自分にはもう一人の自分がいて、慰めてあげたり、励ましてあげたり、許してあげたりするそうだ。
わたしは叱ったり、恥じたり、嘆いたり、反省したり、諦めたりは、よくするが、あんまり褒めたりはしない。
自虐傾向があるからだろう。
褒められて伸びるタイプではなく、言われなければ動かないタイプ。
わかっていても、なかなか動かない。
ギリギリまで動かない。
張り切って頑張らず、脱落からの脱出を図る。
ウサギとカメの、カメのくせにウサギコース。
慌てて最後の力を振り絞るパターン。
いつでも出来る🟰いつまでも出来ない
いつでもよい🟰期限がないから今はしない
小学生の頃、「こんなことも知らないのか。お前は、ダメだダメだダメだ」と父に言われ続けた。
まあ仕方ない。
わたしは5人きょうだいの末っ子なので、はやく子育てから解放されたい親にとっては、もどかしいのだろう。
というか、生まれつき、どんくさい。
シャシャッと行動できない。
母に、「行動が遅い」と、どれだけ言われたか。
しかし、客観的に見ると、母の指摘は合っている。
もともとトロいのに、これだけ年齢を重ねて今更、シャカシャカさっさと素早く行動できない。
なので、時間がかかるため、行動開始時間を前倒しにすることにした。
持って行くものに、うかっと忘れものがあるため、気がついたものを先に玄関に並べておく。
これは、姑のマネ。
重要なモノの場合は、鍵置き場の鍵の上に置く。
鍵を閉めないと家を出られないので、鍵を持つ時に嫌でも目に付く。
これは、わたし(たち)のオリジナル。
最近では、忘れもの防止には、時間の余裕を持つことにしている。
ゆっくり準備をしていると、ふーっと、あ、アレ、アレ、アレを忘れた!とアタマに浮かぶことがある。
逆にバタバタすると、必ずと言っていいほど何か忘れものをする。
注意力散漫、集中力低下。
脳には何らかの負荷をかけるほうがトレーニングになると思う。
わたしの場合は、脳トレドリルや塗り絵、手芸などではなく(10年後にお取り置き?)、実際に実践として必要な事態が効果的と考える。
ただし、まわりの人々に迷惑をかけるリスクはある。
既製品の脳トレものなら、やってもやらなくても良いので、迷惑はかけない。
が、脳の刺激には、やはり、「リスク」が1番の薬。
「失敗してはいけない」と緊張するから。
実践は、やはりストレスだと感じるなら、クリエイティブなことが脳には良いと感じる。
無から生み出す。ゼロから創作する。
退屈な時間はなくなることだろう。
ちなみに、他のブログで壮絶波瀾万丈日記を読んだ。
長くてなかなか読み終えられず、2日に渡ったが、まだ完了していない。
こういう経験をしている人には共通する特徴がある。
悲惨な経験をしていない人には絶対に理解してもらえないだろうと逆ギレする展開が多い。
べつに逆ギレしなくてもいいのに。
それぞれ個々の経験は、他人にとっては自分の経験ではないので、わからないのは、お互いさまだ。
この「お互いさま」精神が欠如している。
わからなくて当然なのだから、想像力を働かせるしかない。
実際に経験しなくても想像する。
思い遣る。
わたしがそう考え始めたのは、わりと最近だ。
自分のことで精一杯、わたしが、わたしが、わたしが、、、と主張しているうちは、人のことなど眼中にない。
なぜわかってくれない?と、逆ギレ。
そんなことを言われても、人のことは、わからない。
それを根気よく少しずつわかるようにしていく。
わたしだって、相手をかちんこちんの石頭と決めつけ、かちんこちんを認めようとせず、自分の主張を口に泡飛ばして発している。
人のブログを読むと、ブロガーさんの主張を客観的な目で見るから、相手をこき下ろすだけでは、論議が噛み合わない。
自分が相手を理解しないのと同様に、相手も自分を理解していない。
それを一方的に非難して訴えても賛同されない。
じっくり時間をかけて歩み寄るか、事態が少しずつ動くのを待つか、、、
一方的ではなく、お互いに理解し合うには、時が必要だ。
自分と同じような人が集まる。
類は友を呼ぶ。
引き寄せ合うのだろう。
自分はどんな人が好きで、どんな人が嫌いか。
好きな人に近づき、嫌いな人には距離を取る。
わたしは、近づきたくないタイプの人には近寄らない。
相手も近寄って来ない。
お互い避け合う。接点がない。
だから、嫌いな人たちとは衝突がない。
お互い、棲み分けをしているから、近くで顔を合わせることはない。
お互いに、ベストである。