結婚して、わたしが最も傷つけられたのは、仏様のようにこころの広い優しい姑だった。
姉の鬼姑の実話を姉から聞かされていたので、戦々恐々として婚家には臨んでいた。
ところが、、、姑はわたしにとても優しく接してくれた。
ヒステリックな実母とは正反対だったこともあり、わたしは大変、幸運を喜んだ。
、、、、、が、、、、、
(先日亡くなった)姑の姉からの一言にも深く傷つき、90歳をとおに過ぎ亡くなった今でさえ、わたしはその言葉を忘れることができない。
彼女たちは、昔の世代であり、時代の最後方を歩いていた。
自分たちが置かれている状況や立場を俯瞰的に見ることは決してなく、半径10キロの生活圏で生きていた。
それはある意味、幸せなことだった。
姑は、姑の姉を常に羨ましく思っていた。
結婚するまでは同じ環境に育ったのに、結婚後は姑の姉は経済的に姑より恵まれていた。
当たり前のことなのに、羨ましがる姑をわたしは理解出来なかった。
自分の力ではないところの面なので、努力しても当然、及ばない。
だが、経済的背景だけでなく、頭脳面でも姑は、姑の姉にコンプレックスを抱いていた。
同じ環境、同じ両親から生まれても、結婚後はお互いの道に分かれた。
わたしの目には近くに住む仲良し姉妹に映った。
ほぼほぼ似たような生活環境である。
二人は別に仲が悪いわけではなく、姉妹は同じ時代を生きていた。
戦中派の二人は古い価値観を持ち、皆んな周りは同じ価値観だったため、自分たちの価値観を疑ったり、見直したりする機会はなかった。
見方を変えると、幸福である。
だが、女性の地位が低い、男尊女卑の家庭を当たり前と受け取っていた。
なんの疑問も抱いていないように思えたが、諦観か?
時代と地域と家風からだろう。
姑は、女性が結婚して子供を産むのは当たり前で、子供が出来ない夫婦は、わざと意図して作らないと思い込んでいた。
無神経な発言も、なんの罪の意識もなくあっけらかんてして明るくずけずけ口にする。
無知の恐ろしさを嫌というほど見せつけられた。
結婚した翌月から「子供は?」と聞かれた。
2か月目にも、3か月目にも、毎月、聞かれた。
4か月目にやっと懐妊、結婚して1年1か月後に長女が生まれ、ほっとした。
たった3か月の間だったが、わたしは女性として苦しんだ。
わたしよりうんと良くない、どんな(酷い)女性であろうが、子供が出来る人は評価される。
出来ないと針のむしろ。
なんのために、今まで積み重ねてきた人生だったのだろうと思った。
わたしは子供を産む道具なのか?
産まれたら産まれたで、夫にそっくりなベビーの顔を見て「腹は借り物とよく言ったものね」と、姑の姉に笑顔で言われた。
言った本人は、悪気はまったくない。
これは明らかに、出産ベビーハラスメントだ。
姑が嫁に来た時代は男尊女卑はもっとひどくて、姑は病気になった。
おしんの時代、明治時代のことかと思いきや、第二次世界大戦が終わり、戦後の昭和ベビーブームの頃。
遅れに遅れた、この時代遅れの家!!!
ありえない。
こんな家に夫は生まれ育った。
わたしとは異文化を背景にする異国人である。
古い価値観の人々が次々この世を去り、強制的に世代交代時期を迎えた。
亡霊を背後に抱える夫との新しいスタートに、わたしは脱力感、虚無感に見舞われている。
ちなみに、、、一昨日、民放TV2局で見たニュース。
戦争の火蓋を切ったパイロット(現在103歳)が、敵機に弾が命中し任務を全うした瞬間、誇らしげだったと回顧していた。
櫻井翔が、インタビューで彼に投げかけた「その先には人の命がたくさん含まれていることには何も感じませんでしたか?」という質問に、
「当時は上官の命令に従うだけで、それが100%だったから、命のことは頭には全くなかった」と。
理性は任務を全うすることに全集中させ、倫理など考える余地などない、そんなものなのだろう。
敵の操縦士も自分と同じ立場、役割で、戦いが繰り広げられる。
やるか、やられるか。
しかし、それから80年の時が経つなかで、彼は苦しんできた。
時代の価値観というものは、自分が考える力を奪う。
姑もその姉も善良な一市民。
夫もわたしも子供達も。
だが、時代が変わると共に、終わるもの、消えるもの、抹消されるもの、姿を変えるもの、改善されるもの、引き継がれるもの、、、色々なかたちで展開される。
淘汰されるものが生き残る。
生き残らなかったものは、淘汰され残ったものの栄養となりスパイスを効かせて目に見えないところで生き続けている。