蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

何ごとも光と陰がある。

2024-01-11 | わたし
「憧れる」と「羨ましい」は違う。
わたし次元の解釈では、うんと手が届かない高いところにあるものに対しては「憧れる」。
ひょっとして手が届くかも知れないものが「羨ましい」。
隣の芝生。
どんぐりの背比べで、嫉妬する。

超絶的に高度な、異次元のものに対して、羨ましいと思う人は、ある意味スゴイ。
わたしなどは、カスリもしない。
ほほう〜、と、天を見上げる。
羨ましがるどころか、「憧れるのをやめましょう」という大谷翔平。
やはり偉人は別世界。

自分の能力を無限大だと捉えている。
だが、天才にも頭打ちは必ず訪れる。
類を見ない天才領域で、活発に活動している時に、ポテンシャル全ての能力を出し切る。
そんな人は、ごろごろそこらへんには居ない。

既存枠から抜け出し、全く新しい概念を生み出す。
ただし、分野によっては認められるかどうかは、時代にもよる。
歴史を振り返ると、精神病院に放り込まれたり、死罪になったりすることもある。


趣味仲間Aに、問われた。
「表現力って何?」
すごく良い質問だったので、わたしは前のめりになり、かぶり付くように熱弁をふるった。
、、、が、、、Aには全く通じなかった。
そもそもAとわたしは、別の次元で趣味に取り組んでいる。
わたしは、それを十分理解しているのだが、Aに説明しても、きっと理解出来ないだろう。
というか、わたしは、究極のホンネを打ち明けない。
いくらホンネでも言ってよいことと、よくないことがある。
ホンネなど、言ってしまえば、相手を傷つけ、一瞬で崩壊する。
口にしないほうがよいホンネは言わないほうが、日常生活を送るのには、支障をきたさない。
生き易い。
わたしは、あえて生き辛いことは選ばない。避けて通る。
片目をつぶって生きる。
少し曇ったメガネをかける。
クリアな目で見ると、見なくてもよいものも見えてしまう。
何ごとも表裏一体。
一方だけを追求すると破綻する。

なので、わたしは、Aとの趣味活動には、ある意味、部分的には同床異夢。
これは夫に対してもそうである。
これはわたし流。大きな流れだけを重視して、枝葉は目をつぶる。
いちいち熱く燃えない。
燃えるとすると、何に?
長い道のりを考えて、長い目で見る。
情熱の出し惜しみ、甚だしい。
だから、わたしは最初から芸術とは無縁で、芸能でもなく、商人なんだろう。
(そこが裕さんとは違うところ)

とは言え、自分が楽しめる道を選ぶ。
楽しむためには、その陰で努力や思案も必要だ。
天から無条件に「楽しみ」は降って来ない。

健康でいられる時間は限られているので、目一杯、時を享受したい。