台風の風が、我が家を吹き飛ばそうとするが如く強く吹いています。明日は湘南新宿ラインも午前中の運休を決め込んだらしく、正常に通勤できるわけないと今から心配しております。
さて、今日は久しぶりに167系、そして修学旅行臨の写真をお届けいたします。
関東の小学校では、修学旅行は「日光」が定番のようで、かくいう私も小学6年生のときの修学旅行は「日光」でした。埼玉県からは距離が近いからと思うのですが、修学旅行はバスでしたね。当時は、既に東北縦貫道も矢板まで開通していましたので、バスでの行動も利便性がかなりアップしていたといえます。
それでも、「日光」への集約臨(複数の団体が1つの列車を借切って乗車する)はかなり昔から設定されており、私の経験からも155系や167系(ひょっとすると時に159系)の集約臨が活躍していました。
155系は、低屋根構造で中央線にも入線できるなど小回りの利く車両として、古くから修学旅行臨として活躍してきましたが、車両の老朽化と185系誕生による急行型車両の余剰発生もあいまって、167系へと移り変わりました。
167系も製造からしばらくは修学旅行色を纏っていましたが、塗装の標準化により湘南色に塗り替えられてしまいました。また、その少し前に冷房化も実施されています。

昭和61年10月9日 東北本線 蓮田~東大宮 167系「かながわ」

昭和62年5月16日 東北本線 蓮田~東大宮 167系「かながわ」
国鉄末期とJR化直後の頃の集約臨「かながわ」です。その名のとおり、神奈川県の学校を中心とした日光修学旅行用の列車で、いつのまにか「かながわ」のヘッドマークも付くようになりました。
修学旅行色が廃止になって以来、165系と傍目には区別が付きづらくなってしまった167系ですが、このヘッドマークが付くことによって、かつて修学旅行用電車として名を馳せていた頃の自分をアピールすることができて良かったなぁと思うのでした。
過去ログで修学旅行用「155系」「159系」「167系修学旅行色」「キハ58系800番台」をアップしています。よろしければどうぞ。
修学旅行用車両バラエティー → http://diary.jp.aol.com/marutetsu/11.html
さて、今日は久しぶりに167系、そして修学旅行臨の写真をお届けいたします。
関東の小学校では、修学旅行は「日光」が定番のようで、かくいう私も小学6年生のときの修学旅行は「日光」でした。埼玉県からは距離が近いからと思うのですが、修学旅行はバスでしたね。当時は、既に東北縦貫道も矢板まで開通していましたので、バスでの行動も利便性がかなりアップしていたといえます。
それでも、「日光」への集約臨(複数の団体が1つの列車を借切って乗車する)はかなり昔から設定されており、私の経験からも155系や167系(ひょっとすると時に159系)の集約臨が活躍していました。
155系は、低屋根構造で中央線にも入線できるなど小回りの利く車両として、古くから修学旅行臨として活躍してきましたが、車両の老朽化と185系誕生による急行型車両の余剰発生もあいまって、167系へと移り変わりました。
167系も製造からしばらくは修学旅行色を纏っていましたが、塗装の標準化により湘南色に塗り替えられてしまいました。また、その少し前に冷房化も実施されています。

昭和61年10月9日 東北本線 蓮田~東大宮 167系「かながわ」

昭和62年5月16日 東北本線 蓮田~東大宮 167系「かながわ」
国鉄末期とJR化直後の頃の集約臨「かながわ」です。その名のとおり、神奈川県の学校を中心とした日光修学旅行用の列車で、いつのまにか「かながわ」のヘッドマークも付くようになりました。
修学旅行色が廃止になって以来、165系と傍目には区別が付きづらくなってしまった167系ですが、このヘッドマークが付くことによって、かつて修学旅行用電車として名を馳せていた頃の自分をアピールすることができて良かったなぁと思うのでした。
過去ログで修学旅行用「155系」「159系」「167系修学旅行色」「キハ58系800番台」をアップしています。よろしければどうぞ。
修学旅行用車両バラエティー → http://diary.jp.aol.com/marutetsu/11.html
私は小学校の高学年のときに大宮から東海道沿線の某所に移り、6年生の秋に写真の167のこの列車に乗って日光方面の修学旅行に行きました。
東海道ー東北ー日光の各線を走り、沿線の風景を友達とワイワイしつつ堪能してたけど、自分が以前住んでた街、大宮に近づくやあまりの変貌ぶりに驚いてしまった記憶があります。
また、もう一つ忘れられないのは新幹線工事により廃線となった東京~上野間の連絡線ですが、まさか廃止になるなんてと思った位でした。
あれから四半世紀以上が経ち、数年前より再び生まれ故郷の大宮に帰ってきた私だが、183や189の同種の列車を見る度にあの時の自分を思い出してしまうことがあるし、電車に乗って大宮に近づくときも同じような気持ちになることがあります。
参考ですが私が日光に行った頃に大宮の赤レンガの機関庫が解体・撤去工事が始まってました。
私は167系の車両には乗ったことが無いような気がします。臨時急行「伊豆」とか「ごてんば」では一般客が乗る機会がありましたが、東北スジでは全く無かったですね。そういう意味では貴重な体験をされたと言うことですね。
お話の状況から見て、私より6~7歳くらい年下ですかね。東京~上野の回送線はバリバリ現役でしたし、大宮機関区のレンガ庫も大宮操車場に勤務していた頃には未だありましたから。辛うじて10代でしたけど。
実は、レンガ庫の写真を撮ってあるんです。それも、普通では撮れないアングルで。いずれアップいたしますので、それまでは覗きに来てくださいね。
私も、当時は川口市民でしたのでバスでの修学旅行でした。中学で初めて新幹線での旅行となりましたが。
マークが付いてると、やはりイイですね。
同じ埼玉県南在住としては、小学生がバスで日光、中学生は新幹線で京都・奈良のパターンで一緒ですかね。
林間学校も含めて、一般の列車混乗だったので、修学旅行専用臨は乗ったことないですね。新幹線だけは集約臨だったようですけど。