蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

まさに独り言です

2022-02-09 | 日々のこと
※この記事は、特定の人に向けたメッセージではありません。
あくまでも、わたし個人に関するものです。

・・・・
もし余命宣告を受けたら、、、

いきなりは、ないと思う。
その前に何らかの兆候があるはず。
が、突然、事故で本人も知らない瞬間にあの世に行くこともある。

自分を見直すキッカケになる。
自分が居なくても周りはさほど大きな痛手や被害はないだろう。
もう子供たちは独立しているし、夫はまだ健康で生活している。
わたしが受け持っている最低限の仕事は微々たるものなので、あってもなくてもさほど大きな違いはない。

昨夜見たNHK ETVで、宮本亜門氏がご自身の癌闘病について話していた。
同時に昨年、亡くなったお父さん(享年91歳?)との生活についても。
一般人のわたしとは違い、芸術家はスゴイものだと、つくづく思った。
思いや体験を作品に昇華する、転換可能のエネルギー、能力がある。

想像するには通常、病気で気力や体力が減少するに従って、しょんぼり、ぶすぶすと火が消えていくだけで、可燃の元がなくなると、終焉、最期。
ではあるが、病気の場合はある日、突然ということはない。
5年前は、こんな顔。2年前は、こんなの。
1年前は、、、
と、徐々に変化、衰弱する。
本人も、周りも、衰えていく現状を目にして認識していく。
現実を受け入れざるを得ない。
本人の気持ちに寄り添うのが理想中の理想ではあるが、周りも自分の生活がある。
また、寄り添いすぎると、最期にどう対応できるか?
悔いが残らないようにしたい、と皆が思うだろうけれど。

現実問題としては、はっきり余命宣告されたら、先ずは落ち込み、わたしなら終活を本格的に始める。
「全部、捨ててね」ではあまりにも丸投げ。
遺したいものだけ、段ボール箱に入れて、蔵にそっと放り込んでおこうか。
(蔵にはどう見ても捨てるべきものも山と積まれている。
わたしは、去年のリフォームで処分に困りとりあえず保留扱いした、持ち込み犯人の一人)
老人ホームに持って行きたいモノも、段ボール箱に入れておこうか。
いや、スマホひとつでいいかも。
毎日見ても、見尽くせないほどの数の思い出の画像が保存されている。
(有料iCloudで容量アップ)
日記も製本タイプのものと併用して、ダイアリーアプリも日常、利用している。
だが、とりあえず、製本タイプのダイアリーブックは持ち込みたい。
10年連記にすると残りの寿命から見て余ってしまいそうなので、5年連記に?
(10年連記では時間はあっても、記入する気力がなくなっている可能性がある)
いや、老人ホームでは何もすることがないので、記入余白の大きい3年連記でよいか?
わたしは毎年、製紙の日記帳は1年ものを半世紀にわたり書いていたが、直近では3年連記を2回(2016.2017.2018)&(2019.2020.2021)続け、今年から5年連記(2022.2023.2024.2025.2026)にした。
が、小さい字でチマチマ、どうも具合がよくない。
かといって買ったばかりなので、とりあえずは5年間の辛抱。
5年後に3年連記に戻すかどうか、また見直そう。
先が長い、、、ふぅ。
こんなペースで終活、出来るのだろうか。

モノの整理は断捨離で、メルカリで売りに出す日が来るかも知れない。
そうなると忙しくて、ビジネスのように振り回されてストレスの元になりそうだ。
とりあえずは、メルカリ売出は保留しよう。
買うだけのほうが、責任がなくて楽々だ。
だが、終活と真逆の方向に進むことになる。
うーーん、、、

蔵に自分のお気に入りの大切なモノをお取り置きしよう、、、なんて書いているが、実際は、お気に入りのモノを蔵から持ち出し自宅に運び込んでいる。
これまた終活とは逆の動き。
ある時点で運び込み(IN)と、運び出し(OUT)が交差して、徐々に運び出しが運び込みを上回り、そのうち、運び出しと、断捨離だけになり、さらに、自宅はすっきり空間へ、、、というプランを思い描こう。


ちなみに、それはそうと、、、
今、わたしは自主的ではない自宅待機状態である。
好きで自宅引きこもりは楽しいが、自粛軟禁となり、息苦しい。
やっていることは同じなのに、気持ちの持ちようで全く変わる。
選択肢があるかないかで、雲泥の差である。
「何もしない」のも、「何もしたくない」のか、「何もしてはいけない」のか「何も出来ない」のかで、まるで違う。

話は変わるが、、、
自宅の警備保障の機器を取り替える時期になった。
警備会社から提案書、見積もりが出されて、にらめっこしている。
警備、縮小するのも、やめるのも一案。
警備機器のメンテナンス保障期間が20年で切れるため、新たにリニューアルすることになっているのだが、この先20年を考えると、、、
警備、必要なのか?
老いてからのほうが、より必要なのか?
縮小するか、他社と比較検討するか、、、ただ今、思案中。
他にもリフォーム定期点検のお知らせが届いている。
ああ、めんどくさい。

なんでも、めんどくさくなると、黄色信号だ。
何にもしたくない、ということだ。
何もしないで、どうやって日々過ごす?
晴れの日は散歩?
いや、別に散歩はしない。
ドライブと同じで、ドライブそのものが好きなわけではなく、目的地への往復の道中が、散歩だったりドライブだったり、電車移動だったりする。
目的がない、というか、散歩そのものを目的にするのは、今のわたしには気が乗らない。
(健康維持という目的がある場合は、オッケー)

目的がなければ何もしないなら、生きる必要もないわけで。
そんな辛気臭いことを言い始めると煮詰まる。
動く必要がないなら、その状態に感謝し、さらに余っている労力を有効に使うべし。
究極のエコは、何もしないことだ。
身体も頭の中も動かない。
更にエコの究極は、、、言うまい。
宮本亜門さんなら、素晴らしい作品となって表現できるだろうけれど。
死を意識することは、生と真摯に向き合うことだ、と、同番組内で落合恵子さんが言っていた。
(しかし、あんなに見た目キュートだったレモンちゃん、落合恵子さんが、、、スゴイ風貌になっいる、、、時の経過は残酷だ。
が、わたしも同じこと)

気分屋のわたしは、天気によって左右される。
意味もなく爽やかだったり、明るかったり、
時には間伸びして退屈だったり。
幸福なことに、悲しいとか、虚しいということは決してない。
満たされている。
ぽかぽか日の当たる窓辺。
今日も悪いことは起こらず幸せで良かったとしみじみ思う。
わたしの幸せのバロメーターは、飽きもせず黙々独り言、長々ブログが綴れることかなと。
それも、お読みいただく方がおられてこそ、である。