58シリーズ中盤が過ぎまして、段々特徴のあるカマもいなくなってきましたので、今日は列車種別に着目してアップしたいと思います。
昭和50年3月、新幹線博多開業による大改正が実施され、山陽方面の特急・急行を中心に大幅な動きがありました。
この動きに連動して、山陽からの24系が東海道へ移転。さらに押し出された東海道の20系を活用して、それまで急行寝台専用列車として走っていた東北本線の急行「北星」と金沢行きの同じく寝台専用列車「北陸2号」を特急に格上げすることになりました。
まだ当時の新型の直流機はEF651000くらいしか走っていなく、おそらく組合対策もあったのでしょうが、急行時代に引き続き両列車ともEF58が充当されていました。
この頃になると、全国的にもEF58が牽引する定期特急は同時期に登場した「紀伊」「いなば」、山陽の「安芸」くらいしかなくなっており、EF58ファンにとってこれらの特急の誕生は非常に嬉しかったのではないかと思われます。
しかし、悲しいかな、国鉄の体質がどんどん荒んできていた頃であり、これらの優等列車の先頭にヘッドマークが付くことはありませんでした。
したがって、私もEF58自体を撮ることに面白みは感じられず、終始客車の20系の写真撮影に専念していたのですが、ホンの数枚ですがEF58を撮ったものがありましたので、ご紹介したいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/83/a57d97e9f98903a52438a21a8b064c32.jpg)
昭和52年頃 大宮駅にて EF5871の牽引する20系「北陸」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/af/b1641a171a9d0d233a3222a4068cdbf4.jpg)
0昭和52年頃 大宮駅にて EF5884の牽引する20系「北星」
2枚ともかなり薄暗い時期の撮影ですので、おそらく冬休みに撮ったものではないかと思われます。ヘッドマークが付いていないことから、後に20系化された急行「天の川」や「新星」と区別が付かないところが悲しいです。
青大将や特急色をまとい、ヘッドマークを輝かせて東海道・山陽を往来したかつての栄光は消え去り、人気がありながらも極めて地味な人生を送ることになってしまったEF58が、今でも不憫に思えてなりません。
一応スペックをご紹介しておきます。
71号機
昭和29年8月27日に川崎車両製で落成。初期配置は浜松区。その後の動きは資料が無いためで不明です。
晩年は長岡区に配置となっておりますので、上越仕様でツララ切り及びホイッスルカバーを装備しています。パンタグラフはPS14で、この時点ではまだデフロスタは装着されていないようです。フィルタの形状等については、写真が不鮮明なので残念ながら特定できません。廃車は昭和56年6月9日。
84号機
昭和30年3月12日に三菱製で落成。初期配置は浜松区。こちらも詳しい資料が無いため動向は掴めませんでした。形態は一般的な更新改造を受けており、特殊な装備は無いようです。パンタグラフはPS14で、同様にこの時点ではデフロスタは装着されていないません。フィルタの形状等については、こちらも写真が不鮮明なので残念ながら特定できません。廃車は昭和58年12月6日と最後までは残れませんでしたが、比較的遅くまで持ち堪えていました。
昭和50年3月、新幹線博多開業による大改正が実施され、山陽方面の特急・急行を中心に大幅な動きがありました。
この動きに連動して、山陽からの24系が東海道へ移転。さらに押し出された東海道の20系を活用して、それまで急行寝台専用列車として走っていた東北本線の急行「北星」と金沢行きの同じく寝台専用列車「北陸2号」を特急に格上げすることになりました。
まだ当時の新型の直流機はEF651000くらいしか走っていなく、おそらく組合対策もあったのでしょうが、急行時代に引き続き両列車ともEF58が充当されていました。
この頃になると、全国的にもEF58が牽引する定期特急は同時期に登場した「紀伊」「いなば」、山陽の「安芸」くらいしかなくなっており、EF58ファンにとってこれらの特急の誕生は非常に嬉しかったのではないかと思われます。
しかし、悲しいかな、国鉄の体質がどんどん荒んできていた頃であり、これらの優等列車の先頭にヘッドマークが付くことはありませんでした。
