蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

贅沢

2021-12-21 | 暮らし
蝶ブログ。自分の何年も前の過去記事を引っ張り出してどなたかが読んでくださる。
その経緯から過去タイトルを見つけて、自分の記事を読む。
かつては、ドキドキしていた。
どんな変なことを書いているのだろうと、自分のヘマに気づかずアップしているのではないかと。
今は違う。 
安心して読める。
自分の過去記事に自分が励まされる。
過去のしっかりした内容(自分比)に触れ、今の安らかな衰えを感じる。
一時、流行った鈍感力というものだろうか。

それと、、、
お読みになる方がわたしの年齢が上がるのと同時に、歳を重ねる。
わたし同様、若くないと思われる。
なので、ピックアップ記事が上がった年齢に相応しい内容のものになる。
その年齢でこそ感じること。
その2つの側面から、安心して過去記事が読めるのだと思う。

かつての、今より若い年齢の時は、お読みになる方もわたし同様に若く、記事内容もそれなりに若い。
老境が理解出来ない年齢のもの。
痛々しかったり、けしからん内容だったり、今に比べると、若気の至り。
世の中の若者を嗜めるより、自分の若い時は最もわかりやすい「来た道」の実況見本だ。

しかし、過去の自分に、現在の自分が励まされたり、諭されたりするなんて、思いもしなかった。
ブログの想定外の副作用だ。
将来の自分もまた過去の自分から見て拍手されたり、労われたりするのかも知れない。
過去の自分を見ては、こんな元気な時もあったなあ、、、と懐かしむのだろう。

過去のわたしから今のわたしに「頑張ったね!」と。
今のわたしから過去のわたしに「頑張ったでしょ!」と。
将来のわたしから今のわたしに「若いね」と。
今のわたしから将来のわたしに「年とったね」と。


わたしは、人生100年時代だというのに、まだ3分の1も残っているというのに、、、
朝、好きな時間に起きることの贅沢に酔いしれている。
夜、好きな時間に寝ることもまあ、悪くない。
最近は寒くなってきたので、あまり夜更かししない。
ゆっくりお風呂に入って体を温めて寝ると更に幸福感は増すのだが、一人だけお風呂の湯を張るのになぜか抵抗がある。
たんなる気分屋なのだが。
もっともっと寒くなると、自分だけのためであってもお風呂を沸かすだろう。

一日中自由な時間をまったり満喫している。
これは最高に満ち足りた気持ち。
好きな時に好きなものを飲み、食べる。自分だけのために。
自分の好きなTV番組を自由にのびのび、熱心に見る。
しかし365日これだと、絶対に退屈するだろう。
目前に控える年末年始、家族大移動がアタマをよぎる。
タオルはどうしよう?こちらからある程度、持って行こうか?
シーツ、布団はだいたいはあるものの、大丈夫か?
食品はオーダー品の他に、うちから持ち運ぶものや、むこうで買うもの、あれこれ。
調味料も一つ一つ、ケータリングのように持っていかなければ。
正月のお飾り、設は??
・・・・・
アタマの隅っこでチラチラし始めている。
が、テコでも動かず、自由時間を無理矢理満喫しようとしている自分がいる。
追い詰め、切羽詰まらないと動かない。
前倒しで毎日少しずつ準備したら、楽だし、忘れたり失敗もないのに。
でも動かないわたし。
さすがに、じわじわお尻が熱くなりそうな気配。
だが、無理矢理、今日もまったりするぞー!!と、へんに自分にハッパをかけている。
全く優雅でもなんでもない。
宿題をしないで無理無理、苦しそうに遊んでいる小学生孫のようだ。

罪の意識からか、罪滅ぼし、免罪符効果を無意識に求めてか、今朝は夫のシーツや枕カバーを洗濯した。
こんなことで、サボりが紛れるならあまりにも自分の存在意義を軽視しすぎか。
わたしは軽いからそれでいいのだ。
今日はシーツ洗濯したから、100点!
(洗濯機がやってくれる。水だってはるばる運ばなくても、蛇口を捻ると出る)

とは言いつつ、贅沢な自由時間というものは、制約があってこその贅沢だということ、、、小学生孫だってわかる。