蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

じいちゃんは、山へ

2022-02-07 | 
「ぽつんと一軒家」
これも好きなテレビ番組の一つ。
昨夜、見たものは、ちょっと唸ってしまった。
今の社会の断面を見たような思いがした。

まず、わたしと共通点がいくつもある。
1番の共通点は、世代、年齢である。
取材対象者の方のほうが、ちょっとだけ歳上ではあるが。
大まかにくくれば、あんなかんじ。

親が守っていた一軒家を次世代の自分がバトンタッチして守る。
昨日の番組の人は、お姉さんと週に日替わり交代で住んで守っておられた。
お姉さんといっても81歳。
弟さんは、71歳。
この人、まだ現役でサラリーマンで、同じ会社に勤続半世紀。
今の場所よりまだ奥に家があったが、不便なので手前にお父さんが建て直した家は、築80?(90?)年。
71歳のこの方、五代目ぐらいかな?と、仰っていた。
お姉さんはご夫婦で麓の家から通っておられたが、ご主人は86?歳になられ、畑仕事も体力的にきつくなり、そろそろ通いは卒業したいとのこと。

そうなると現役弟さんは、その山奥の家から会社に通うことになるとか。
今は金土日月は、弟さん、火水木は妹さんご夫婦。
土日だけだったのが、コロナ禍でリモートワークが認められて金、月が追加されたらしい。
生まれ育った家、山。

背筋のしゃんとした、動きもキビキビの弟さんは、歳を感じさせない。
あんなカッコいい人、独身なのかなあ、、、と思いきや、麓の自宅には奥さん、娘さん一家と住んでおられた。
娘さんには小さいお孫さんが三人。
今時の親は、娘さん一家と住むのがトラブルがない。
お婿さん(サザエさん家ではマスオさん)と同居。
お嫁さんではない。が、実質、男性のお嫁さん。

たぶん、、、わたしが想像するには、、、
あくまでも想像の域を出ない、勝手な想像に過ぎないが、、、

じいちゃん、仕事も実家も大変だから気をつけてね、と奥さんをはじめ家族も労るものの、もう両親のいない夫の実家に、奥さんは付いて行かない。
夫の心身を労うのみ。
若い娘夫婦や孫と一緒に麓で暮らしても、大黒柱の地位はもはやない。
大人しい優しいイクメンお婿さんや、可愛い盛りのお孫さん、、、そこに家事をしないおじいちゃんの出る幕はない。
おじいちゃんは、実家の家や山を守る、大事な役目がある。
一人で行ってきてね〜、こっちはまだ孫も小さいから、おばあちゃんの手が必要。
おじいちゃんに、付いて行きたくても行けないわぁ〜。
皆さん、ウィンウィン。
この例にそっくりな家を身近にいくつも見知っている。

ある家では、娘一家との同居や孫守がなくても、おじいちゃんの実家を守る役目を夫に託している。
この奥さんは、わたしがよく知る人物。
大義名分は、最初は妻は仕事!
だから夫の実家に付いていけない。
妻が仕事を辞めて、次の第二の仕事場が、夫の実家に近くになってしまった今も、そして、子供なんかとーーっくに独立して出て行っている今も、夫と妻は別々に暮らしている。
時々、合流している。
仲良し協力体制。

夫は夫の実家へ。
実家で後継ぎとしての男の役割がある。
妻は自分の家で子供や孫を育てる。
2つにコースが分かれる。
もちろん、喜んで奥さんが付いていくこともあるだろう。
行きたいのに健康的理由で行けなくて悔しい思いをしている人もいるだろう。
奥さんの実家に奥さんが家を守りに行き、夫が付いていく場合も、付いて行かない場合もあるだろう。
価値観や、状況は、人それぞれで、一つの型に入れて決めつけられない。
(※介護が終了した例になっている)


ちなみに、、、
ひと昔前に、定年後、東南アジアなど日本より物価の安い地に夫婦で移住することが話題を呼んだ。
妻たちは、現地を引き上げてしまったという、その後の話も聞こえてくる。
最初に付いて行かないという選択肢もある。
日本国内でも田舎暮らしに憧れて、定年後移住するものの、閉ざされた地域での住民と仲良く暮らすのはかなりの努力を要する。
高齢になれば、医療機関と遠くに立地する場所では持病に見舞われたりすると、不便であるし緊急事態に対応できない。
リタイア後の、若い高齢者は元気いっぱい、夢いっぱいだが、90歳に近くなると体力的にキツイ。

ある親戚は、都会から離れた別荘に通っていたが、もう無理のようだ。
子供が小さい頃は一家で通い滞在していた時期もあっただろうが、定年を迎える年齢になる息子たちも、両親が手に入れた別荘をあまり喜んでいるようには見えない。
負の遺産か。

親の思い入れは子供に伝わっていないことがある。
情熱がない。
負の遺産ははやく処分したいことだろう。
「ぽつんと一軒家」のおじいちゃんが最後まで頑張って守ってきた山の家も、おそらく今のおじいちゃんが体力、気力が尽きるとそれで終わりだろう。
殊勝な奇特な孫が現れて、わたしが後は維持します!とでも手を挙げない限り。

街に暮らす、核家族の人なら、別に受け継ぐものもなく(負の遺産も、正の遺産も)、自由に心身が解放される。
好きなように生きられる。縛りがない。
健康が許す限り、黄金時間を堪能して味わい尽くしてほしいものだ。
大金がなくても、こころは自由。
山歩きをするなり、行政サービスを利用するなり、そんなに大金は要らないと思う。
健康と、マインド!
ただし、健康に翳りが見え始めると、こころも弱る。

今はまだ大丈夫なので、弱ってから考えよう、っていうのは、後手に回り過ぎか?
今から考えて準備することが生き甲斐だったりして、、、(健康オタクのように)。
幸か不幸か、わたしはそういうタイプではない。
なるようにしかならない。
なるようになる。