スマホ画面に現れるインターネット広告に導かれ、読んだ漫画。
不徳にも第二話で、涙、、、。
(第二話までは無料。第三話で完結)
第三話を課金して読もうかどうか悩んだが、皆さんのネタバレコメントなどを繋ぎ読んで、だいたいのストーリーを掴んだ。
全部、読まなくてもよい。
想像して、はっきりしないままぼんやり終わるのも余韻があって悪くない。
ギャグマンガみたいな、強い太線のヘタウマ漫画タッチ。
ではあるが、中身は濃かった。
昔の、昭和そのものの、田舎の頑固親父と家族のストーリー。
読者からは誰一人として、その頑固親父に肩を持つコメントはなかった。
読者は頑固親父の子供世代。
うちの祖父、こんなのだったという人も。
口を揃えて毒親と、ののしる。
こんなオヤジ、昭和では普通だったかも知れない。
パワハラで、今もドラマなどで誇張表現されて登場する。
子供や女性は自分のモノで言いなりになるものだという意識。
漫画では主人公のお母さんやお姉さんが、すごくいい味を出している。
田舎のりんご農家なのだが、主人公がワンマン親父のいる実家を飛び出して20余年。
りんご農家を継がない、煮え切らない態度を取る息子に腹立ち、妻に怒鳴る。
「お前が甘やかしてちゃんと育てないから、こんな息子に育ってしまって、、、
お前みたいな要領の悪い妻と結婚して俺は最悪の人生だ、、、」みたいな暴言を吐く。
妻は、子供たちは手塩にかけて磨き育てたピカピカのりんごみたいに宝物だからと、両手に子供たちを抱きしめて、ぐっと我慢する。
今、思い出しても涙が出る。
その暴言はもう人間としてどうしようもないから見捨てて無視するとして、母親の子供に対する気持ちが泣けてくる。
子供たちをこころを込めて大切に育てる気持ち、、、離婚されたら困るわけで。
令和の妻なら、とっとと離婚届を叩きつけるのだろうけど、、、
今時は子供2人を抱えてシングルマザーの道を選ぶのは、珍しいことではないのだろうけれど、、、。
この母親は、子供が愛おしくて我慢したのだろう。
頑固親父は子供の個性も見ず、育てず、時代の流れも無視し、自分の思い、願望、方針一本槍。
黙ってオレに着いて来い!!
当然、有無を言わさず着いてくるものと思っている。
明治時代ならあり得るかも知れない。
昭和初期ならまだいたかも知れない。
昭和後期は、ちょっと厳しい、、、。
へんに微妙に重なる、、、わたしの家庭と。
育った家庭ではなく、今の家庭。
育った家庭は田舎は同じだが、りんご農家とはちょっと違う背景。
似て非なるものなので、あまり参考にならないが、全く同じ部分もある。
親父一極権力集中、家父長制。
明らかに時代遅れ。
そういう時代。
わたしが涙したのは、、、母の子供に対する愛の深さ。
(わたしの母も、母としてのわたしも、子供に対する思いはちょっとタイプが違うように思うが、それはさておき、、、もっと本質的な、、、理屈抜きの母性愛に涙するようなものか?)
今の人は、愛が深いとしても質が違うように感じる。
時代の違いか。
AIとか発達しているし。
漫画では、現在は歳をとった、過ぎ去りし時代遅れのパワハラ毒親父なのだが、、、
おばあちゃん(母=妻)が、最後に、この毒親父を許さなかったところが、ストーリーとしてはスカッとする展開。
親父は息子に本当の気持ちを伝えられ、改心するのだが、妻は決して許さなかった、受け入れなかった。
読者としては、これはそうとう気持ちよかった。
「許さーーん!!」と妻が叫び、バチコーン!!と毒親父の頬っぺたを張り倒して終わり。(たぶん)
改心しても過去は変えられない。
そういうこと。
話は漫画から変わるが、
子供が親の思い通りにならないことを理解できない夫はある意味スゴイ!
漫画の息子がある日、突然出て行ってしまうくだりは、ものすごく共感できる。
父子ははっきり口に出さないが、こころは通じているものと思っている。
親父は生き様、自分の背中を子供は見ているから当然、同じような道を歩むと思い込んでいる。
わたしはそれが不思議でたまらない。
なぜ、そんなことを思い込む?
子供には子供の人生がある。
いくら、こっちこっちと優しく手を差し伸べても、自分の進みたい道がある。
そもそもある程度進んだら、手を離せばよいのに、いつまでも、、、。
これは優しさなのか?
自立心を阻んでいることになるのでは?
子供が助けを求めてきたら助けるのは当たり前だとしても。
昭和の頑固親父と見た目や状況は違うが、子供を思い通りにしたがるという点では同じではないのか?
子供だけでなく妻も、であるが。
くるっと振り返ると、誰も着いてきていない。
思い通りにはならないことは分かりかけてきたようだが、例え無理だとわかっていても、思い通りにしたい願望は死ぬまで続く。
パートナーシップは一生築けない。
相手を屈するか、相手に屈するか、無理矢理感はあるが、真ん中の協調路線がない。
上下は出来ても横並びが出来ない。
経験がないからだろう。
そういうプライドの高いおぼっちゃま、いるいる、わんさかいる。
これは親のせいもあるが、成人になったら自分の責任は自分で負わなければいけない。
老いた親に責任をなすりつけるのは、みっともない話だ。
パートナーシップに関して言えばお互い様なので、相手ばかりを責められない。
が、昭和のパワハラ毒親父の話に触れると、大人しく眠っていた怪物の血が荒れ狂い騒ぎ出す。
その時に同時に男尊女卑時代の「姑」や「姑の姑」の悔しさ、哀しさ、怨みがどさっと被さってきて、何人分もの怨念みたいな重さを感じる。