こんばんわ!
昨日は沢山の方々からお祝いのメッセージをいただきありがとうございました。
このブログを立ち上げた時はアクセスも非常に少なく、止めてしまおうか思ったときもあったんですが、こんなに沢山の方と触れ合えるようになるとは思いませんでした。
このことを励みに、これからも頑張っていきたいと思います。
本当はサラッと全体の流れをご紹介しようと思っていたのですが、今日も遅くまで残業していたのでヘトヘトです。今にも寝てしまいそうな状態。なので申し訳ありませんが、細切れのアップとなってしまいますことをご了承くださいませ。
今日は、引上げシーンをご覧いただきたいと思います。
ターミナル間の直行列車(急行コンテナ列車や専用貨物列車など)は北の玄関である大宮操車場すら通過してしまいますが、通常の車扱い貨物は基本的にこの大宮操車場に停車して、入換によって次の行先に都合の良い列車に編成されます。
流れを簡単に申しますと、
①本線到着→本務機の切り離し
②入換機(大宮操の場合はDE10又はDE11)の連結、貨車間のエアホースの切り離し
③阪阜(ハンプ)への引上げ
④散転→坂の上から方向別に貨車の切り離し・連結をする
⑤阪阜(ハンプ)の群線から方向別入換又は駅別入換への引上げ
⑥方向別入換又は駅別入換から列車への組成
⑦入換機により出発線への転線
⑧出発線でエアホースの連結及び本務機の連結
⑨発車
と言う感じになります。この間、全ての作業を経由して出発するまでは相当な時間が掛かりますから、貨物輸送が如何に時間が掛かるものであったか想像がつくと思います。
現在、コンテナ中心の貨物へと体制を変えたのは、できるだけ入換をなくして拠点間をより早く移動し、小回りは自動車に頼るということで、時間と人員コストを減らすために他ならないわけです。
本来説明するならば、ホースの切り離しのシーンとかも撮っておけば良かったのですが、こういった作業は部署別に分業されているため、私の部署から出向くにはそれなりの苦労もあったことから、残念ながら撮っていません。
というわけで、引上げのシーンを撮ったものがありましたのでご覧下さい。
DE1140の牽引する下りハンプへの引上げ列車です。
ハンプの高さはそれほどではありませんが、やや勾配のかかった線路であることがお判りいただけると思います。
今や貴重な存在となったDE11で、しかも思いっきり初期車です。ちなみに、DE11は入換専用機として製造され、本線上で客車を引く可能性は皆無ですから、おそらく走行写真を捉えることは非常に難しい機関車だったと思います。
次位に連結されたワキ5000も今や希少派でチョーレアな貨車です。
こちらは、DE10533が牽引する上りハンプへの引上げ列車です。
やたらタンク車ばかりで編成されていますが、車扱い貨物ですので形式はバラエティーに富んでいますね。
大宮機関区のDE10は2桁の初期車が主でしたが、500番代も何両かいたようです。
バックに写っている583系は何でしょう?今見ると気になります。
これらの写真のように、到着した列車は全てハンプから切り落とされ、次の目的地へと仕分けがされます。
次回は、ハンプから転がり落ちる貨車(散転)のシーンをご紹介したいと思います。
鉄道ブログランキング ← 私の栄養剤。よろしくお願いいたします。
昨日は沢山の方々からお祝いのメッセージをいただきありがとうございました。
このブログを立ち上げた時はアクセスも非常に少なく、止めてしまおうか思ったときもあったんですが、こんなに沢山の方と触れ合えるようになるとは思いませんでした。
このことを励みに、これからも頑張っていきたいと思います。
本当はサラッと全体の流れをご紹介しようと思っていたのですが、今日も遅くまで残業していたのでヘトヘトです。今にも寝てしまいそうな状態。なので申し訳ありませんが、細切れのアップとなってしまいますことをご了承くださいませ。
今日は、引上げシーンをご覧いただきたいと思います。
