長々だらだらの蝶ブログ、お読みいただき、恐縮の至りです。
かと言って改めるかといえば、そうでもなく、サービス精神が欠如、また、だらだら行きます。
さて。
先ほど、バス停で入手したばかりのホットなネタ。
いつもの苦手な方、Aさん、最近はバス停で近寄って来なくなってやれやれと安心していたが、今朝は違った。
半分、にこやか、半分、しかめ面で、お話。
「おかあさん、いい人でしたね」から始まり、ひととおり、関係者の直近動向リサーチ。
そのなかで、彼女が興味があるのは、「娘さんがいる人」。
最も興味がないのは、「毎日、朝早くから近所の山歩き、ウォーキングしている人」
今日のホットニュースは、バス停から見える至近距離の家の奥さん(Bさん)の話。
レモンと蜂蜜の素晴らしい手作りジャムを持ってきてくださったそうだ。
それも、そんじょそこらへんにはない素敵なオリジナル・ラッピング。
さらに特筆すべきは、自作の俳句が、それぞれのジャム瓶に添えられ、さらに加えて特記すべきは、毛筆で書かれたその達筆ぶり、力量たるや、またまた、そんじょそこらの、年賀状に添えられている一言コメント毛筆などとは雲泥の違い、目を見はり唸るほど、素人ばなれしているとか。
はあぁ〜〜。(ため息)
「素晴らしいですね!」とわたしが感嘆の声をあげると、意外にも彼女は顔を歪めた。
あれ?なんで?
わたしはそう思いつつも、
「爪の垢でも飲みたいほどですね」と言わなくてもいいのに追加した。
ちょうどバスも到着して乗り込んだので、その後の反応は確認していない。
彼女の心境は想像できる。
勝手に推測、心理分析すると、、、
今、置かれている自分の状況は、決して良くなく、将来的にもあまり希望が持てない。
特に、健康面では不安がある。(Aさんは80歳ぐらい)
だが、健康的に運動を取り入れて前向きに日々実践しているシニアの話には興味がない。
前の、彼女がまだ健康面で支障をきたしていない頃の関心事は、共通の知り合いが病気かどうかだった。
話題の人物の病気が深刻だと、彼女は明るいトーンになり、元気だと落胆の色が見えた。
また、彼女の家族はこれ以上は増えず、右肩下がり。
賑やかにはならない。
介護(される側)が待っているだけ。
さらに、こころを満たす趣味がない。
今更、何かを始めようなどと、そんな気もない。
毎日、あちこち体の不具合を騙し騙し緩和しているだけ。
完治は不可能。
目指すは緩和。
大きなトラブルがなければ、そっと使っていけたらいいとわたしは思う。
しかしまあ、あんなに華やかな女性だったのに、なんだか明るくない未来を感じてしまう。
せめて、趣味があるとか、未来や希望につながる何かがあるとか、もし無いなら、
現状に感謝するこころを少しでも持てば、幸せを得る第一歩だと思う。
(上から目線で感じ悪い感想)
彼女は、わたしに
「良いご主人でほんとに幸せで良かったですね」
と仰るが、外から見ただけの薄っぺらい感想は、薄ら寒さを感じる。
わたしは一言も夫や家族のことなど話したことはない。
ほら、これがこう、こんなに幸せなんです!!と具体的に内情を明かして説明する必要はないものの、人の幸せを外部がジャッジすることなかれ。
評価していただきたくない。
あまり、軽々しくそういう浮わついたことを口にするのは、わたしは好きではない。
面と向かって悪口を言われたり非難されたり否定されたりするよりはマシだが。
人のことはほっといて、と言いたい。
(言わない、言えない、、、が)
毛筆俳句&素晴らしい手作りジャムのマダム、わたしには輝いて見える。
が、真似はしない。(出来ない)
同じことをしても、わたしは輝かない。苦しいだけ。
人には人の自分の活かし方がある。
「こんな人がこんなことをしています」と活動を紹介するにも、自分がどう思っているか、どう接するかによって、話す時の表情や声の調子が変わってくるように思う。
あのマイナス顔は、羨ましいのか、悔しいのか、負けず嫌いなのか?
人は人。
歳を取ると自分を確立出来ないのかなあ、、、
あんなに自立していた人なのに、、、
美しかった姿も、手入れが行き届かない名庭のように、なんだかやつれて見える。
元が良いだけに、残念だ。
しかしながら、わたしは、嫌いな人とは言え、少し落ちぶれてしまった彼女をもう少し暖かい目で見て受け入れ許容できないのか?
別に意地悪されたわけでもイジメられたわけでもなく、なんらかの被害を受けたわけでもないのに、、、
うーん、、、
やっぱり嫌い。
嫌いなものは、嫌いで、別に好きにならなくてもいいと思う。
あ、思いついた、なぜ嫌いなのか、、、
この人は30年間、ずっとわたしの周りにいる人(わたしの学生時代の美人の友人を含め)を褒め続けて、外側からばかり褒め、わたし自身をただの一回も一言も褒めたことがなかった。(褒めて欲しいとは思わないが)
褒められる要素はないにしても、わたし自身には関心がまるでない。
わたし自体を1ミリも知らない。興味もない。
だからわたし以外の外側の話ばかりをするのだろうけれど。
貶されるよりマシだが、30年間、毒がじわじわ回る感じである。
かわいそうな彼女、わたしにそんなに嫌われる筋合いはないのに。
褒めてばかりで嫌われるなんて、まったく割に合わない。
褒められる一方なのに、褒められても褒められても、褒められれば褒められるほど、寒い風がビューと吹くのは、わたしの性根が悪いのだろうか。
しかし、正解は何かを断定できない案件なのに、自分のせいにすると、こころの病気になりかねない。
べつに、彼女と喧嘩するわけじゃなし、誰かに悪口を言いふらすわけでもなし、だが、蝶ブログにはしょっちゅう登場する。
ごめんなさい、皆さん、ごめんなさい、Aさん。
誰も悪くない。
世の中、そういうものだ。
ただ、わたしは自分の個人的生活や人の人生をあれこれ言われるのは、大嫌い。(まだ言ってる、、、)
良かれと思って褒めていることでも、これだけ逆効果も珍しい。
この人は姑の長年にわたる知人なので、姑が彼女にあれこれ話していたのだろう。
ひょっとして、こころの奥底の無自覚な深層心理として、わたしは、姑が嫌いなのかも知れない。
そんなこと、嫌いだなんてことは絶対にない、とわたしは思い込んでいる。思いたい。
感謝こそすれ、嫌いだなんて。
またまた亡霊に悩まされることになる。
だが、姑がAさんに話していたのは自分の家族の悪口ではなく、無意識の自慢かも知れない。
それはそれで、結構なことではないか、、、。
それにしてもまあ長い記事になっている。
あり得ないほどの長さ。
書いても書いても書き足りない。
書けば書くほど、わたしが嫌な人間であるということを不特定多数の人にアピールしているようにも感じる。
嫌な自分をなぜわざわざ?
今回はなかなか着地できない。