したがって、私もEF58自体を撮ることに面白みは感じられず、終始客車の20系の写真撮影に専念していたのですが、ホンの数枚ですがEF58を撮ったものがありましたので、ご紹介したいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/83/a57d97e9f98903a52438a21a8b064c32.jpg)
昭和52年頃 大宮駅にて EF5871の牽引する20系「北陸」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/af/b1641a171a9d0d233a3222a4068cdbf4.jpg)
0昭和52年頃 大宮駅にて EF5884の牽引する20系「北星」
2枚ともかなり薄暗い時期の撮影ですので、おそらく冬休みに撮ったものではないかと思われます。ヘッドマークが付いていないことから、後に20系化された急行「天の川」や「新星」と区別が付かないところが悲しいです。
青大将や特急色をまとい、ヘッドマークを輝かせて東海道・山陽を往来したかつての栄光は消え去り、人気がありながらも極めて地味な人生を送ることになってしまったEF58が、今でも不憫に思えてなりません。
一応スペックをご紹介しておきます。
71号機
昭和29年8月27日に川崎車両製で落成。初期配置は浜松区。その後の動きは資料が無いためで不明です。
晩年は長岡区に配置となっておりますので、上越仕様でツララ切り及びホイッスルカバーを装備しています。パンタグラフはPS14で、この時点ではまだデフロスタは装着されていないようです。フィルタの形状等については、写真が不鮮明なので残念ながら特定できません。廃車は昭和56年6月9日。
84号機
昭和30年3月12日に三菱製で落成。初期配置は浜松区。こちらも詳しい資料が無いため動向は掴めませんでした。形態は一般的な更新改造を受けており、特殊な装備は無いようです。パンタグラフはPS14で、同様にこの時点ではデフロスタは装着されていないません。フィルタの形状等については、こちらも写真が不鮮明なので残念ながら特定できません。廃車は昭和58年12月6日と最後までは残れませんでしたが、比較的遅くまで持ち堪えていました。
「出雲」や「ゆうづる」のような赤系のヘッドマークはどうかと思いますが、細身の顔に丸いヘッドマークはズバリ似合いますよね。特に「日本海」や「つるぎ」はEF65よりもEF58の方が合っていたように思います。
「北陸」は ”ん?” ですけど、「北星」の幻のヘッドマークは是非付けてもらいたかったですね。
特に関西で撮った写真で愛称名が分からないのがいっぱい。客車を見ても同じのばかり、頭抱えてます。
この時代のEF58牽引のブルトレといえば、「あかつき」「彗星」「日本海」「つるぎ」といったところでしょうか?
その中でも、「あかつき」「彗星」の併結列車はヘッドマークがついていませんでしたよね。単独の列車でも、博多開業に近い頃にはマークの取付けを省略してしまったものが多くあったようです。
このころは、編成も共通で使われていましたし、東北・上越方面のようにカマからは判断できませんから、なかなか判別は難しいかもしれません。
当時HMを付けていたら、自分も撮っていたのでしょうが。
ホーム柱に付いている尾久上野方面の板が懐かしいですね。
本当にこの時代の特急列車は可哀想でした。
「北陸」は長生きできてラッキーですが、「北星」の他にも「安芸」「いなば」「紀伊」は最後まで正式なマークはありませんでした。
ブルトレとは言えませんが、「つばさ51号」「はつかり51号」「しおじ51号」も時代が違っていれば「踊り子」の様にヘッドマークを飾ることが出来たんでしょうね。
看板見落としてましたが、柱の吸殻入れも今となっては懐かしいですね。私が国鉄にいた頃はどの駅にもありました。
いまの大宮駅は光りモンの電車が次から次へと発着してゆき、人々は各方面へと乗り換えてゆくサマを見てると往年のゴハチが大手をふるってた時代が、ホントウソのように感じさせられます。
写真のアノころの比較的閑散としてた大宮駅のほうが、ソレらしくってイイです。
本日はこの辺にて失礼します。
この時間だと休みの日の早朝6時前後でしょうから、余計に人は少ないでしょうね。ヘッドマークでも付いていれば、テツで賑わったのではないでしょうか?