ターミナル間の直行列車(急行コンテナ列車や専用貨物列車など)は北の玄関である大宮操車場すら通過してしまいますが、通常の車扱い貨物は基本的にこの大宮操車場に停車して、入換によって次の行先に都合の良い列車に編成されます。
流れを簡単に申しますと、
①本線到着→本務機の切り離し
②入換機(大宮操の場合はDE10又はDE11)の連結、貨車間のエアホースの切り離し
③阪阜(ハンプ)への引上げ
④散転→坂の上から方向別に貨車の切り離し・連結をする
⑤阪阜(ハンプ)の群線から方向別入換又は駅別入換への引上げ
⑥方向別入換又は駅別入換から列車への組成
⑦入換機により出発線への転線
⑧出発線でエアホースの連結及び本務機の連結
⑨発車
と言う感じになります。この間、全ての作業を経由して出発するまでは相当な時間が掛かりますから、貨物輸送が如何に時間が掛かるものであったか想像がつくと思います。
現在、コンテナ中心の貨物へと体制を変えたのは、できるだけ入換をなくして拠点間をより早く移動し、小回りは自動車に頼るということで、時間と人員コストを減らすために他ならないわけです。
本来説明するならば、ホースの切り離しのシーンとかも撮っておけば良かったのですが、こういった作業は部署別に分業されているため、私の部署から出向くにはそれなりの苦労もあったことから、残念ながら撮っていません。
というわけで、引上げのシーンを撮ったものがありましたのでご覧下さい。
DE1140の牽引する下りハンプへの引上げ列車です。
ハンプの高さはそれほどではありませんが、やや勾配のかかった線路であることがお判りいただけると思います。
今や貴重な存在となったDE11で、しかも思いっきり初期車です。ちなみに、DE11は入換専用機として製造され、本線上で客車を引く可能性は皆無ですから、おそらく走行写真を捉えることは非常に難しい機関車だったと思います。
次位に連結されたワキ5000も今や希少派でチョーレアな貨車です。
こちらは、DE10533が牽引する上りハンプへの引上げ列車です。
やたらタンク車ばかりで編成されていますが、車扱い貨物ですので形式はバラエティーに富んでいますね。
大宮機関区のDE10は2桁の初期車が主でしたが、500番代も何両かいたようです。
バックに写っている583系は何でしょう?今見ると気になります。
これらの写真のように、到着した列車は全てハンプから切り落とされ、次の目的地へと仕分けがされます。
次回は、ハンプから転がり落ちる貨車(散転)のシーンをご紹介したいと思います。
鉄道ブログランキング ← 私の栄養剤。よろしくお願いいたします。
同じ構内手としての仕事をしていても、ハンプと突放では全然要領が違いますからね。ハンプだと不連結を起こしたときくらいしか突放はやりませんので、いざその場になると連結テコを上げるタイミングが難しいですね。失敗すると外れなかったり、突放下貨車を引っ張り返してしまい再び連結してしまうこともありました←実習中。
DEのスノープラウはあまり気にしたことが無かったんですが、大宮機関区のDEは付いているやつと居ないやつがあるみたいです。川越線に運用されるカマの関係で、もしかしたらDE10は装着、構内専用のDE11は不装着、なのかもしれません。
突放作業も連結手、操車、機関士が三位一体としての作業ですから、なかなか難しい作業でしょうね。特に機関士は、最後の貨車くらいしか突放した様子って見えないですよね。
30㎏レールで枕木が腐食している状態のところに入っていくと線路がミシミシ言って機関紙が心配そうに窓から顔を出していたのが思い出されます
興味が尽きることはありませんし本当に勉強になります
DE11は一番身近な機関車でしたのでもちろん好きな機関車でもありました
DE10は岡崎駅用の入換機で時々使われていましたが
高山線で使うためかスノープロウがついていたので
連結作業がやりにくかったですね
入換作業は機関士によってものすごく変わります
加速がものすごい人やトロトロ動いて1回しか突放できずにまた引き上げに入る人、いろいろです
Wポチども!
