蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

幸せになりたい人が読む本

2021-12-20 | 暮らし
子供たちは皆、自立、独立してくれてわたしは、こころから安堵している。
わたしだけが、取り残された、昭和の蜘蛛の巣が張った古城に籠城している。(はい、老嬢ですから)

時代は変わり、令和になっている。
もしわたしが令和生まれなら、生きて行けない。
かつての亡霊たちと共に過去の価値観を引きずっているからこそ、令和になってもどうにか生きている。

どこがどう生きて行けないか。
自立力の無さだろう。
今はまだどうにかやっていけるが。
それまでの蓄積を切り崩して。

自分なりに頑張ればよいが、頑張らない、頑張れない。
それを時代のせいにしようとする姑息で卑怯なわたしがいる。
昔昔大昔でも自立心旺盛な頑張り屋さんは存在する。

女性は女性らしく。 
自立していなくても家庭に入っていれば生きていけた。
今なら「おかあさん、何をしているの?」と厳しい娘たちの声が聞こえてくるようだ。
夫に従っていれば、夫は喜ぶし、何の問題もなく平和で安泰の毎日、、、

なのにもかかわらず、、、夫には従わない、協力もしない、むしろ反逆。
で、その分、自分は何かをしているのか?
(ここで、娘たちの厳しく怖い効果音が響く)
・・・何もしていない。
実践を伴わない理想なんて、持たないほうがスマートである。
自分の身を削らないで差し出す要望なんて、、、わたしには権利はあるのか?

自分の身の丈の分だけ、享受すべき。
だが、身の丈以上に、享受しているし、更にもっともっとと欲張る。
全てを手放して、凍てつく寒空に自身の身を投げ出す気もないくせに、やたら反省したりする風を装い気分だけを味わって、何かしたような気になっている。
実際は何もしていない。

花嫁修行中、家事(家業ではない)手伝いという、今はなきカテゴリー。ポジション。
自分でしたことで現在も活きていることと言えば、、、DNAを継承しただけだ。
(それでも一応、若き当時、道選び、岐路で究極の選択をした結果)
それはこの世でたった一人、わたしだけのDNAを活用している。
(長女も仕事上の選択岐路に立った時に似たようなことを言っていた)
だが、世の中の皆さんのように同時進行して色々仕事を成した、だとかならまだしも、、、、、、

人生100年時代に突入し、まだ実親も存在する中、わたしはお役目終わりでリタイア。
生き甲斐を失う人もいるようだが、それはバリバリなんでも活動する、やる気満々の人の場合だと思う。
わたしは、リタイアをこころの底から喜んでいる。
ただし、今は。
これが、誰にもあてにされず、役割も与えられず、一人ぽつんとしていたら、生きる屍となるかも知れない。

面白いことに、わたしの子供たちの日常シーンには、まだまだ若い彼らであるが、家族メンバーにお互い役割を創設している。
姉妹の夫たちにも、気まずくならないように、シーンシーン毎に役割をプラン、用意されている。
若くても、義理の間柄でも、ポジションや役割は、人間関係や日常生活をスムーズに運ぶには欠かせないもののようだ。
リタイアした人間だけのものではないと感じて、なんだか変に納得している。

さて。
先日、大手書店で立ち読みした著書。
「幸せになりたい人にオススメの、自分を生きる方法」みたいな内容だったが、パラパラ読んでびっくり。
すべて自分が思っていること、していること。
何ひとつ目新しいことは発見できなかった。
わたしは、ある意味、自分では無意識で幸せを手に入れているのかも知れない。