蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

身体を解放しよう

2022-02-11 | 日々のこと
いつも独り言、自己完結書き散らしをお読みいただきありがとうございます。
食べ物と同じで、あれ?今日は塩が濃すぎるな?とか、変な味、とか、異物混入とか、感じた瞬間、食べる(読む)のをやめてください。
今日はどうも、「負」のわたし。
負のエネルギーを撒き散らすのは申し訳ないので、避けてください。


わたしがなぜいつも自己完結かというと、自分でシャッターを下ろしているから。
距離を取っていたらいつの間にか、開かずの扉になってしまっている。
これはブログに限ったことではない。
コミュニケーションの取り方が下手。
ブログや日記ならぐじぐじ書いてスッキリだが、リアル生活はそういうわけにはいかない。
窓を開けて大声で叫んだら、近所迷惑だし、家の中で叫んだら、気持ち悪い人になるし。
何かストレスの吐け口があれば良い。
別にストレスはないので、挙げた拳は、どこに下ろしたらよいのかわからない。
ただ、淋しいだけ。

わたしは末っ子なので淋しがりなのだ。
長いものには巻かれ、いつも大樹の陰でひと休みするサボりで、潜り込むのは苦手ではないのだが、、、。
とても淋しい時がある。
他愛ないどうでもいい、おしゃべりをしたい時がある。
相手に合わせるのはもう充分だ!と被っていた帽子を地面に叩きつけたい瞬間がある。
(帽子、被りませんが)
アタマに来るが、アタマに来すぎると、むしろどうでもいいと思い、とりあえず、すみません、と言っておく。
こころが、死んでいる。
キレたまま昇天。

しかしまあ、、、
マウントをとりたい人に接すると疲れる。
なんで自分を上に持って行きたがるのか。
不愉快この上ない。
自分がしてあげた労務に感謝の意を表さないと、無理矢理、感謝させようとする。
「してあげた」「してもらった」この図は、当然、「ありがとう」が自然発生する。
あくまでも「自然に」。
強要した(された)時点で、感謝は吹き飛ぶ。
漆黒のモヤモヤとしたものが、お互いの胸の中に。
言葉ひとつで、人間関係はころっと変わる。
気持ちはころっと変わる。
お互い、良かれと思ってやっているとすると、深刻だ。
感情の糸が絡まる。
友達がいなくて淋しいなあ、なんて膝を抱えて丸まっているほうが被害が少ないか。

と、行きは、じくじくしていたが、
外に出て、身体を動かすと、、、
帰りは、ぱぁっとウソのように、漆黒の闇が、オレンジ色か、ピンクの風船みたいに飛んで行った。
なんと、単純な。

やはり、身体を動かすこと、運動すること、人と関わること、外の空気に触れることは大事。
と、今更感ありありのことを書いている。

人はやはり、一人で生きていけない。