マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

架線試験車 クモヤ191・クモヤ193

2007-03-25 01:35:05 | その他電車
こんばんわ。

今日は、クモヤ191とクモヤ193をご紹介いたします。

試験車は様々な用途で製作・導入されており、主なものでは軌道試験車、架線試験車、建築限界測定車などがあります。この他にも、脱線試験車や機関車の牽引性能試験車など、極めて特殊な用途のものもあります。これら試験車の世界でも技術革新、高性能化が進み、今では複数の試験を同時に行えるような試験車も誕生し、国鉄時代に生まれたこれら試験車も、残りわずかになってきました。

今回ご紹介する試験車は、架線試験車として誕生した「クモヤ191系」と「クモヤ193系」です。


昭和52年頃 宇都宮運転所にて クモヤ190-1+クモヤ191-1

クモヤ191は、国鉄初の新性能架線試験車として、昭和47年5月に181系の改造により誕生しました。種車は、クモヤ191-1がサハ180-5、クモヤ190-1がモハシ150-11です。架線試験のほかにも、ATSや踏切回路・信号回路など、様々な電気系の検測が可能な車輌です。外観は当時流行の特急型に準じた高運転台のスタイルですが、前面はフラットになってやや中途半端な感じがします。おそらく種車が中間車のため、台枠との合わせや車体長を考慮した結果でのことでしょう。側面は、181系時代の面影を色濃く残しており、特にモハシ改造のクモヤ190-1は種車と同じセンターのドアやビュッフェの調理室側小窓が残され、外観上の大きな特徴でありました。
この写真は、休車中のEF57に逢いに行ったとき、偶然に宇都宮運転所に来ていたところを捕らえました。(配置は田町電車区)





昭和60年頃 京浜東北線 与野駅にて (2枚とも) クモヤ193-1+クモヤ192-1

クモヤ193系は、クモヤ191系の後継車として、昭和55年3月に誕生しました。191系とは違い、すべて新製にて製造されています。試験性能的にはわずかな違いですが、モーターが6基(クモヤ192-1の運転台側の台車はトレーラー)であること、ATC区間を走行できることが大きな違いです。運転台は完全にクハ481300番台と同様な形状となり、洗練されたスタイルとなりました。山手線と京浜東北線がATC化されるにあたり、クモヤ191系の老朽化と相まっての登場となりました。配置は田町電車区ですが、ここ数年保留車となったままの状況であり、廃車になるのも時間の問題のようです。

今では、各種試験車の運転情報が「ダイヤ情報」で公表されていますが、昔はこの様な情報や公けにはされていなかったため、なかなか計画的にその姿を捕らえることは難しかったといえます。現在は、その点では楽になりましたね。
私も試験車に興味があり、クモヤ443系やキヤ191といった車輌の写真も撮りたいのですが、なかなか首都圏には姿を見せず、試験も業務の性格上平日の実施となるため、撮影の機会が無く残念です。これらの試験車も「旧型」と呼ばれる時代になってしまい、今や風前の灯といった感じです。近くに走ってくれないですかねぇ~。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛行機はいかが? YS-11

2007-03-24 19:08:00 | その他乗り物写真館
こんばんわ。

今日は天気もあまり良くないし何かどっと疲れているので、どこにも出掛けずに今後のために写真のスキャニングを行っておりました。それでも飽きてきたので、少し手を休めてブログを更新しようと思った次第です。

今回のテーマは飛行機です。ブログを始めて2ヶ月弱ですが、なかなか飛行機をアップする機会が無く、どうしようかと思っていたのですが、自分でも少し気分転換をしたくなったので、何となくアップしてみようかと・・・。

私は元々飛行機嫌いでした。今もできれば乗りたくありません。怖いんですよね、足が地面に着いていないのが。昔は鉄道に比べて航空運賃がべらぼうに高かったので、必然的に鉄道に乗るしかなかったのですが、その影響もあって遠くなら鉄道、コストや機材の量とかを考えて自動車といった選択肢が固定していきました。

こんな私が初めて飛行機に乗ったのは、平成11年7月、35歳になってからでした。仕事の参考にするため伊豆大島に行きたかったのですが、出張を組むことができなかったので、自費で家族連れで行くことになったのです。往路は飛行機が取れずに熱海から高速船で、帰路は飛行機となり、これがわが人生で初搭乗となった次第です。

このころ、大島便全便、三宅便全便及び八丈便1往復にYS-11が使用されていました。全国的にもYS-11が淘汰されつつあり、大島便は大島空港の拡張(滑走路の延長)をもって退役となることを友人から聞かされていました。そんな情報もあって、特に飛行機に乗りたかったわけではないのですが、記念になると思い一大決心がついたわけです。

