このところすっかりご無沙汰してしまいましたEF58シリーズを一つ。
今日は、宇都宮区でツララ切りを装備し、改造が少なく美人だった102号機をご紹介したいと思います。
これまでご紹介いたしました中でも、153号機はHゴム化されずにきれいな顔立ちで活躍していた姿をご紹介したことがありましたが、この102号機もほぼ同様の形態でした。
153号機は、ツララ切り装備で原形小窓、原形フィルタで、テールランプも原形小型のものを装備していましたが、ホイッスルカバーは外されていました。
これに対して102号機は、ほぼ同様の装備でありながらも、私の撮った写真を見る限り、大型のホイッスルカバーを装備したままとなっております。
昭和55年10月頃 田端操車場にて(田端駅南行ホームから)EF58102+マニ36
おそらく荷物列車を牽いて田端操に到着、隅田川への発車待ちだと思いますが、この頃の写真で宇都宮区のEF58が荷物列車を牽くシーンというのはあまり記録に残っていません。もしかしたら、高崎第二区へ貸し出しされた可能性もあるのですが、詳細は不明です。
同機は、この写真を撮った3年後に廃車されており、この状態のまま廃車になったのか、多少の改造を受けたのか、詳しい経過が分かりません。比較的遅くまで活躍していた割りには、何故かこの1枚しか写っていなかったのです。
客車ファンの方は、次位のマニ36にも着目してみてください。張上げ屋根の改造車です。荷物車の割には張上げ屋根の痕跡があるだけで流美に感じてしまうから不思議です。
この写真の影響で、GMマニ36を改造して作ってしまいました。惜しむらくは、ナンバーが不明であることです。
この102号機、昭和31年10月2日誕生の日立製。転属の経緯詳細は資料がありませんが、確実に高崎二区か長岡区の経験を持ちます。原形フィルタを装備していたことから、浜松以西の配属経験は無いものと思われます。(ただし、東海道電化当初には一時的に配置された可能性は否定できません。)昭和58年11月11日付で廃車となっています。
EF58の晩年期は、このようなヒサシ付き原形小窓車は殆ど存在しませんでしたので、大変貴重な車両ではありましたが、最後まで活躍することはできませんでした。
今日は、宇都宮区でツララ切りを装備し、改造が少なく美人だった102号機をご紹介したいと思います。
これまでご紹介いたしました中でも、153号機はHゴム化されずにきれいな顔立ちで活躍していた姿をご紹介したことがありましたが、この102号機もほぼ同様の形態でした。
153号機は、ツララ切り装備で原形小窓、原形フィルタで、テールランプも原形小型のものを装備していましたが、ホイッスルカバーは外されていました。
これに対して102号機は、ほぼ同様の装備でありながらも、私の撮った写真を見る限り、大型のホイッスルカバーを装備したままとなっております。
昭和55年10月頃 田端操車場にて(田端駅南行ホームから)EF58102+マニ36
おそらく荷物列車を牽いて田端操に到着、隅田川への発車待ちだと思いますが、この頃の写真で宇都宮区のEF58が荷物列車を牽くシーンというのはあまり記録に残っていません。もしかしたら、高崎第二区へ貸し出しされた可能性もあるのですが、詳細は不明です。
同機は、この写真を撮った3年後に廃車されており、この状態のまま廃車になったのか、多少の改造を受けたのか、詳しい経過が分かりません。比較的遅くまで活躍していた割りには、何故かこの1枚しか写っていなかったのです。
客車ファンの方は、次位のマニ36にも着目してみてください。張上げ屋根の改造車です。荷物車の割には張上げ屋根の痕跡があるだけで流美に感じてしまうから不思議です。
この写真の影響で、GMマニ36を改造して作ってしまいました。惜しむらくは、ナンバーが不明であることです。
この102号機、昭和31年10月2日誕生の日立製。転属の経緯詳細は資料がありませんが、確実に高崎二区か長岡区の経験を持ちます。原形フィルタを装備していたことから、浜松以西の配属経験は無いものと思われます。(ただし、東海道電化当初には一時的に配置された可能性は否定できません。)昭和58年11月11日付で廃車となっています。
EF58の晩年期は、このようなヒサシ付き原形小窓車は殆ど存在しませんでしたので、大変貴重な車両ではありましたが、最後まで活躍することはできませんでした。
宇都宮区はゴハチの配置が多かったですから、特定のカマを複数回撮っているというのは難しかったかもしれないですね。109号機とか1枚も写真がないのがありますから。85号機も今のところありません。
ただ、まだまだプリントアウトしていないネガやリバーサルが沢山あるのでこれから見つかるかもしれませんが。
102号機は最後どうなったんでしょうね?このブログを始めてから各機の経緯を辿りましたが、比較的晩年にまで改造が及んでいることを初めて知りました。
銘板にはこだわりありませんでしたね。HOやっている人は気になるところかもしれませんね。Nゲージじゃ殆ど見えませんから(笑)。
張上げ屋根のマニ、いましたね。これは残念ながら撮れなかったでした。
奥にも58が写っていて、良い時代でしたね。
張上げ屋根のマニ36の番号が知りたいのですが、もう一つ撮ったアングルでも良く判らないんですよね。
Nゲージで作りましたので、いずれアップいたします。
102号は昭和56年に大宮工場にて正面窓のHゴム化改造=「EF58ものがたり」参照。コチラの書籍に正面窓改造のことが記されてます=がなされ、暫くは残るだろうと思った矢先の翌57.11.15改正において、客車運用削減の煽りを食って篩にかけられてしまいました。
若しこのカマがほんのすこし幸運だったら、東海道全線電化開業記念の上りの一番列車牽引の栄誉のある89号でなく、102号がおそらくイベント用に茶色に塗られ、そして鉄道博物館行きになってたかも知れなかったゞけに、紙一重の差がこのカマの命運を決めてしまうとはホント不運です。
本日はこの辺にて失礼します。
102号機もHゴム化されちゃったんですか?知りませんでした。古い写真を探ってみると、宇都宮のカマがHゴム化されたのは、意外と遅いんですよね。昭和53年くらいだと、前期車はHゴム化されていないのが相当いました。
確かに、このカマがHゴム化されずに残っていたら、89号機なんて目じゃなかったと思います。運なんて分からないですよね。