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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

潜在能力

2021-12-13 | わたし
バスで見た母子。
ベビーカーに乗せられた生後数ヶ月のベビーとママ。
わたしが抱いている母子イメージが、以前街でよく見かけた母子と最近、変化している。
前は可愛い赤ちゃんと、若々しいフレッシュな母親。
今は、、、見かけには拘らない生活実質主義の、地に足が着いた、やや年がいった母親。
キャピキャピ感、ゼロ。
チャラチャラしていない、どっしりした質実剛健型の服に、眼鏡。ノーメイク。
見方によれば、経済的余裕がないようにも見える。

これは実はわたしの次女もこのタイプ。
華やかさは皆無だが、やたら人生の重量感がある。
1番の特徴は、若くないこと。
ちょっと前ならとっくに子育てから解放されている年齢。
実際、わたしが次女の年齢の時は、子供たちはもうじき中学生だった。
晩婚化を肌で感じる。

キャリアを積み、経済的にもやっていける実績と自信をつけた後に、子供をもうける。
偉いと思う。
どうにかなるさ、ではない。
その点、わたしは、宿の女将任命は、数年に一度だろうし、あとは、週に数回開かれる簡易食堂のおばあさん。
(じわじわ回数は増えつつあるものの)
まあそれはそれで、楽しませてもらっている。

ただし、わたしと晩婚女子のそれまでに至るプロセスやキャリア、道のりは違うが。
人生コース、分岐点で分かれても、最後あたりは合流。
わたしの場合は、最初からフルコース設定を自分で設定したため、変更が効かず、苦難の日々もあった。
じつのところ、わたしが臨機応変、柔軟性の塊りの人間性であるため、ガチガチに固められたコースもなんのその。
道草くいまくり、お花摘みまくり、鼻歌うたいまくり、買い食いしまくり、、、、、
とりあえず、約束の時間、場所に行けばいいんでしょ?!とばかりに、時間を逆算してサボりっぱなし。
そのサボっている時間を目いっぱいフルに働いていたら、ゴールはまた違っていただろう。
(ゴールの設定が肝)
それこそ輝かしいキャリアを積んでいたかも知れないが、もう定年だし。
いくら輝かしい舞台を自分で築きあげても、降りる時間。
それからの新しい舞台を用意しなければならない。

そう思うと、道草くいまくり、サボりっぱなしキャリアを積んできたわたしは、サボり方、楽しみ方を自分流に構築している。
今更、新しく考えなくてもよい。
というか、サボってきた分、エネルギーが枯渇せずに、まだまだ潤沢にある。
かと言って、ハードに精一杯、人の役に立つような良い行いをするかというと、出し惜しみする。
わたしの歩みは、まさに出し惜しみ人生!!のようだ。
あるのに、出さない。

そう言えば、小学校高学年の担任の先生に、
「やれば出来るのにしない」と口を酸っぱくして説教された。
しかし、やる気がないのも能力有無の一つ。
やる気スイッチを押してくれる塾もあるようだが、今の世の中、むやみやたらにやる気スイッチを押しまくると、パワハラだの、モラハラだの、さじ加減が難しい。
わたしには、やる気がないと見なされたのは、今思えば、デキる時があったからだろう。
デキるのに、しない、、、となる。
しかし、デキたのはまぐれで、まぐれが複数回、ランダムに続く。
本人は制御出来ない。
また、やってみせてよ、と言われてもコントロール外なのでデキない。

こういうムラを、「練習」という日々の鍛錬で精錬していくのが、努力の賜である。
「努力」という概念が日本人は大好きで、美徳のようだ。
わたしは、日本人ではないかも知れない。
だが日本人に限らずワールドワイドでも、天賦の才能に加えて努力した人が偉業を達成していると考えられる。

精錬しないまま、原石のままほったらかしにしているわたしは、やはり努力不足だと自覚する。
原石の時に何の光も放たなければ「努力不足だ」などと言われないのに、無自覚、無認識のなんらかの能力を放つ瞬間があるのだろう。
その瞬間を感じたり、救いとったりする環境が整っていたら、するする順調に開花する可能性がゼロではない。

だが、一瞬放った能力のために、後々補足、補完しなければならないから、ある意味、努力嫌いの人にとっては、苦悩の種になったり自責の念に駆られたり、期待に押し潰されたり、自分の中途半端な能力は邪魔かも知れない。
自分の高い部分を見て見ぬフリしてほっといてもらったら、あるいは誰の目にも触れない環境なら、そのまま自分の低いレベル路線で行けたのに。
それはそれで、自分の低いほうのレベルにいる自分に嫌気が差して向上しようと思うかも知れない。

能力は開発されるものだとわたしは思うが、その機会に恵まれるか恵まれないかが大きなポイントである。
一種の運、不運もある。タイミングも。
(偶然の出会いで触発、誘引されることもある)

話が逸れに逸れている。
気分屋(わたし)は、これだから困る。

ちなみに、唐突に、わたし流の単語解説を。
姑(しゅうとめ、または、しゅうと)=配偶者の母親、義母
舅(しゅうと)=配偶者の父親、義父
婿(むこ)=娘の夫、○○の夫
嫁(よめ)=妻、息子の妻、○○の妻、○○家に嫁いできた女性

家父長制ありし時代の名残りの呼び名。
わかりにくくて、ゴメンなさい〜。