蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

偏差値が低い

2021-12-03 | わたし
まだブログ記事を更新していないのに、gooブログユーザー向けのアピールチャンスがやってきた。
このアピールチャンスは、ランダムなので、来たらチャンスとばかりに自分のアピールしたい記事を推してユーザー共有の編集ページに公開する。
だが、、、残念なことに、アップしたのは同じ記事。
飽きられます、、、、、。


話は変わるが、偏差値について。
わたしは、偏差値が低いにもかかわらず、この話が大好きなのだ。
なぜなら、、、わたしは、いい目をしている。
自分は低い偏差値なのに、配偶者である夫の偏差値が高いために、子供たちは頭脳は優秀。
だが、周りからは皮肉の雨嵐。

子供って、ほったらかしにしたほうがいいみたいね。
手をかけないほうが、ちゃんと育つようですね。

などなど、ごく最近にも直接、言われた。
わたしは、種を育てただけの畑のようだ。
虫に食われないよう、また、台風などに対応したり、それなりの努力、工夫はしているつもりだが、どう贔屓目に見ても、周りの関係者は一同に、わたしの功績を1mμも認めない。
わたしをよく知る人々で近ければ近いほど異口同音にそう言う。

で、わたしはアタマに来るか???
と言えば、1mμも反論はなく、全部認める。
むしろ、すみませんねえ、、、寝ている間に作物が育ってしまって、、、と、申し訳ないぐらい。
しかし、最近、考え過ぎか、身内中の身内である娘たちから非難の目を感じる。
いい目するのはいいけど、いいかげんにしてよ!と。
人の役に立たなくてもいいから、自分のことぐらいは自分でしてよ!と。

なので、出来るうちに貸しを作ろうと、孫育てサポートをしている。
善良な愛情溢れる祖母などではなく、無い知恵を絞って考えた、労力貯金。
娘同士もお互いに子育てを助け合っている。
互助会、子育て労力貯金。

と、わたしは偏差値が低い分、いかにマイナスを減らして穴埋めをするか、そればかりを考える。
プラスになる必要はなく、マイナスを減らす。
空いた穴を少しでも埋めるのだ。

もともと、人の力をお借りするのだから、欲張ってはいけない。
本当に頑張って本当に成果を上げ本当に素晴らしい能力ある人に、賞賛の声はある。
わたしのように、ほぼ盗人的に人の力をいかに活かすかということばかり考えている人は、土の下に隠れているべきなのだが。
土は、畑ならいいが、家にするには不向き。
暗い。

あ、それはそうと、わたしは偏差値は低いが、高校受験時では、思考力は良い点数をもらっていた。
当時は一発合否判定の受験テストはなく、中学3年時の1学期、2学期、3学期の中間・期末テストの結果に、入学テスト補助として思考力テストを加えるのみだった。
わたしはアタマが悪く成績が悪い分を思考力でカバーしようとしていたのだろう。
涙ぐましい努力?をしてあがく劣等生のわたし。

振り返ってみると、無意識ながら、自分には何がプラスで、何が足りなくて、目標に向かうには何が必要かということを冷静に自分の立ち位置を観察して対策を立てていたようだ。
今、流行りのSDGsみたいだ。
子供たちの遺伝子もSDGsの一環には欠かせないもの。
ただし、自分なりの特徴としては、自分流は、自分を出さないこと。
「自分を押し通さないこと」を押し通すこと。
努力しない努力をする。
何もしない努力をする。
へんに自分を出すと、潰れたり壊れたり失敗したり。
自分を出さずにじっとしておく。
エゴの成れの果ては、究極のエコ。

結果的には、自分が目指すことに近づいているように感じる。
自分流は、無理をしないこと。
頑張れないなら、頑張らない。
ダメなヤツだと思われてもいい。その通りだから。
だけど、頑張った人は、思い通りになっただろうか???
頑張った分だけ成果が上がったか?認められたか?
どっちもどっち。
自分が納得できたらそれでいい。