蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

静かではない1日

2021-12-27 | 日々のこと
昨日、長々記事の続きを書きかけて放置していたまま。
こんなうんざり長々に、楽しい嬉しいコメントをいただいた。
ありがとうございます。
(しかし、裕さん、褒めすぎは身に余りすぎて身体に良くないです、、、)


直近長々ブログ記事、朝から書き始め、バスに乗り込んだところで一旦、ストップ。
帰宅途中、電車内や、帰宅してからも、まとめようとするが、まとまらず。
延々、〆られない。
で、翌朝、読み直し、まだちょこちょこ訂正を入れる始末。
よほど気になって自分の中で収まりきっていないのだろう。

かれこれ、40年以上前から知っていて若干交流のあるAさん。
応援してあげてもいいではないか。
わたしの器が小さい。 
が、嫌いな人を応援するには、かなり、無理な流れになる。
彼女が苦境に陥った場合、ざまあみろ、とはさすがに思わないが、とりあえず、平時はマイナスからゼロに近づけていく努力から始めよう。

しかし、嫌いなものは嫌い。
もし、助けを求められるのなら自分が出来る援助をする。
ふん!と蹴っ飛ばしはしない。
助けは求められないとは思うが。

(一昨日から昨日まで)考え続けている。 
なぜ、彼女が嫌いなのだろう。
あれこれ色々考えられる。
好きも嫌いも、何も意味はないかも知れない。
彼女なりの社交に、わたしが付いていけないだけ?
わたしは拒絶はしないが、ウエルカムでもない。
感覚に世代ギャップがあるとも推測できる。
なんといっても、一世代上である姑の知人だから。
やはり、昔の価値観が見え隠れして、ギャップは埋めようもなく理解を超える。
姑が描く息子一家の理想像を押し付けられ、窮屈で悲鳴をあげているのかも知れない。
わたしこそ、姑の理想の嫁ではないし、夫にしてみれば、わたしは理想の妻ではない。
が、、、
なんで、わたしが理想の嫁や妻にならなければいけない?
理想を押し付けられても、わたしは、わたし。
姑はもう天国だから良いが、夫は、ちょっとだけ可哀想。
なので、オカズを一品増やしてサービスする。
(全部食べずに残されると、ふてくされるが)

お互いの要望を汲んで調整、協調して生きていこう。
と、かなり無理矢理、着地しようとしている。
この話題、わたしが飽きた模様。
読んでくださる人はもっともっと飽き飽きヘキヘキされていることだろう。

今朝は7:30から小学生男児孫たちが、押しかけてきている。
今日はわたしは都合悪かったのだが、絶対に何がなんでもダメというわけではなかった。
明日と交代できないか打診したが、長女は最後の出社(あとはリモート在宅ワーク)、娘婿は明日から休み。
わたしは、今日ではなく明日なら良かったのに、残念、、、。

わたしには重要案件スケジュールなど抱えていないのが、バレバレで、足元を見られている。
これはある意味、幸せなことだ。
「(孫受け入れ)困難だったらいいよ」、とは長女には言われたものの、ちゃんとまだ返事してなかったのに、見切り発車で児童たちを送り込まれてしまった。
朝から、わーわー騒いでいる。
彼らは母親から1人100円もらっていて、オヤツを買いに行く。
校区以外は子供だけでは勝手に行ってはいけないと学校で言われているため、信号を渡ると校区外になってしまうコンビニにわたしは着いていかなければならない。
コンビニで1人100円のお菓子を選ぶのがまた大変。
校区内の近所に10円単位の駄菓子を売っているところもあるのだが、どうもコンビニのほうが彼らには魅力的な様子。

昼食、夕食、宿題、、、長く、うるさい1日となりそうだ。