話が長くなりました。人生わずか1回の撮影ですが、YS-11の勇姿をどうぞ。
撮影は、全て平成11年7月17日です。







以上4点は、滑走路から駐機場所までの移動シーンです。


搭乗シーン。間近で見る機体とプロペラの大きさに圧倒されました。
(飛行機に乗るのが初めてなので、こんなに近くで見たことがありませんから、このくらいでも驚きました。。)


これがプロペラです。(見りゃ分かります。)とにかく大きく感じました。


機内シーン。スクリーンが無いので、救命胴衣の説明など、すべてスチュワーデス(今はキャビンアテンダントですか・・・)さんの実演です。

これをきっかけに、その後もわずかですが飛行機に乗る機会がありました。確かに、ジェットと比べると加速感など比べ物になりませんが、理屈抜きでYS-11に惚れました。でも、もう乗ることはできませんけど・・・。(あるところにはまだあるんですけどね。)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

C623 (復活したマンモス機:昭和63年)

2007-03-24 01:15:54 | 蒸気機関車
皆さん、こんばんわ。

今日は、久しぶりに蒸気機関車篇で、C623をお届けしたいと思います。

昭和57年に初めてSLを撮影して以来、スッカリSLと旧型国電にハマッていたのですが、その後EF58の引退やEF55の復活などがあり、SLからは若干遠ざかっていました。東京~山口の距離と費用がネックだったこともあります。
そんなとき、国鉄の分割民営化を控え、C62の復活の話が持ち上がっていたことは知っていましたが、いよいよ函館本線に復活登場することになりました。

北海道までの費用は山口の比ではなく、山線という路線・地形の特性から、自動車での上陸又はレンタカーの借用など、そんなに簡単には行くことは出来ませんでした。しかしながらも、国内最大級・最強の蒸気機関車を見ないわけにもいかず、比較的運転日の連続する日を狙って出掛けていくことになります。

たった数回の撮影行ではありますが、追っかけをしたり複数のカメラを使って撮ったりしたので、記録が曖昧になってしまっている部分があるのですが、判る限り表示しましたのでご了承願います。


平成元年6月27日 函館本線 銀山~小沢間にて
これは2度目のC62の撮影のときのものです。私の撮ったC62の写真の中でも、一番お気に入りの構図です。


平成2年9月7日 函館本線 蘭島~塩谷間にて
山線一番の有名スポットです。煙もサービスで必ず出してくれますし、障害物の無い直線で、誰でも迫力のあるC62を簡単に撮れる場所でした。


平成2年9月8日 ニセコ~比羅夫
自分の中では、一番迫力が出せたと思っている1枚です。欲を言えば、煙が立ち昇って欲しかったですね。


平成2年9月9日 函館本線 小沢~倶知安
何のことは無い、極限にノーマルな撮り方をしてしまったのですが、地味な景色の中を走るC62にあって、比較的に色のある明るい写真だなぁと思った1枚です。


平成5年10月10日 函館本線 銀山~小沢間にて
C62の運転が終了するということで、北海道に行きたがっていた妻を連れて行ってきました。C62の最後の撮影となることは分かっていたので、迫力があってクリアな写真を撮りたかったのですが、季節はずれの大雨(雷雨)にあたってしまい、露出不足の限界ギリギリで撮った写真です。撮影の直前に雨が上がってくれたのがせめてもの救いでした。
そして、この次の日に初めてニセコに乗り、さよならをすることになりました。


本来でしたら、C62は「憧れの車輌たち」として紹介させていただくべきものなのですが、カテゴリーの都合上「蒸気機関車」に分類いたしました。
とにかく、大きさ、煙、迫力、どれをとっても間違いなく日本最強の蒸気機関車であり、同機が復活したときに「生きていてよかった」と実感させられたカマでした。
C11型に比べて維持費が掛かるのは理解できますが、やはり函館本線(山線)にはC62が似合うと思います。いつかまた復活してくれることを切に願います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀河鉄道999 (昭和54年:烏山線)

2007-03-23 01:06:05 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
こんばんわ。

今日は今までと変わったところで、イベント列車を取り上げたいと思います。
列車名は、「銀河鉄道999」。松本零士原作のSFアニメで、「宇宙戦艦ヤマト」に続いて大ヒットとなりました。この人気にあやかったのでしょうか、本物の車輌を使ってイベントが仕立てられました。行先は、烏山線烏山駅に設定されていました。

