蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

幼稚園児のわたし

2024-01-27 | 思い出
たんに自分が楽しいから、書く。

60数年前、幼稚園の時、運動会など、母親が行事に参加しない園児は、わたしとY君の2人だけだった。
Y君のお母さんはワーキング・シングルマザー。
わたしの母は、ワーキング・マザー。
母親がペア相手になる軽運動では、いつも、Y君とわたしの相手は、それぞれが幼稚園の先生だった。
わたしは、寂しい思いをしたかというと、それが全く何とも思わなかった。
事実を受け止めるのみで、感想はなかった。
いつも母親が顔を出さないのは、Y君とわたしだなあと、思うだけだった。
とは言え、ごく稀にY君のお母さんの顔を幼稚園(または小学校)の行事で見ることがあり、(それ以来一度も見ていないにもかかわらず)今でも彼女の顔は覚えている。
それだけ印象に残っているのだろう。
(Y君とは中学卒業まで同じ学校だった)

当時の幼稚園には給食はなく、お弁当持参だった。
別の子、H君のお母さんはプロの料理の先生で、お弁当の時間にはいつも彼の周りに先生たちが見学に来ていた。
素晴らしいプロのお弁当に、先生たちは感嘆の声をあげていた。

さて、わたし。
お弁当を持たせてもらえるのは遠足の時だけ。
サンドイッチだったりすると、とてもとても嬉しかった。
あとの普通の日は、幼稚園に向かう途中の店で自分でフルーツ牛乳と菓子パンを買っていた。
わたしは、このフルーツ牛乳が好きで好きでたまらなかった。
(今でもオレンジベージュ色の飲みものを見るとワクワクする)
いつも、このフルーツ牛乳と菓子パンを満喫していた。

そして、お弁当を入れるボックス。
皆んなは天然素材(籐)の、小さい持ち手が付いた、蓋付きバスケットだった。
たぶん、全員それ。
色はベージュが主流。ライトブルーなんていうのもあったかも。
その中で、わたしのお弁当入れボックスだけ、赤い、シリコン?のような(素材不明)、細かい格子になって中が隙間から少し見える、異質のものだった。
それが自慢、なんてことは全くなく、醜いアヒルの子、という意識もなく、悪目立ちして肩身が狭い惨めという感覚もなく、好きも嫌いもなく、自分のだけ皆んなと違うんだなー、とただ事実だけを受け止めていた。

高校生になった頃、わたしは皆んなが持っていたベージュの籐の蓋付きバスケットを買った。
一度、これを持ってみたかったのだ。
小さく可愛いそれを(アイビー・ルック の時)お出かけバッグがわりにして愛用していた。
(今は、孫に目をつけられ、隠している)
皆んなが持っていたその籐ランチボックスに興味があったのだろう。
ずいぶん、年月が経ってからの行動になる。
この時間差実践は、わたしの特徴のようだ。

今、思えば、ソフトな化学素材のランチボックス、かなりキュートでオシャレで可愛い。
存在感のある、昭和テイストのグッズだ。(今ではレトロ)


ちなみに。
姉は目指す職業があったが、幼稚園児の時からわたしは専業主婦希望だった。
姉が頭脳明晰で行動実践力があるのに対して、わたしは、暖簾に腕押し、2階から目薬、昼行灯、昔の蛍光灯タイプだったので、自分で自分がよくわかっていたのだろう。
(ピピッと俊敏に即座に反応しない。
1を言えば100を理解するのではなく、100を言えば1ぐらいは理解する、、、が、後に長い時間を経て、あ、あれはこういうことだったのか、と理解する。遅い)
ぐにゃあ、と、していたのだろう。
どうも自分は世の中に通用するバリバリの頭脳の世界では勝負できないことがわかっていたのだろう。
三つ子の魂、百まで。
幼児のわたしは、自分を見誤ったわけではない。
正反対の姉がいたからこそ、より特徴が明確になり際立った。
面白いものだ。

なんの役にも立たないが、バリバリ出来る人々の中で緩和材になっているようなかんじか?
が、そう思っているのは自分だけで、あまりにもトロイと疎まれる。
気をつけなくっちゃ、とその場になると自分を叱咤激励する。
で、よけいにモタつく。