今回は、まあ長い長い長い記事。
100歳の人が、「わたし、いつまでも死なないような気がするんです」と言っているような、いつまでも終わらない長い記事。
ここで、読み終えることをお勧めします。
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わたし、わたし、わたし、と、調子付いているわたし。
小学生一年生の時の、初めてもらった通知表。
担任の先生(女性)からコメントが書かれている。
「おとなしいが、芯はしっかりしている」
わたしは、この先生からのコメントがとても気に入っていて、蝶ブログにも最低1回は書いている。
初めてのお勉強、小学校では、
国語では「さくらが、さいた」だった?
理科では、「菜の花」の色鮮やかな黄色が印象的だった。
幼稚園から小学校にほとんどの園児は持ち上がる。(校外に転校する子もいるが)
2年の時、1クラス増えて2クラスになった。
1クラス分は新しい外から入ってきた生徒だった。
わたしは、幼稚園からそのまま持ち上がったため、クラスメイトは半数は知った顔。
(幼児クラスから保育所が同じで、大半が同じ小学校に入学するようなかんじ)
さらに、中学では、受験で入った生徒でもう1クラス増え、学年は3クラスになった。
中学に進学する時、他の中学校に行く生徒もいる。
居残り組のわたしは、昔から知っている生徒が多い。
そして、高校は同じ中学から進学してきた生徒がたくさんいた。
いつも必ず同じ顔が多数いた。
幼稚園からずっと顔ぶれは一緒だが、大概は高校あたりで分かれて行く。
同時に新しい顔に出会うことになる。
わたしは、最初からずーーっと居続けている分、多くの同級生とはかなり長い間、同じ学舎で学んでいる。
小学校の時は、姉の同級生たちと、わたしの同級生たちが、きょうだいというパターンもある。
それはそうと。
今、思えば、わたしは高校時代は、こころが荒んでいた。
目標高校に入れて、緊張の糸が切れていた。
仲良くなる子は、お行儀の良い子ではなかった。
勉強もあまりしない。成績も良くない。
おそらく、「井の中の蛙」現象、頑張って入ったのに、そこでは埋没。
周りは優秀な生徒ばかり(に見える)。
自分への評価が昔ほど良くない。
で、拗ねる。
そういう子が、つるんでいたように思う。
(ちなみに、わたしは、自分が成績が振るわないから拗ねていたわけではない)
その中の一人の不良(っぽい)女子AのボーイフレンドBと、高校の還暦大同窓会でチラと会ったが、激変していた。
あの可愛かったキュートなBは、いずこに?
この目の前にいる、ちびまるこちゃんのおじいちゃんのような元気のない人は誰?
確かに、顔をじーーっと見ると面影らしきものはある。
が、、、変われば変わるものだ。
高校3年の時にAとは同じクラスにもなり、よく一緒に遊んだのだが、直近の同窓会ではほとんど話さなかった。
他にも当時の不良(っぽい)仲間はいたが、その後、どうしているのか知らない。
わたしは、あの時期は、たんに拗ねていた時代なんだろう。
拗ね拗ね仲間と半世紀後に会っても、やあ、どう?と、会釈するだけで、お互い近寄らない雰囲気。
たぶん、、、すっかり水と油になってしまったのだろう。
思春期にはこころが安定しない。
家庭に居場所がなかったりすると、別の場所に居場所を求める。
ではあるが、ルールが緩くて楽なほうに一時的に流れても、出会う大人がキーパーソンになる。
それぞれの不良もどき※の生徒たちも、風貌は半世紀経つと変わったものの、わたしには遠い過去の、なかったことの出来事のように感じる。
(※そもそも、わたしの考える「不良の定義」が、暴力は振るわない、ケンカはしない、犯罪には一切関わらない、警察のお世話にならないもので、かわいらしすぎる)
そのうち、老化が進み、自分に都合のいい、理想的な過去をねつ造し始めるかも知れない。
気に入らない過去は消して、作り物の過去を自分のこころの中で、でっちあげることもできる。
(詐欺罪に問われたり、社会的信用を失わない程度に)
わたしは別にねつ造する気はない。
ただ、嫌なことは忘れる。
どうしても忘れられなければ、こころの別部屋に入れておく。
しょっちゅう、出てこられたら困る。
思い出と共に生きるのも良いけれど、現在も大事。
過去が良くても悪くても今が悲惨なら、宗教勧誘に引き込まれるかも知れない。
宗教が悪いとは思わないが、一歩間違えると社会問題や家族問題を引き起こす事例が多発している。
そんなこと、わざわざブログに書かなくても、誰でも知っていることだが。
日本はたくさんの神様が仲良く同居している。
山の神様も、火の神様も、台所の神様もいる。
だが、神様の扱いを間違えると悲惨な事態を引き起こすのは、過去の黒歴史を振り返るとわかる。
文字の神様も、おとなしくしていても、時としては、ペンが猛威を振るうこともある。
「自分の神様」は他人ではなく、「自分」ということにするとよいのでは。