蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

萎んだ風船

2022-02-06 | 日々のこと
天気は良いが寒い日曜日。
真冬だからこんなものか。

今日は超超久しぶりに、夫と過ごす日曜日。
と書くと、ほのぼの幸せ感が漂っているかも知れないが、それはお読みになる方の感性による。

夫源病を潜在的に抱える妻の皆さん。
あるいは、努力しているのに身の置き所のない夫の皆さん。
あるいは、仲良しご夫婦の皆さん。
あるいは、お一人様の皆さん。
立場によって色々だろう。

さて。
夫が少しの間でも居ない間が最高のオアシスタイムになっている。
別に夫が嫌いだとは言っていない。
感謝してもしきれない。
この世を去られると困る。
わたしのほうが先にいきたい。(これは微妙か?)
掛け替えない。
再婚する気はさらさらない。(シュミレーションがショートカットになっている?)

そう書くと、深い愛情、絆で繋がっているかのイメージ。
それぞれ、受けるイメージは人による。
書き方にもよるが。

で、夫が居ないこの瞬間(今、入浴中。お風呂で寝るから長い)は、わたしのリラックスタイム。
夫のリラックスタイムでもあるからウィンウィン。(ウィンウィンの使用法がおかしい?)
わたしはお風呂で寝る行為は嫌いである。
が、わたしがリラックスタイムを1秒でも長く得られるのなら、嫌いとか好きとか、どうでもよい。
自分都合。
いちいち、快適だの不快だの言っていたら生きられない。

大まかに、家族皆んながそれぞれ、そこそこ幸せならそれでよい。
「万引き家族」は良くないが。
「そこそこ」は基準があいまい。
人によって、理想水準が違う。
幸せを感じる指数は、モノが豊かな日本は低く、あまりそうでない国ブータンが幸せ度が高い。
精神的なことや、考え方、感じ方による。

人は満たされ過ぎると、あとは下がるしかない。
満たされた状態を維持できるだろうかと少し先のことに気を回して不安になったりして、目いっぱい今、この瞬間の幸せを感じきれない。
幸せだと感じる「こころ」こそが、大事。

と、絵に描いた餅のごとく理想的な道徳のお手本のようなことを書いていたら、夫がお風呂から(意外に早く)出てきて、
「昼ごはんは?」と。
現実とはこんなものである。

これも含めて、現実感のある幸せである。
食べることの出来る幸せ。
「日本人男性は、家事に携わる時間がすごく少ない」と、昨日、池上彰がテレビで言っていた。
今更感ありだが。
夫は面白くない番組を後にして、隣の部屋で好きな番組に切り替えていた。

休日の昼食ぐらい男性が用意してもいいじゃない?なんて、不満をぶーぶー抱かず、そういう生活スタンスを選んだのは、自分でしょう?
努力してこなかったのは、自分でしょう?
その結果を目の前にして何の文句がありましょうか。
自業自得の不満もそのまま含めて今の自分を受け入れよう。
嫌なら努力せよ。
努力もせずに、不満を持つな。
そう思う。

では、努力して結果に不満を持つ場合は?
努力してから、言ってちょうだい。
なるほど、ご無理ごもっとも。
誰と話してる?
わたしと仲良しの神さまです。
(※一応、説明書きとして入れておきますが、これはわたしの幻覚、幻聴ではなく、ひとつの表現法。 
中には、わたし(スロー)は、こりゃアブナイと思う方もおられるでしょうから)

さて、今から昼食準備にかかろうか。
もやしラーメンで、いいかな?


と、ここまでは、気分屋のわたしは曇ることもなく晴れ渡る空の隙間から雲が出てきても、どおってことはなかった。

もやしラーメン(玉子もロースハムも貝割れ大根も入っているけど)を食べた後の食器が食卓にそのまま放置されているのを見て、「食べ終わられましたら、こちらまでご返却ください」と(嫌味ったらしく)慇懃無礼に言うと、夫は丼をカウンター(重要書類をお取り置きしている所)に置いた。
カウンターは、流し台とダイニングテーブルの間にあり、主に失くしては困る重要書類やDMを一時的に置いている。
食べ終わったとしても、丼にはスープなどが、縁や底に垂れたりしていることもある。
仕舞い込み片付ける前の仮置きとして、最後の1番上に置いていたのが公的書類だったのだが、その真上に汁付き(の可能性がある)丼を置かれて、わたしはギャッとこころの中で叫んだ。
「な、何をする?!」

書類と開封された食物、ましてや汁物を一緒に置いてはいけない。
といっても、カウンターを重要書類置きにしていたのは、わたしである。
説明責任はわたしにあった、、、?!

「カウンターには重要書類を置いているので、汁物丼はそこに置かず、流し元までお運びください」と丁寧に説明すべきだった、、、!?
あるいは、そんなところに置いたわたしが悪かった、、、?!
二度と「ご返却ください」は、言わないようにするか、「ご返却は流し台までお願いします」と付け加えるか。
次につなげる努力が必要だ。

が、、、わたしはサボりなので、もういともかんたんに、こころが折れて、しなしなとヤル気が無くなった。
幸せの風船も、しなしなと萎んだ。

簡単に膨れる風船、簡単に萎む風船。
いちいちブログにちまちま書いていると時間が足りなくなって、最期が来ても死ぬに死ねない。