お盆行事も、どうにか終了し、昨夜、我が家に帰ってきた。
まだ、夫や娘たちは、今日は出勤せず、お盆休みが続いている。
上娘の友人(東京在住)の、お休みの長さを聞いて、
まあ、なんと長いこと・・・一度に集めて休みをとった、というものの、
大手企業の夏休みの長さには、驚くというか、ため息が出る。
なので、まだ我が家は、お休みモードで、平日のパターンではないが、
お盆関係は、きれいさっぱり、終わり、
土地に根ざした古い風習のない、歴史の浅い町の、いつものお休みの色合いだ。
夫の実家では、お盆は、ご先祖様がぞろぞろ団体さんで帰ってきて、
生きている我々が、あれこれ御供えする。
そっちよりも、今回は、上娘のゲストのほうにわたしは気を取られ、お盆行事は、
なにも苦もなく、難もなく、いとも、すんなりと、サクサク行われた。
はるばるゲストが来て泊まるとなると、宿泊部屋、リネン類、洗面、浴室、食事・・・と、
旅館とまでは言わないにしても、わざわざ遠方から来てくれているのだから、
居心地よく過ごしてもらえたら嬉しい。
付かず離れずの距離関係を意識して、くっつきすぎず、ほったらかしすぎず・・・
ちょいちょい、部屋に訪れたり、娘とゲストが、我々のほうに来たり・・・
今回は(も)、夫がゴルフで不在だったので、家の中が酸欠の危機にも陥らず、
暑苦しくなく、とてもスムーズにコトが進んだ。
義母と、我々との距離も、ゲストとの距離も、ほどよく取れ、けっこう、うまいぐあいにいったと思う。
帰り際に、にこやかな笑顔で挨拶をしてくれた彼女たち、
爽やかな、その後姿を見ながら送り出し、やれやれ、と胸を撫で下ろした。
その次の日からが、仏さんの御供えオサンドンだったので、スケジュール的には、とても楽だった。
いつもながらの、お盆用、仏さん用の食器で、決まったメニューの食事を御供えした。
この朱の漆塗りの食器は、お正月用とほとんど同じ時代のものなのだが、
一年に一度しか使わないものの、もう、わたしは、嫁入りした時以来、使っている。
180年近く前のものだが、使い始めたのは、いつ頃からなのだろう。
お膳も、椀皿も20客単位だから
もともとは、冠婚葬祭用に、大勢の人々をおもてなしするため購入されたのではないかと推測する。
それは、まあ、いいとして、義母に、あいかわらず、洗濯物の干し方で、クレームをつけられる。
「北向きに干してはいけません。南向きに干しなさい」
もういい加減、覚えてもいいんだが、わたしも、気合を入れて聞いてないんだろう。
「はい」
あいかわらず、聞いているが、頭を素通り。
が、わたしは、ハンガーの向きを180度クルンと回した。
単にそれだけで、あっという間に、北向きが南向きに早変わり。
文句を言うより、ほんの一瞬、ハンガーを回すほうが、カンタン。
「昔は、着物の合わせの向きの加減で、重なった部分がよく乾くように、南向きに干すのよ」
「介護に行ってるUさん(介護スタッフ)が、言ってたけど、どこのお年寄りも、そう言ってるって」
そういう、追加フレーズ付き。
介護を受けながら、洗濯物の干し方をいちいち注意されたら、介護スタッフのひとも、うんざりするだろう。
でも、みなさん、徳を積んでおられるから、笑顔で実行されるのだろう。
(こころの中までは、知らないけれど)
わたしは、着物のたたみ方すら、まともに知らないのに、家で着物を洗濯して干すなんて
ありえないことなので、南向けの干し方を、音楽か教養講座のようなノリで、聞いていた。
お盆や、ご先祖様にまつわる、いろんな膨大な話も、義母から聞いた。
(我々の、「町の暮らし」が、重みがなく軽いと感じているフシもあるが)
しかしこれだけ、長年にわたり、何回も聞いているのに、
なんで、わたしは、こうも、まともに覚えられなくて理解できないんだろう。
不思議を通り越して、自分のいい加減さに、にたにた笑えてしまう。
でも、義母もいつまでも、アタマや記憶力、口が達者とも断言できないので、
このごろでは、わたしはメモをとったり、表を書いたりして、正確な理解と、記憶につなげられるよう、
自分なりに努力している。
しかし、わたしは、そうとうなアホだが・・・・
よくよく考えてみると、これだけアホなほうが、けっこう、うまく行っているように感じる。
(やる気がないだけ、とも言える?)
へんに賢かったりすると、やってられないかも。
意見も出るだろうし、考えが違うことを表明し、違う独自の道を歩むかも知れない。
(それはそれで、自立への自然な流れで、結構なことだが・・・)
嫁姑の権力は、うちの場合、年功序列なので、元気なうちは、姑が上司。
今の時代、着物なんぞ、まったく着なくて、家で着物を洗濯なんぞしなくても、いいの、いいの。
昔はそうであって、それを強制させようとしている人がいても、
同居していたり、介護スタッフをやっていて、毎日顔を突合せているわけでもないので、
べつに、(どうでも)いいの。
ご老人は、元気なうちが、ハナ。
嫁姑が助け合って、家を盛り立てて、次世代に引き継がせていくことができれば、それでいい。
時代に合わないことは、自分のなかで調整すればいいこと。
切り捨てるものと、残すものを振り分け、アレンジし、次代に伝えられたらいいと願っている。
ちなみに・・・
夫のエアコン依存病の遺伝子は、明らかに義母から、と明白にわかる、
家の中での、義母の節電しないぶりは、あっぱれで、闘う気力もなし。
各部屋、どの部屋もどの部屋も、窓も、ドアも開けっ放しで、エアコン、扇風機、つけっぱなし。
暑がりで冷え性の義母自身がベストと思える、そのやり方、暮らし方で、
義母の健康を保っているのなら、それでいいのかと。
何度も言うようだが、日ごろは、別々に暮らしているので、お互い、独立国。
表面上は、独立採算制。(実際は、経済負担はこちら持ち)
本当に助けがいる、その時まで、ぎりぎりまで、
義母自らが厳選したサポート・スタッフの力を借りながら、(今までそうであったように)
心身健康のため、自立した生活を送っていただきたい。
実際のところ、理想と現実はなかなか一致しないが、
相互理解、支え合いの精神がベースにあり、それを無理のないカタチで(試行錯誤しながら)
育んでいけば、ぎくしゃくせずに、お互いにとって適正な距離間が保てるように思う。
よその家の、満足っぽい話、読んでいても、おもしろくとも、なんともないかも知れないですね。
わたしは、いままで、不満たらたら(今でも、時折たらたら)でしたが、
最近になって、この年になって、ようやく、
大きな流れのなかで、モノゴトを見ることが、少しできるようになりました。
でも、まだまだ、未熟、未完の、モラトリアムですが。