私が小学生の時買ってもらった図鑑には『ハンプ入換』というのが載っており、低学年のクセに知識はあったんです。でも、カタカナでした見てなかったのでまさか漢字で書くとは思いもしませんでした。大宮操車場に配属された時に初めて知りましたよ。
武蔵野操車場は特殊な動力入換で、機関車を無線で操っていたんですよね。武操はハンプ入換が無かったと思います。でも、無線の入換が記録できれば、全国でも随一の方式・規模でしたからね。
田端のハンプはショボ過ぎてお話になりません。
ハンプ入換えは、この大宮、田端は京浜東北線車内から見てました。
友人が武蔵野操車場が勤務地の時、貨車の写真撮りに来ないかぁ~って言われたんですが、一度も行かなかったんですが、今思えば行っとけば~って。
昨日もW入れてますよ。
まずは事務所からポチん。
ここで言う方向別と言うのは、次のターミナルまで全部持っていくことが前提なので、順番はあまり気にする必要は無かったと思います。
駅別というのは、その操車場の受け持ち範囲である小駅に貨車を落として行きますので、入換の順番がキチンと守られて、車掌に引き継がれ、各駅での入換作業が行われます。その分、どうしてもアバウトには出来ないわけですね。
組成計画だけの仕事を1日中(というか24時間)専門にやっている輸送係という職種があります。馴れないと間違いもあったりするらしいですよ。そりゃそうですよね。数も多いし、人間が手作業でやっていることですから。
栄養剤ありがとうございます。
スケジュールはもちろん緻密ですが、組成は結構場当たり的に行われる部分もあるようです。特に空車も何処かに向けて走らせなければいけないので、積載貨車と按配が難しかったのではないでしょうかね。
駅別入換は緻密、方向別入換は融通を利かせて、という感じだったのではないかと思います。
貨物輸送に関しては、客観的に見ても想像がつきませんし、趣味的に見ようと思っても制限に引っ掛かることばかりですから、現場を経験した者でないと殆ど理解できないと思います。
組成の計画に携わったことが無いので正確なことは分かりませんが、専用貨物や列車指定の貨車を除いては、かなりアバウトだったのではないでしょうか?これには空車の回転という不合理とも合理的ともいえない作業が必須だったため、多少なりとも貨物輸送の障害になっている部分はあったと思います。
合理性よりも安全性が優先ですから、列車の総重量と延長(長さ)が最重要となります。最後の到達手段としての駅別入換の組成については、各駅に停車しながら切り離したり連結したりを繰り返しますので、かなり緻密な組成計画が組まれていたものと思います。
わざわざ訂正までいただきありがとうございます。
片倉ってもうなくなってしまったのですかね?何度か遊びに行ったことがありましたね。
今でこそ新都心駅前のイトーヨーカ堂ですが、駅ができる噂から先行して作ったは良いものの、実際に駅ができるまでは相当時間が掛かってしまいましたね。
私も昔は釣りをやったことがあるので、マルキュー製品は使ったことがありました。赤へらはバニラのスゴク良い匂いがするのですが、大ゴイやさなぎなんてやられた日には、息も出来ないほどの臭いが操車場に淀んでひどい目に遭いましたよ。
ただ、操車場で働いていたとき、実兄がマルキューに勤めていたので、実の兄弟で隣同士で働いていたというのも極めつけの偶然でしたね。
大雑把な私なんか、想像しただけで目が回ります。
私のコメント訂正箇所がありますので、宜しくお願いします。
小口油脂→小口油肥
赤羽、池袋行き→赤羽、池袋始発
以上の2点です、大変失礼しました。
栄養剤を2錠、処方しておきました。
貨車の量によって組み替え時間も変わってくるのでしょうから、もたついて出発時刻までに終わらないなんてことも有ったのでしょうかね。運行ダイヤがどの程度の余裕を持って設定されてたのかも気になる所です。
諸外国でも同様の設備が有ったのかも知りたいですな。
写真見てると汽笛やエンジン、ジョイントそして連結時などの音が、今にも聞こえてきそうな感じがしてなりません。
今はなき操車場西側の高架線や小口油脂=現・マルキュー=の建物を背景にした写真を拝見してると、何だかあの頃に引き戻される気がします。今にして思えば高架線は、大宮の北袋町や吉敷町の家並みを一望出来たならいいな。と考えたりー残念ながら私自身は、操車場がなくなってから新都心が出来上がるまで大宮に居なかったから知るすべもありませんがーもしかしたら湘南新宿ラインの前身である貨物線利用の赤羽、池袋行きだったらありえたのではないでしょうか!?
また小口油脂といえば特有の匂いがプンプンしてて、周辺の中山道界隈はいつもその匂いでいっばいだったと記憶してます。
ほかにも東芝のサービスセンター、片倉のアスレチックコース等々操車場周辺ーとくにあの頃の中山道界隈ーの思い出は多々あるけど、私はこの辺で本日は失礼します。