蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

なんでも良い面も悪い面もある

2024-01-07 | 日々のこと
一昨日、宿泊した、とある老人介護施設のゲストルームのエアコン、おやすみモード(2時間後に自動オフ)にしたつもりだったが、夜中も薄い掛け布団でも寒くなかった。 
朝も快適な室温。
後から聞くと24時間、自動制御(適温)空調らしい。
なるほど、それで室温は安定しているわけだ。

と、突然、関係ない話になるけれど(いつもそう)、わたしは社会ネタは書かない、書けない。
次女は一家で、夫殿(お婿さん)の実家に年末年始は帰省していた。
地元では毎日、雪かき。
地震があったことを知らなかった。
スマホ、見ない。
ご実家はTVを観ない家庭のようだ。
それはそれで、とても感動した。
新鮮な驚きだった。

かたや、元旦、長女の長男(1番上孫)は、(夫の実家に滞在していたが)ずーーーっと地震ニュースのTVにかじりつき1秒も離れず、ついに長女にTVを切られた。
彼は地震が気になるというよりは、ニュースは堂々とTVをつけられる大義名分となる。
どんな内容、ジャンルであれ、TVが大好きなので、過剰なTVの見方には親のコントロールが必要だ。

(被災された方々や事故に遭われた方々は、本当にお気の毒であり他人事ではない。
当事者が自分であっても何の不思議でもない。
こころからそう思う。)

ちなみに、話には次元の違いというものがある。
「次元が低い」などと、悪い意味で使われることが多いと感じる。
わたしは論議を戦わせていると、相手から意見や論点に、「それは次元の違う話です」と言われることがある。
話をはぐらかされてしまう。
そこには悪意はないにしても、明らかに、論じている内容を変えようとする意識を感じる。
とは言え、わたしはピントがボケているのは否めない。

わたしは、言う側ではなく、いつも言われる側。
それで納得するかと言えば、「はい、この話はおしまい」と強制終了されている気分になる。
「まだまだ言いたいことはある!」と、鼻息荒くムキになって論じ続ける意欲も知力もないので、すごすご引き下がる。
闘いという闘いには、どんな闘いであれ、一度も勝ったことがない。
「負けるが勝ち」とはよく言ったものだ。
「負け犬の遠吠え」のプラス志向、言い換えバージョン。
(後々、根に持ち恨み続ける、たちの悪い展開もある)

と、いつもの如く話が脱線している。
ひとつの話を取り上げても、いろんな側面がある。
論じきれないということだ。

そうやって、のらりくらり逃げて、わたしは今日まで生き延びているのかも知れない。