蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

なんで、いつも、こうなんだろう。

2011-08-03 | 趣味

昨日、社交ダンスの自主練習をした。

お安い入場料金(600円)がgoodな、どこかの共済組合が運営している施設を利用した。

来ている人は、お上手な方が多い。
(年齢は、わたしより、7~8~15才ぐらい上? 勝手な想像)
順番に、来場している別の人たちと踊る時間があるのだが、わたしは、またまた、くじけた。
とても短い、ほんのちょっと踊っただけで、はい、さようなら。
ある人に、放り出された。

失礼しちゃう。

わたしも、最近、いろいろ、思うことがある。
そんな短時間で人を馬鹿にしたように放り投げるような人は、
人格が成熟していなくて、なっていない人間だと思うようになった。
ヘタにちがいないと。

だいたい、こっちだって、クセがありまくる初対面の人に合わせて踊るのは、
すごく大変なんだ。
先生みたいに、お上手な人は、それはそれは、踊りやすい。
踊りにくいと感じるってことは、わたしもヘタだけど、相手も、ヘタだってこと。
その人は、いつも踊っているパートナーさんなら、
相手のクセもよくわかってくれているし馴れているだろう。同じ人と練習してるんだし。
が、初対面の人に通じてこその、リード・テクニックじゃないのか?
自分のヘタさを認めたくなくて、傷つきたくなくて、相手のせいにしているのでは?
と思ってしまうほど、わたしは、傷心を通り越して、むかついた。

もし、お上手なら、途中で放り出すような失礼なことはしないから、
力量不足の狭量人間にちがいない。
そうとでも思わないと、やってられない。
自分だけを責めて反省ばかりをしていては、めげる一方で、いっこうに上達しないし、
そういう人々をバネに、踏みつけられた分、別のエネルギーに転化しようじゃないの。
(→口先おんな)
できるか、できないかは、別として。

「すみません、すみません」って、謝りたおすのは、もう止めようかな、と思った。
ヘタっぴの人に、気まずい踊りをされて、なんで、こっちだけが謝らないといけない。
おたがいさまなのに。
その時はショックだったが、考えてみると、今頃になってアタマにきた。

と、自分のヘタを棚に上げて、これを逆切れと言うのだろうか。
ま、あんな失礼な人のことは、きれいさっぱり忘れて、明日からのことを考えよう。


ダンスのステップや、テクニックだけではなく、基礎体力、柔軟性が必要と感じる。
総合的にそういった力をつけるためには、日々の積み重ねが大事ってことだ。
若さだけに頼っていては、だめということ。

ある程度の年齢になって、年齢に応じた省エネダンスをするにも、
かつて踊りこんだ基礎が身に付いていないと、たんなる盆踊りになってしまう。
ただし、自分では自画自賛でも、ものすごく我流が身についている場合もあるけれど。

どんなスタンスであろうが、人は人。
自分は自分の目標を持って、やっていきたいけれど・・・

しかし・・・
昨日、痛切に感じたことは・・・

わたしは、覚えが遅い。
覚えたことを、すぐ忘れる。
ダンスのセンスが悪い。

つまり、ダンスには向いていないってことだ。
「下手の横好き」ということばは、わたしのためにあるようだ。
またまた出来もしない理想を描いて、ギャップに落ち込む、いつもの悪いパターン。
この思考癖、回路を変えないと、わたしは一生、ないものねだりをすることになる。

どこの誰とも交流せず、井の中の蛙で、外の世界をなにも知らず、なにも疑わず、
自分は素晴らしい、と、思いたい~~~っっ

あああ、がくっ。

まあ、挑戦しないであきらめるより、、挑戦して、みっとなく敗退するほうが、まだマシ。
悔いのないよう、わたし流に、ジタバタあがくことにしよう。
要領の悪い人間には、それしかない。

 

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