の調子が悪くなったつばさです。ゲフッ。(失礼)
今日はEF58シリーズで、久々の上越機です。
地域柄、高崎第二機関区のカマを見る機会は多かったわけですが、何故か若番機の写真がありません。あまり詳しくは無いのですが、若番機は長岡第二機関区に所属していたのでしょうかね。
そんなわけで、未だアップしていない上越機の中から、後期2ケタ車の画像を集めてみました。
昭和52年8月 東北本線 蕨~西川口間にて EF5859牽引 12系客車列車
種別サボが見えないようなので、修学旅行の団臨でしょうか。記録では8月頃となっているのですが、窓が全開です。当時の修学旅行列車は、電車車両も含めて非冷房が当たり前でしたから、冷房を切られてしまったのかもしれませんね。
昭和56年 東北本線 蕨~西川口間にて EF5859牽引 マニ30回送(再掲)
過去ログでもご紹介いたしました、マニ30の回送シーンです。次々位はスニ40。
昭和52年8月 東北本線 南浦和~蕨間にて EF5859牽引 12系客車列車
こちらは種別サボが入っていますので、おそらく臨時「佐渡」と思われます。もしかしたら、急行「信濃川」なんて臨時もありましたので、そちらかもしれませんが。
昭和52年頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF5872牽引 配給列車
大宮工場からの出場配給列車ですね。夕方の上りが設定されていて、おそらく品川客車区へ向かっていたのでしょう。スニ40、スハフ14、マニ36など、新旧客車が混結されていました。
ストライキのペンキも悲惨なくらい塗られています。今だったらイタズラ書きでも運休になってしまうくらいなんですけど・・・時代が変わりましたね。
昭和54年8月 尾久駅にて EF5872牽引 急行「鳥海」回送
上野に到着した上り急行「鳥海」は、尾久客車区へ回送されると、さらに東大宮操車場へと回送されます。一番ホームに近い発着線で待機する光景を良く見掛けました。
昭和53年頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF5886牽引 客車普通列車
高崎発の上り上野行き普通列車。上越新幹線が開業する昭和57年11月まで運転されました。
昭和56年5月 東北本線 蕨~西川口間にて EF5887牽引 荷物列車
この頃は、東北・高崎線を問わず、荷物列車の牽引に活躍していた高崎二区のEF58。翌年には高崎二区のEF58が壊滅状態となったため、最後の活躍とも言える頃でした。
昭和52年頃 東北本線 蕨~西川口間にて EF5890牽引「鳥海」回送
東大宮操車場に回送される「鳥海」編成は、そこそこ遅い時間になってから通りましたので、比較的見る機会が多かったように思えます。急行「鳥海」は、昭和57年11月に廃止されるまで、旧客編成のままの姿を貫きました。
ご覧のとおりですが、上越形である高崎第二機関区のカマは、詳細には個体の個性があったようですが、比較的に姿が似ており、私的には『没個性』という感じがしていました。
それでも、今となっては貴重な写真ですから、フィルム代の心配が無い時代でしたら、「もっと撮っておけば良かった」なんて思うのでした。
各車標準スペック
耐寒耐雪仕様(ツララ切り、ホイッスルカバー)、デフロスタ装備、電気暖房装置(EG)搭載。原形エアフィルタ。
パンタグラフは、59号機・72号機がPS14、86号機・87号機・90号機がPS15搭載。
テールランプは、86号機・90号機が原形、59号機・72号機・87号機は外バメ式。
59号機
昭和28年5月28日 東芝製 新製配置は東京機関区。昭和57年9月10日廃車。
72号機
昭和29年9月24日 川崎車両製 新製配置は東京機関区。昭和55年6月6日廃車。
86号機
昭和30年3月10日 東洋電機・汽車会社製 新製配置は東京機関区。昭和57年3月24日廃車。
87号機
昭和30年5月27日 東洋電機・汽車会社製 新製配置は浜松機関区。昭和58年2月18日廃車。
90号機
昭和31年9月1日 日立製 新製配置は米原機関区。昭和58年6月18日廃車。
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冬場はスキー臨が積雪地域で撮影可能だったのに、撮りに行かなかったのが悔やまれますな。
上越形は個体差がそれなりにあるようですが、その頃は特に気にしていなかったので、みんな同じように見えました。宇都宮所の方が面白みはありましたね。
ところで、6日なんですけど、目ぼしいものが何も無いんですよ。強いてあげれば583系「あいづライナー」なんですけど、上野初電で行かないと面白みがありません。lineさんのところからでは無理ですよね。帰りも思いっきり遅くなります。天気も良くないようだし、あ~ぁ、どうしよう・・・。
昨日はネット不具合で遊びにこれずすんません。
只今急ぎWポチ巡り中です。
Wポチ巡りお疲れ様です。
バリウムは出たようなのですが、今回は強制的に飲まされた下剤が効きすぎてしまったようです。昨日ほどではないのですが、どうも腸の方がスッキリしなくてイライラしてます。仕事にも支障を来たしているので何とかして欲しいです。
私もWポチ入れておきました。
懐かしい写真拝見しました。
寒冷地仕様のEF58といえば記憶にあったのはよく雪ダルマに近い状況で上野に向かってゆくのを見たことがおぼろにあります。ことに昭和50年代半ばは豪雪に見舞われたりして苦労してたと聞いてたけど、上りの列車を見る度に豪雪地帯は大変だなと幼な心に感じました。
また、この写真に写ってる架線註の殆どはいわゆるヨン・サン・トウ改正のさいの赤羽~大宮間3複線化のときに建植されたものだったが、近年の更新により大半が姿を消してしまいました。
こんばんわ。
昭和53年くらいまでは、雪だるま状態のEF58を良く見たような記憶があるのですが、豪雪という言葉が段々薄れて言ったような気がしますね。冬場の上り夜行は撮影がキツいので、殆ど残っていません。
架線柱は、殆ど生え変わってしまいましたね。変わっていく姿を全く気にしていなかったので、「いつの間に・・・」みたいな感じでした。昔よりスッキリしましたが、ビームが太いので圧迫感が出るようになってしまいました。
つららが上向き下向きあったと言う話も聞きますが、ちょっと見では解らないですね。ただ雪ダルマ状態で上野にやってきた姿を見て一発でファンになりました。はっきり覚えていないですが106か107だったと思います。模型でも東海道型を差し置いてこっちを買ったぐらいですからね。
あまり細かく分析はしてませんが、東京区の88号機なんていうのは上向きの典型的なタイプではないでしょうか?言われると確かに直線に近いタイプとややRの大きい上向きっぽいのがありますね。
106・107は宇都宮区の標準ガマですから、136とかじゃないですかね。
EF58も上越機とか宇都宮機とか気にしだしたのは、高校在学中でしたね。
やはりそういった事に詳しいのがいましたから。
上越機だと荷物列車牽引の姿が一番撮ってるかもしれないです。
ポチしてW完了なり。
上越線はスキー臨やほんの少し「佐渡」があったくらいしか昼間は少なかったですね。逆に荷物列車には東北方面も含めて活躍していたので、私も写真を撮る機会が多かったです。ただ、荷物列車の終盤になったら、高二のカマがみんな廃車になってしまって、逆に宇都宮のカマしか撮れませんでした。