明日から、ぐーんと忙しくなってくる。
お盆には、ご先祖様がぞろぞろ団体さんで帰省してくるからだ。
ついでに、生身の人間、上娘も、東京から友人を連れて帰省してくる。
仏さんのオサンドン(代々伝わる、きっちりメニューが決められたものがある)
毎年、これに、振り回されるのだが、それに加えて、人間のオサンドンが加わる。
しかも、ゲスト付き。
さらに、場所は夫の実家。
自分の家なら、勝手知ったるところだが、夫の両親の家。
庭が草ぼうぼうだと義母は気にし、先日からふらつく、ということで、おもてなし一切をわたしに委ねる。
夫の実家は、じつのところ、わたしの家より、キレイ。
掃除、きっちり。リネン類も完備、整理されている。
義母は、なんと、今は絶滅種の良妻賢母。
その良妻賢母を育てる学科を卒業し、みっちり仕込まれているので、家政に関しては、プロ並み。
あ、ちなみに、わたしは、幼稚園児並み。
しかし、おもてなし、といっても、そんなもの、できない。
お盆は、仏さんのおもてなしのほうが、優先順位が高い。
第一、お盆のど真ん中に帰ってこられても、仏さんを抱える家では、忙しいんだし、
「ちゃんとおもてなしできないから、お友達は連れてこないでね~」
と、とりあえず長女にやんわり断ったのだが、いったんは、聞き入れてくれたものの
「わたしたちは全然、気を使ってないから、そっちも、気を使わないでね」
と、来ることを決行するようだ。
あなたたちは、気にしなくても、こっち(義母と、わたし)は気にするんだって。
で、アタマが痛い。
お友達の分も、ちゃんと食べさせてあげられるだけの、料理の力量が、わたしにはない。
仏さんの分だけで、精一杯。あっぷあっぷ。
仏さんに出した分を、流用しようか。これ、いいかも。
しかし、それじゃあ、お若い20代の二人には、ちょっとシブすぎるような気がする。
御供えメニューは、オール野菜。肉、魚なし。
東京から出発し、明日の夕方には到着するという二人。
わたしは、のんきに、明日の昼過ぎに、夫の実家に向かう予定。
準備時間、ほとんどない。
大丈夫なの? わたし?
夕食、なににする気? まさか、またスキヤキ?
(前も、我が家に二人が来たときのメニューは、スキヤキ。そのメニューしかない、と思われそう・・・。
いや、実際・・・そんなかんじ)
翌日の朝食は? 昼食は? あああ・・・
食事だけが、わたしの大ネック。(食事以外も、ネックだが・・・食事は、とりわけ極め付き)
落語家殺すにゃ刃物は要らぬ。あくびのひとつも、あればいい。
スロー(わたし)殺すにゃ刃物は要らぬ。「食事、家でいただきます」のアポがあればいい。
仏さんのメニューみたいに長い長い間、ずっと同じの献立のほうが、どれだけ楽だろう。
帰省組の仏さんに新人が参加すると(一番、近年では、10年前の義父)、
コーヒーとか、食事の合間に、その人だけが好きなものをプラスしていることもあるけれど。
わたしがあの世に行って、お盆に帰ってきたら、なにを供えてもらおうかな?
その頃、御供えしてくれるような、仏祀りをしてくれるような、そんな人物はいるのだろうか?
強制的に息子に責務を押し付けることになるのだろうけれど、
無言の圧力ほど、息子にとって、気の毒なものはない。
結婚してないかも知れないし、妻子のない、老いた独身の息子が細々と・・・・
なんだか、かわいそうな、そんな気もする。
現状から察すると、わたしは勝手に、彼は結婚してないだろうと想像してしまっている。
いまの、子供たちは、結婚はとても意識も違い、なかなか難しいので、親が外野からヤキモキしても、
昔のように縁談がまとまることはマレだと思う。
(奇跡的に)結婚できたとしても、この、仏壇やら、お墓やら、お盆のメニューやら、
そんなことをお嫁さんが引き継いでいってくれるのだろうか。
しかし、自分で終わらないようにするのが、わたしの、せめてもの責務かも知れない。
家意識や、家の宗教の継承って、代々、引き継ぐのが当たり前と考えられていた時代と
そうでない時代がある。
「うちは、重々しい家ザアマスすから、よろしくお願いするザマスっ」
と、重さをどしんと押し付けるって、誇りなのか、埃なのか、重いだけなのか。
日ごろ、サボりまくっているわたしだが、要(かなめ)のところだけ、きちんと押さえておかねば、
とは思いつつ・・・
いったい、どうなるんだろう。
嫁いでくるお嫁さんのタイプにもよるだろう。
この影響は、かなり大きい。
時代の波、時代の価値観、動くもの、動かないもの、自由なもの、そうでないもの、
いろいろあります。
非常に微妙な問題、立場である。
自分も嫁、姑も嫁、姑の姑も嫁、その前の姑も嫁、その前の・・・・。
つまり、嫁が、いずれ姑になって、延々、それが繰り返されているわけだ。
順番としては、それそろわたしが姑になる頃なんだけれど、
嫁姑・数珠つなぎが、わたしのところでストップしてしまうとも限らない。
嫁ももらっていないのに、そんなことを考えるわたし。
第一、今の時代「嫁をもらう」なんていう感覚こそ、古臭くない?
じゃあ、「嫁にきてあげる」?
押しかけ女房?
いや、それはニュアンスが違う。これは女性の方が積極的な場合に使うフレーズ。
嫁に「行く」、「来る」、という、その概念が今では違うような気がする。
ま、専業主婦で食べさせてもらおう、なんてアタマっから思ってる女性や、
どーんと引き受ける男性には、そういったかんじなのかも知れないが。
平成のこのご時世に、こういった微妙なことを感じている妻、嫁のことを、
夫は、まるで理解していない。
家の方針に従うのは、あたりまえ。嫁に来ているのだから、と。
アタマの中は、むかし、むかし、むか~しの、ずっとずっと前のまま。
お盆にどっと徒党を組んでやってくるご先祖様たちと、さぞや話が合っていることだろう。
(お盆は、例年、毎年、夫はゴルフで不在だけど)
家や嫁の価値観、概念が時代とともに変わる今、
次世代のこともチラリと考えながら、
とりあえずは、忙しいお盆の行事をこなすことにしよう。