蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

蘇るシーン

2024-01-18 | 思い出
蝶ブログには同じ内容を最低1回は書いている。
何度も書く。認知症予防の一環。

なぜ、同じ内容なのか。
しかも、書いたことを忘れているわけではなく、ハッキリ覚えているにもかかわらず。
過去の同じ光景が鮮明にこころに残っているのだろう。

と、最近は前置きが以前にも増して長くなっている。
同じ歯磨き粉を何個も何個も買ってきていると思われたくないのだろう。
自分ではちゃんと買ってきて洗面所に何個もストックしているという自覚がある、と訴えたいのだろう。
しかし、こう前置きが長くなるのも、何度も鍵を閉めているかどうか確認しているのと、似たようなものか。
念押しが重なるのは、脳のキャパシティが小さくなっている証拠。
容量低下。はい、そうですが、何か?
人を責めていない、自分も責めていない。
科学的分析、生物の特徴を述べているだけだ。

前置きにこんなに長々書くなんて、、、これは一種の新しい切り口だ。
こりゃいい、採用しよう。ネタになる。

と、どうでもいいことは、どうでもよく。
さて本題。

最初に戻る。
蝶ブログに最低1回は書いたことなのだが。
わたしが幼稚園に初めて通園する初日。(孫ではない)
横断歩道を渡る前、信号の見方を父が教えてくれた。
父はわたしの身長に合わせて、しゃがみ、向こう側にある信号機の色毎の説明をしてくれた。
緑になったら行く、赤は止まる、黄色は、、、。
わたしは、初めて信号機の説明をちゃんと直に受けた。
当時5歳。幼稚園年少さん。
その時、姉は小1、兄は小3。
幼稚園はわたし一人なので、何も知らないと危ないから教えてくれたのだろう。

と、そのシーンを書いただけで、涙がポロポロ流れた。
これぞ、セルフ ヒーリングではなかろうか。
セルフ セラピー。
朝から天然の目薬。
これは目にもこころにも良い。

信号機の前でわたしは何を思っていたのだろう。
目の前を走る車に、注意しなければ、と思ったのか、
今日から一人で通園、頑張ろうと思ったのか。
大人になってもいつも思い出すのは、父がしゃがんでわたしに説明してくれたこと。
それだけであり、当時の心情は全く思い出せない。
だだ、この一コマで、60年以上経っても涙が溢れてくるという事実は、わたしにとっては宝物なのだろう。
恐怖でもない、辛い思いや寂しい思い、不安など、マイナスの要素は全くなかったということが、わたしの幸せの根源を作り上げているように思う。
だが、嬉しかったとか、期待感ワクワクとか、そんなプラス感情も記憶にはなく、淡々とシーンだけが蘇る。
実写の一コマ。

わたしは、幼稚園ぐらい?の時から、もう一人の自分がペラペラおしゃべりすることに対して、とても不思議だった。
わたしが考えてもいないのに、もう一人が話す。
その話声がこころの中だけであり、無声なことが不思議だった。
たぶん、今思えば、言い換えると、音声ではなく、文字なんだろう。
だが、それは、特別なことでもなんでもなく、2番目孫Kも、もっと幼い4歳?ぐらいの時にそういう意味のこと、自分の思いを言っていた。
皆んな自覚しても、言葉に出して説明できなかったり、周りにその思いを理解してくれたり見つけてくれたりする人がいなかっただけではないだろうか。
そのうち大人になって忘れてしまう、成長の一過程ではないだろうか。

2番目孫Kは、今も(1番目孫の兄に比べると)言葉は少なく、こちらが尋ねてもちゃんとした返事は返ってこないことが多いが、アタマの中では何かを思い、感じている(はず)。
パパ(娘婿)は、「Kは、なんにも考えていない」と言うけれど、そんなことはない(はず)。(なんにも考えてないことも多々あるが)
これは、幼児脳を実体験しているわたしには、想像できる。

言い方を変えると、幼少期の体験、感性はその人の芯となり核となるのかも知れない。
個性の根源。
それに色んな要素が肉付けされていく。

わたしは父に叱られた思い出が強烈ではあるが、その他にも父娘のこころの交流はあった。
学校には一度も顔を出してくれたことは(記憶に)ないものの、数少ない共にした家族イベントも、鮮烈に覚えている。
一コマ一コマが蘇る。

(わたしは父を尊敬していた)

これから毎朝、父の思い出を書けば、ヒーリング タイムになる。これは妙案。
(が、たぶん書かない)
信号機の説明シーンだけで、今朝のわたしはとても爽やかな絶快調になった。
ベルを鳴らすとヨダレを垂らす犬。
条件反射。
そのあたたかい元になる体験をしっかりこころの芯の部分に持ち続けているわたしは、まわりに感謝しなければならない。