七転八倒の翌日が過ぎて今朝、体重を測ると2キロ落ちていた。
体重って、そういう感じで上下するのかぁと。
上がり下がりに一喜一憂しても仕方ないと感じた。
どうせまた2キロぐらい、1日や2日で元に戻りそうだ。
ちなみに、4歳女児孫、本名の他に、自分でつけた名前がある。
「自称」というもの。
言葉を発し始めた頃は、自分の本名をそのまま発音していた。
やがて3歳ぐらいになると、「わたし」と言い出した。
今は、「ウル」と言う。
ウルって、何?
なにやらお話に出てくる女子の名前らしいのだが、本名で呼びかけると「ウル!」と訂正される。
何度も訂正されるのもなんなんで、覚えることにした。
しかし、覚えにくい。
うるると、さらら、、、みたいだなあ、、、「水滴」を擬人化したイメージキャラの家電製品を連想しながら、何度も復唱する。
孫はたくさんいて、一人一人名前がぱっと出ないこともあるのに、期間限定の名前を好きな期間に自分で付けられると、覚えきれなくなる。
今はまだ覚えているが。
このウルちゃん、上二人のお兄ちゃん、下には可愛い盛りの妹に挟まれた、多感な4歳。
なかなかナイーブなところがあり、気を使う。
孫は、男の子が続いて、最後に女の子だったため、周りは沸いた。
待望の女の子!!
蝶よ花よ。
だが、天下は続かず、3歳で天敵が現れる。
天敵は最初は動かないが、やがて、ハイハイしたり、立っちしたり、少しずつ出来る度に周りは、わあ〜〜すごい、すごいと拍手。
そんなこと、わたしはとっくに出来るわよ、とお姉ちゃん幼児は思う。
しかも、自分の時はなかったけれど、他の人からのお下がりで可愛い女児服が手に入る。
自分の服より可愛いかったりすると、おかんむり。
女子間の服争いは既に始まっている。
お姉ちゃん幼児は微妙な立ち位置。
親は、下には手がかかる、上は男の子たち、で、ちょっと真空地帯みたいになっている。
このお姫様お姉ちゃん幼児には、わたしも泣かされた。
保育所へのお迎えにピンチヒッターで行くと、毎回、目に涙をいっぱい溜めて思いっきり泣かれる。
「おばあちゃん、嫌〜」
と自分が泣いている説明までしてくれる。
嫌で悪かったね。
こっちだって嫌だわい。
いつもお迎えに行く日は憂鬱だった。
が、おばあちゃんも一緒に泣いているわけにはいかない。
見えないところでお尻をつねるなんてことは、さすがにしない。
そんな発想もない。
とほほ、かなわんなあ、と弱り顔。
最近は親の在宅ワークも増えてお迎え役も減ったから、やれやれだ。
昨日、女児二人とわたしの長女(ママ)が、子供を連れてくるついでに昼食もうちで食べた。
ママにコーヒーを淹れたがちょっと張り切り過ぎて濃かったかな?と思った。
で、ママに「コーヒー、濃くなかった?」と聞いたが、仕事の昼休みを利用して来ているママは何やらスマホで用事で、無言。
返事なし。
すると、ウロちゃんが、「ママ、コーヒー、濃くなかったか、って。ばあちゃんが聞いてるよ」と、通訳を買って出てくれた。
ママとばあちゃんの橋渡しをしてくれる、ウロちゃん。
もう大人の気遣いかあ、、、とオマセなんだか、年齢によらず個人の性格かも知れないが、まあなんと、、、
ちょっとしてからすっかり場面が変わった頃、ママは「タイミング外してなんだけど、コーヒー、ちょうど良かったよ」とのこと。
手が離せない時は、聞こえていても返事は出来ない事情もよくわかる。
この二人、母娘でなかなか似たタイプだと前々から思っているが、益々そう感じた。
言語理解能力が発達している。
母親と同じような道を歩むのか、はたまた令和の時代に沿った道を歩むのか、先が楽しみでもある。
少なくとも娘たちは、わたしとは同じ道を歩まなかった。
全く違うかといえば、そうでもなく、時代の色合いを受けて変化している。
時代に応じて生きて行ける道を歩んでくれて、ほっとしている。
子供たちは皆、頑張り屋さんだ。
わたしの力だけでは到底このようには育てられなかっただろうし、育たなかった。
周りの家族の皆に感謝してもしきれない。
とても嬉しいことである。
慢心せずに、このまま何事も悪いことがないように頑張ってほしい。
また、困難があっても、乗り越えて行ける力があると信じたい。