蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

婚活・今昔物語

2011-08-01 | 人生

今日は、なにも脳から指へ、伝達事項がない。

あっちこっちブログ散歩しているのだが、いっこうに、気配なし。

明日は、余裕がないので、今日、絶対にアップしておきたいのに、
そういうときに限って、なにもない。

こういうときは、ちょっとキライなブログをのぞいたりすると、けっこう、いいネタが落ちている。

ということで、ほんの短時間、そのブログに飛んでいった。
で、見つけた。ネタを。


話題は、釣書のことだった。
久しぶりに釣書を見て、いまどき、こんなもの、意味ないっていうような話だった。

釣書とは、結婚向け自己紹介プロフィールみたいなもの。
本人のカンタンな履歴と、親兄弟の紹介が、数行、ごくシンプルに書かれている。
この「釣り」には、相手を釣り上げる、釣り合いを見る、という意味合いがある。

わたしに関しては、とても釣書は、濃く深く密接に関係している。
あんなに、ボロのちょんに、あざけ笑い飛ばされると、ちょっとカミングアウトしにくいが。

わたしの時代でも、世間一般では恋愛結婚は盛んで、お見合いはごく少数派だった。
大学4回生でお見合いし、卒業した年に結婚というのが、理想のコースとされていたのが、
わたしのほんの少し上の先輩たち。

クラスメートのうち、親しいグループの結婚第一弾は、やはり、卒業した年に結婚していた。
彼女は、グループ一番の美人だった。
わたしの先輩である、姉の親友も、同じ時期にお見合い結婚。

時代からいうと、1割にも満たないかも知れないお見合い結婚だが、
なぜか、不思議とわたしの周りでは、お見合い結婚がかなりの数を占めていた。

子供の、とある塾のママ友たちも、ぞろり全員が、お見合い結婚だということがわかったときは、
なるほど・・・と、ある意味、納得した。
社会の構図を部分的に凝縮したサンプルのような結果に、
独特の暗黙の方程式のようなものを感じた。
社会の、ある部分には、
お見合い派が、佃煮のようにグチャっとひしめき、かたまって棲息しているようだ。
(辛酸なめ子の、最近発刊された新書のレポートに、ちょっと共通したものがある?)

自分の時代にも大いにお世話になったが、平成のこの世の中、この時代にも
釣書の写真だけを見て、笑い飛ばそうなどという、そんな気にはさらさらなれない。
親の気持ちがとても、よくわかるからだ。

でも、さすがに、この時代になると、娘たちも、すんなり釣書のやりとりには協力してくれない。
大手結婚相談所で、お相手を探そうという気にも、なかなかならない。
でも、自分を含め、多くのスペックを目にすると、
自分の市場価値が大まかにつかめる材料にはなるようだ。

本人が積極的に婚活しているならともかく、
親の手で婚活しているような男性は、嫌だという。
写真がどうとか、ファッションがああ、とか、それ以前の問題。
本人の意識のありかたが気になるようだ。

いくら親も本人もエリートといえど、女性たちの目は厳しい。
エリートに自力でなったのか、ママの力でなったのか、そのあたりが、チェックポイント。
経済力はあっても、生活力のない、お坊ちゃまでは、結婚生活は維持できるか?

女性たちも、おんなの武器のみで、エリートをゲットしようと虎視眈々だとしても、
そんなお坊ちゃまとの、今後の生活で、ちゃんとパートナーシップが築けるか。
おんなの武器だけを売りにして結婚した場合、なかなか、その後の運営が難しい。

一度でいいからお見合いをしてみたかった、という人々も、年齢を問わずおられる。
情熱家か、発展家、あるいは、モテモテで、お見合いの必要性がなかったか、
あるいは、まったく別の意味で、必要ないか、
その理由を、ご本人は、おわかりでない場合が多い。

そういう方は、いとも軽く、釣書を笑い飛ばせるようだ。

 

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