ふるさと納税の御礼方々、その自治体から情報誌が送られてきた。
裏を見ると、介護付き有料老人ホームの広告が大きく載せられていた。
わたしは、このキャッチコピーに釘付け。
ハートを鷲づかみされた。
この豊かな老後の理想!!
「私にとっての豊かな老後とは、子供に迷惑かけずに生きることです。」
さらに、大きな文字で、
「人生を、満開に。」となっている。
唸りました、名コピー。
少し前なら、姥捨山に捨てる気かぁ〜〜!と鬼の形相で叫ばれるところだ。
(はい、わたし、母に叫ばれました)
時代は変わるものだ。
母がシニア施設に入ってもう6年になるか?
そんな日もあったのね、あったのかしらん?
ん?なかったかも?
ぐらい、遠い日に思える。
もちろん、母と同じぐらいの年齢の老親御さんと同居しておられる方々もおられる。
三世代同居だったりする。
たまたま知り合いに、パターンがそっくりの家族構成の人がいる。
娘さんが2人いて、2人とも独身。両親と、おばあちゃんと同居。
おばあちゃんにとって、お嫁さん、または娘さん、頭が下がる。
わたしたち姉妹も母の世話を通いで交代で短期間したが、ネを上げた。
近くに住む、血が繋がらない遠縁にあたる元従業員女性も手助けしてくれたが、母が少し認知症が出てき始めていたせいもあり、お金の管理にどうも信頼がおけず、我々姉妹2人だけで母を見た。
通うにもわたしは片道2時間半かかることもあり、週に何回もはきつかった。
泊まり込むなり、引き取るなり、選択肢はあったが、姉と相談して、まだ、意識がしっかりしているうちに、老人ホームに入ってもらうことにした。
本人は納得したものの、約束の入所日には抵抗した。
ここ(自宅)からの美しい眺望ももうこれで見納めか、、、と、感傷に耽って嫌がるのを、さあ、時間だから、と急かすようにすると、母の口から姥捨山発言が出た。
わたしとしては、無理矢理家から引き離すような、そんな気持ちだった。
かといって、母を引き取れない、引き取らない。
母にとって豊かな老後は、いつまでも自宅で自立して過ごすことであり、皆さん誰しもがそうだろう。
一世代下のわたしでさえ、そう。
できる限り自宅で過ごしたい。
癌など末期の患者さんを最期の日々を病院ではなく自宅で過ごしたいという希望を叶えてくれる、緩和ケアをしてくれるドクターの活動をTVで紹介されていた。
母は身体は病気ではないが、自立生活ができなくなったことは事実だ。
認知症も病気だとすると、老いや病気と向き合いながら、共に生きていかなければならない。
だが、自立できる、できないの、線引きをどこでするかが重要なキーポイントとなる。
自分による判断と、客観的判断は違う。
まだまだ元気なのに、収監されるかのごとく、老人ホームに入れられるとなると、姥捨山発言も出るだろう。
自ら、姥捨山に出向く人は少ないと思う。
しかも、荷物は少なく最小限。それは、優等生。
お高いホームだと、長生きしすぎると、費用を払えなくなる。
想定内期間中にあの世に行かないと、その後、どうする???
皆さん、どうされているのだろう。
入るは良いが、出られないのではなく、入り続けられない。
かなり余裕の資金を用意しなければならない。
人生100年、105歳、108歳まで生きたら、老人ホームの費用が100歳までしか用意してなかったら、、、?
長生きすることを考えて、資金力に見合った所に入らなければならない。
老人ホーム運営会社が倒産することもありえる。
子供に、もろに迷惑をかけることになる。
理想はあくまでも理想で、そう心がけていれば、きっと積み重ねが良い展開を招くかも知れない。
楽観視。
が、生きている間の費用でさえ不安があるのに、意識が曖昧の状態期間の分の費用まで用意できるのか?
なるようになる、と、子供に頼る?
子供がいない人は?
人生を、満開に、、、、どうやって?
ツッコミを入れていては、広告、宣伝にならない。
不安を煽ってはいけない。
しかし、万が一の、生き続ける自分をどのように設計しているのだろう?
わたしの知人で、親御さんを早く亡くした人は、悲しみに暮れておられる。
親御さんが、延々と健康で生きておられる方は素晴らしい。
経費がかかる所で、延々と生きておられる人は?
入所当時、母は費用のことばかりを気にしていた。払えるのかと。
面会に行っても、こんなところで遊んでいてはいけない、と席を何度も立とうとする。
それも認知症の一種なのだが、認知症は現実を理解しないことだとすると、費用が気になるのは認知症ではないのかも知れない。
お金にはシビア。
まあ豊かな老後、、、理想と現実はギャップもいろいろあるが、ただでさえ老化を受け入れるのはハードなのに、今だけでなく、先々のことをくよくよしていては老人鬱になってしまう。
とりあえず、今日一日は楽しく、明日も楽しく、、、少し右肩下りでも、そこそこそれが続けばいい。
と、無理矢理、着地。
今日も無理矢理感、ありあり。
最近、どうも、納得の結論に辿り着けず、スッキリしない。
何期目かの、もやもやのお年頃か。
※ちなみに、写真は、広告のもの。
わたしは、こんなに美しいグレーヘアではありません。