さて。
年末、師走。
年末年始は忙しい。
迎春準備に追われる。
1月が1番嫌いだという人がいた。
いつも12月には嫌だ嫌だとボヤキまくる。
じゃあ、12月の次は13月にして、その翌月を2月にしたらいかがでしょう?と提案すると、スルーされた。
そういう単純な問題ではないようだ。
そもそもわたしは、自他共に認める超天然である。
何かが、ズレている。
良い面もあるが、悪い面もある。
一長一短、表裏一体。
ちなみに、わたし(たち?)天然が一番不快なのは、天然の人。
イラつく。
このアホ!と思ってしまう。
同類なのに。
感性が同じなので、自分にもある自分の欠点を他の天然の人から感じ取ると、その同じ部分が許せない。
自分の天然が許せないということ。
甘えているような部分が見えたら、ぞーっとする。
本人は無自覚なのだろうが、それがワザと甘えているように見え、バッシングの元になった経験がある場合、気をつける。
気づかないまま一生過ごす人もいて、純正天然培養が完成する。
わたしは、天然だとあちこちから言われ、自分でも思いあたるフシがたくさんある。
が、なぜか、ひね曲がっている。
ごくごく最近、あまり親しくない、わたしをよく知らない人に「どんくさい」「天然ボケ」と言われ、少し凹んでいる。
言われたそのままで反論は出来ないが、もっと弱者に優しくしてもよかろうものを。
でもその論理は自己擁護から逆ギレになり、可愛げがない。
ついにわたしも、笑えない自分本位グループに入る日が来たのか。
ひねた天然、、、
自分の欠点や弱点を指摘されると傷つくようになった。
前は、天然力で明るく笑い飛ばし、まったく1mmも1μも気にしなかったのに。
天然に鈍感力が加わって、ハイパワーになり、強力な前向き天然が出来上がっていた矢先、なんだかなあ、、、と、しゅんとする。
自分の天然をマイナスに捉える。
なんでも良いように捉えるわたしの天然力が弱ってきた?
(鈍感力+天然力)<老化
わたしにとって、老化によるボケは屈辱的だが、天然によるボケは許せる。
人から見ると同じようなボケなんだけど。
わたしの中では意識が違う。
緊張を和らげる、空気穴みたいなボケと、深刻なボケ。
違うのだ。
て、なんの意味もないこだわり。
・・・書きながら居眠りしていたら、降りる電車の駅を乗り過ごした。
あーあ!
Uターンしなければならない、労力、時間の無駄!
これは、鈍感力?天然?老化?
いつもの凡ミス!
これがわたし。全く嫌になるーーー。
※写真は落葉した、我が家の紅葉。
なぜか、鮮やかな赤と黄色の葉っぱが、へばりついている、、、。
最後の一葉ならぬ、最後の二葉??