劇画では、C62型蒸気機関車の牽引でスハ44系タイプの旧型客車が描かれていますが、さすがに当時の状況では無理ですので、12系客車が使われました。


昭和54年7月22日 宇都宮運転所にて 折返し待機中のEF651007

上野から宇都宮までの直流区間は、EF651007が使用されました。塗装変更などは行われていませんが、メタリックシールで「GALAXY EXPRESS 999」と大きく表現され、勿論ヘッドマークも取り付けられました。



昭和54年7月22日 烏山線 宝積寺~下野花岡(?)だったような気がします

宇都宮から終点烏山までは、電化区間も含めてDE10100が牽引にあたりました。
この当時は、DE10がヘッドマークをつけて客車を牽引することは大変珍しかったと思います。


昭和54年7月22日 烏山線 宝積寺~下野花岡(?)だったような気がします

上の写真と同じ場所での後追いです。12系は9両編成で、おそらく烏山線に走った列車としては最大級の長さだったのではないでしょうか。


昭和54年7月22日 烏山線 烏山駅にて 折返しを待つDE10100

終点でどのようなイベントが行われていたか全く記憶にありませんが、駅名板には「アンドロメダ駅」とか書かれ(紙が貼られ?)ていて、イベントへの力の入れ様が伝わってきます。個人的には同氏のアニメが特に好きであるわけではないので、どちらかというと醒めた目で見ておりました。


行先不明のミステリー列車は、戦前にも実施された記録があるようですが、日本国有鉄道になってからは初めてではないでしょうか。その後も「イカルス」や複数の「999」号が運転されるなど、ミステリー列車の先駆けとなったことには違いありません。このような企画は、子供の夢を育てたり、意外な車輌の組み合わせや経路の選択などでファンを魅了させたりという意味で、あって良い「遊び心」だと思います。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憧れの車輌たちVol17 (EH10)

2007-03-22 02:40:52 | 国鉄・JR機関車(直流型)
こんばんわ。

今日は、久しぶりに憧れシリーズをお届けいたします。第17弾はEH10型直流電気機関車です。

東北・上信越筋に住んでいる私にとっては、東海道線や関西に走っているというだけで憧れの対象となるケースが多くなってしまいます。山陽・山陰・九州方面のブルトレや157系「あまぎ」、大阪・岡山発着の特急列車などがよい例だと思います。

東海道の貨物機については、EF60やEF65,そしてEF66がありましたが、前者2機種は地味であり、EF66は未来的な機関車に感じ取っていました。その中でも一際個性があったのが、このEH10だったという感じです。

EH10は、その名のとおり8軸の動力軸を擁しており、その車体の長さから2台で1両の扱いとなる、当時では唯一の形態でした。(同じようなスタイルでDD50がありましたが、同車はあくまでも2両で背面連結の「重連」運転を原則としているだけです。)

撮影カットは非常に少なく、見映えのする構図、画質ではありませんが、ご紹介させていただきます。




昭和52年頃 東海道本線 湯河原~根府川間にて 白糸川橋梁を渡るEH10(2枚とも)
この2枚は、私がEH10を撮ったファーストショットになります。当時、中学2年生ですが、初めて東海道線の走行写真を撮るために、一番有名だった同所を友人と訪れたときのものです。1番の目的はブルトレだったのですが、このときからEH10が好きになりました。


昭和55年8月 東海道本線 稲沢(?)にて 通過中のEH1031
確か、稲沢だったような気がします。以前からご紹介しております、キハ181系「やくも」撮影行の第1段階目で、大垣夜行から降りて最初のショットでした。


昭和55年8月 東海道本線 稲沢にて 構内を移動中のEH1031
この日は東海道線の木曽川附近で撮影をしていたのですが、撮影中は何故かEH10がほとんど通らず、駅までの帰り道でEH10重連を見たくらいでした。このままではと思い、稲沢に戻ったときの写真です。偶然にも上の写真と同じカマで、おそらく運用が終わって帰区したところに出くわしたのでしょう。
 

昭和55年8月 東海道本線 山崎~長岡京間にて EH106の牽引する貨物列車
山陰での撮影を終え、朝から同区間に張り付いていました。早朝であるため、残念ながらブレております。後に続くトラ90000も、今となっては懐かしい絵ですね。


個人的には、1~4号機の試作機の写真が撮りたかったのですが、結局写真も撮っていないようですし、見た記憶もありません。もしかしたら、昭和55年の時点で既に廃車になっていたのかもしれません。彼らがもう少し遅くまで残っていてくれたら、もっとマトモな写真が撮れていたのではないかと残念に思います。
幸いにもNゲージにおいて、同機が数種類発売されましたので、将来的には長い貨車を自作のレイアウトの上で走らせ、彼らを復活させてあげたいと考えております。

まだプリントアウトしていない彼らの写真がありそうなので、準備が出来次第またアップしたいと思います。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする