蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

いい人だと思ってたら、ロボットだったのね。

2011-08-19 | 趣味

アクセス解析・無料キャンペーンが終了した。

無料で解析していただいて、言うのもなんですが・・・
してもらわないほうが、よかった・・・
ユメがあった・・・

ビコーズ Because

検索ロボットの訪問ページ数が、めちゃくちゃ多い。
ページ・ビュー数の半分から3分の2を占めることもある。

ブログへの訪問数には、訪問人数と、訪問ページ数がある。
訪問ページ数が、おどろくほど多いときも、キャンペーン以前はあったが、
よっぽどマニアックな人が、ムキになって、なにかを探しているのかと思いきや・・・

なあんだ・・・ロボットか・・・ロボットだったのか・・・

株なんかも、人間がヘタに操作せずに、
ある一定のルールを決め(例えば、2割り上がったらオートマチックに売る、とか)
うーーん、どうしようかな、とか、この株には、思い入れがあって・・・とか、
世界情勢の深読みとか、全然せずに、ただただ、規則にしたがって、知恵や、感情はいっさい抜き。
その無情でメカニックなロボットのほうが、いい成績をあげるとか。

戦争ロボットは、よくないけれど
月面でのロボットや、工業ロボットは、役に立っている。
ただ、介護ロボットは、なんだかコワイ。
映画で、そういうテーマのものを観た事があるが、
人間相手に、人間の格好をしたロボットが、お相手をする。
コンピューターにも、必ず、故障はあるはずだから、
生身の人間相手に、いつなんどき豹変するかも知れないロポットは、コワイなって思う。
(人間も豹変するけれど、機械じゃないので)

ということで、わたしの訪問ページ・ビュー数を上げたのは、
ロボットの仕業だということがわかり、がくっと、力が抜けた。
結果ばかりにこだわることは、ないが、ひとつの目安や、モチベーションの元になる。
ロボットに踊らされたんだ、わたし。
ほんと、あほだなあ・・・

一気に気が抜け、やる気がドカンと抜けたのは、実は口実で、
がくっとなるのには、他にも理由がある。

わたしは競争には向いていない。
恋愛もそう。
競争相手が出現すると、そそくさと全力で逃げるタイプ。
競争は、キライ、苦手だ。
ブログも、そう。

よくこんな性格で、学校や、仕事をやってきたものだ、と、感心する。
必死のときには競争相手なんか、気にする余裕がないんだと思う。
自分と闘うのは、OKのようだが、人と闘うのは、いたって苦痛のようだ。

それと、ひとつのことに夢中になると、他のことが疎かになるのはよくない。

時間の余裕もないけれど、こころの余裕もない。
もっと、やすらぎを感じてもらえるような、そんなブログでなければいけないと思うが、
いまのわたしには、無理のようだ。

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安らぎ系は、一生、無理だと思います。


十分わかってます。わたしがドジなのは。

2011-08-17 | 脳内パリ

最近、下娘Rが、ヨーロッパに旅をした。
3カ国を1週間ほど周り、全日程フリープラン。
ただし、一人旅ではなく、友人たちと。
そのうちの一カ国では、現地在住の先輩に車で案内してもらったそうだ。


と、ここで、パソコンに向かいつつ、Rに、その旅のことを質問しようとしたら、
「やめてくれるかな。ブログで、わたしの情報をアップするのは」
と、ぴしゃり、釘を刺された。
(なので、このブログ文字は、透明の文字ということで、他の人の目には入らないことを願いつつ・・・
→文字が見えている人は、目の錯覚です)

で、下娘は、わたしが一人旅など、絶対にできない、と言う。
とりわけパリなど、無理、と。

「あなたが行けて、なぜ、わたしが行けないの?
どこに、その違いがあるの? その理由は?」

と、食い下がるわたし。

「おかあさんは、まず、年がいっている。(→能力が低い)
英語ができない。話せない。
地図が読めない。
自分の思い込みが強いから、ハナシが一方通行で、人の言っていることを聞いていない。
カンタンな基礎的常識がない。
とっさの判断ができない。」

そして、使いものにならない、よたよたオバサンが1人なのか、優秀な若い精鋭が4人なのか、
その差は、かなり大きい。
なにをするにも、なにを見つけるにも
性能のいい目が左右あわせて8個、耳も8つ。
最新レーダー完備。
かたや、メガネをかけても曇っている、どんよりした目が2つ、
自分の都合のいいことしか聞こえない、困った耳が2つ。
トイレを探すだけでも、大仕事で、一日が終わりそう。
まして、電車など。。。。(乗りません)

老朽化した足、アタマ、ボデーでは、ホテルから目的地まで、行きは徒歩、
帰りはタクシーの繰り返しだろう。
ちょっと出かけては、ホテルにUターン。
なにしてるの? なにしに来てるの? 病気療養中? みたいな、引きこもり旅人。

這うようにして、這いつくばって、パリの地面をカタツムリのように、
のそのそ歩こうかと思っているのだが。
危機管理さえ整えていたら、どうにかなるわよ!!という、
ブログにコメントしていただいたアドバイスに背中を押され、本格的にプラン中なのに。

しかし、この、「危機管理」、わたしには大きな岩となってデデンと立ちはだかっている。
カメラを盗られた、タクシーでぼったくられた、ぐらいならいいけれど、
信号の前で、予想外の段差に足がぐにゃっとなった(骨折、捻挫)、とか、
なにかに引っかかって、転んだ、とか、ドアにはさまった、とか、
ありえないような、日常の当たり前にクリアーできることに、ことごとく、つまずいていたりして。

考えれば考えるほど、本来の危機管理よりも、普通の日常レベルのことで、自信がなくなってきた。
飛行機を乗り間違える、荷物を引き受け損ねる、ホテルまでのバスに乗り損ねる、
ホテルで迷う(自室にたどり着かない、食堂にたどりつけない)・・・
そういう、街にさえ出ない段階で、すでに、トラブルがいっぱい、ぎっしり・・・
ああ、十分、予想できる・・・これが、冗談ではないところが、こわい。

実際に一人旅している人のブログをあれこれ読むと、ものすごく英語もできるし、
コミュニケーション能力はもちろん、
社会の中での交渉や処理能力もあるし、過去に留学していた経験なんかがある人もいる。
つまり、Rが言うとおり、海外で一人でなにかをするということは、
それなりの能力が必要で、わたしとは別世界の人が、すること。


せっかく、せっかく、こんなわたしが、行くと決めたのに・・・
いったん、勢いで申し込んだのだが、今は、キャンセル料がかからない期間。
行ったり来たり、揺り戻しも大きい。
やめようか・・・今ならまだ間に合う。
毎日、そういう不安と闘っている。
これって、楽しい???
いいえ、全然、楽しくない・・・

ネット申し込みなんだし、顔も見ずに、声も聞かずに、一瞬のうちにキャンセルすることもできるので、
いまのところは、申し込んだ実感もわかないし、心が痛むこともない。
いったんキャンセルして、別のコースに、切り替えることも出来る。

とりあえず、キャンセル料がかからない日まで、モラトリアムを続けよう。

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生きて日本に帰りたいし、まだまだ、わたしには、現世に未練があります。
旅先で受けた怪我や病気を引きずって、帰国後、残された余生、暮らすのも、イヤだし・・・

 

 一人旅に出ない理由は、いくらでも、
どんどん、すらすら、ぺらぺらと、次から次へと出てきます。

アタマのなかだけで充実していて、実行・実践は、尻込みってことなんだろう・・・か・・・
イメージして描くユメの中の自分が好きなだけで、実際には、行きたくないってことなんだろうか・・・
いつもの、ぐるぐる・・・アタマのなかの、ぐるぐる・・・ぐるぐるまわるだけ。
1周、2周、3周、何周まわる? 一生?
目がまわる~~


人生の先輩の話に、耳を傾ける・・・

2011-08-16 | 人生

ちょっと、ブログを更新しなかったら、みるみるうちに、ブログランキングはダウン。
正直なものです・・・。

まれにしか更新しないブログでも、高い閲覧数をキープするものや、高ランキングのものもあるのに、
わたしのブログは、薄利多売・路線。
ちょっと手をかけなかったら、蜘蛛の巣が張るかのごとく。
わが夫の働き方と同じ。
朝早くから夜遅くまで、時間で稼ぐ、カラダで稼ぐ、体力で稼ぐ。

夫婦とも、いえ、家族全員、そういう傾向。
誰一人として、率のいい、割のいい、働き方をしていない。
ちょっと、かなしいけれど、ひょっとしたら前世は、馬車だったのかも?
もうちょっと、優雅に、おほほと、涼しげな顔で、上品に鎮座していることができたら
きっと、爽やかな風が吹くんだろうなあ・・・

我々のまわりは、なんか、いつも暑苦しい風が吹くなかを、息を切らせながら、
あくせく、やっている。
もっと、能率のいい、効率のいい、効果的な、合理的な、必要最小限だけ働けばいいような
そんな働き方は、ないものか・・・。
能力がない分、体と汗と時間で稼ぐしかない。

まあ、生まれ持った性分というか、あくせく働くように神様がお創りになってしまったような、
そういう運命、宿命?

時代のせいもあるとは思うが、夫の実家側も、わたしの実家側も、実にみなさん、よく働く。
似たような感覚をもっていて、よかったかも知れない。
これが、お公家さんと、農民の組み合わせだと、ちょっと価値観や、生活感覚がズレる。

しかし、ひとつボタンの掛けかたが違うと、
一方では価値があるとされていることが、他方では、非難されることになる。
たとえば、嫁が、蝶よ花よで育ち、優雅な趣味や免許を持っていることを、
素晴らしいと、とらえる姑と、
かたや、
贅沢で、遊んでばかり、実生活や仕事ができない怠け者、と、眉をひそめる姑もいる。
学力が高いことに対しても、世の中では、すんなり誉めるひとばかりでも、ないようだし。
稼ぎが悪いと、他に持っている美点のすべてを否定する人もあるだろうし。
(しかし、食べていくには、理想は言ってられない。
足りないのなら、ご自分で、お稼ぎになれば? 
→パンがなければ、ケーキをお食べになれば? →確信犯的発言)

貴族が地位・財産を剥奪され、斜陽族になった時代、かつての、プラスの要素は、マイナスに転じた。
生きていく根本や誇りそのものさえも、否定され、命さえ奪われる。
(フランス革命って、すごいダイナミックですね)
時代が変われば、価値観も大きく変わる。

専業主婦がよしとされていた時代と、今の時代でも、ずいぶん違う。
かつては、女性が働くのは、貧しい家の人だったようだが、いまどき、そんなことを言っていては
アナクロ人間の烙印を押される。
ある意味、事実でもあるが、すべてではない。
自分が育った時代の価値観を今の時代に切り替えるというのは、
老人にとっては、並大抵のことではない。
いままで生きてきた自分の生き様を否定することになるのだから。

だから、お年寄りと話をするときには、お互い、ある種のガラスの仕切りみたいなものがある。
(これは、戦争体験を語るお年寄りの話を聞くケースとは、また違う)

時代に翻弄された部分もおおいにあるだろう。
頭ごなしに、自分の価値観を押し付けるわけにはいかない、と、わたしは思っている。
義母は、時代の流れを理解しようと努力している。
アタマではわかるのだが、やはり、信念や、自分の育ってきた環境からくるものは、
変えられるものでなない。

「いまは、そんなことありませんよ」
わたしが、そう言っても、義母の思い出の中は、今の時代と違うのだ。
義母は、80を超えた今頃になって、はじめて、
「人に従うのではなく、自分独自の考えを持ち、したいことをしたらよかった」
と言っている。
合わせたり従ったりしない世界や、生き方など、想像もしなかったようだ。
だから、合わせる一方で、嘆く。不平や文句を言う。
「従わない」という選択肢があることに気付かなかった。
自分の意思で決定し、自分で出た結果に責任を持つという訓練を積んだこともなければ、経験もない。
女性は、そうやって生きてきた。そういう時代だった。

文句や不平を言うなら、自分で切り拓けばいいのに、ただただ運命を嘆くだけ。
嫁にやった娘に対しても、婚家のお姑さんとの生活の仕方にも、
鬼のようにお偉いオバアサマに尽くす一方で、ほとんど自由がないような暮らし、
わたしには、まるで理解できなかったが、
まあ、他人だし、本人がそれで納得しているんなら、それでいいか、と思った。
手足をもぎ取られ、牢獄に入れられた囚人のような暮らしに見えた。
手足をもぎ取っているのは、他の誰でもない、自分なのだと、なぜ気づかないのか、それも不思議だった。

人によく思われたいために、自分を犠牲にし、自分を殺す。
まわりは、助かるだろう。感謝もされるだろう。
自分を殺した代わりに、感謝される、という、ご褒美がつくので、
天秤にかけると、そちらを選んだのだろう。

その逆なら、自由奔放な鬼嫁に、お姑さんが泣いていることだろう。
人間関係というものは、バランスがとても難しい要。

義母の、「お仕着せでない、自分独自の行動をすればよかった」という後悔発言を聞き、
なにか特別なことがあったわけでもないのに、
ある日、目からうろこが落ちるように、突然、目覚めることってあるんだ、と、驚いた。
なにがあったわけでもないのだが、年をとり、からだが自由自在にならない日を迎え、
元気なときに、なぜ、自由にしなかったんだろう、と、いまになって、はじめて思った、
と、義母は言う。
同じ旅行に行っても、義父に付いていくだけ。
自分の意見なんかまるでなく、意向もなく、好みもなく、ただただ、牛のように、あとを付いていくだけ。
その自由だったときの時間が惜しかった、なんて、もったいないことをしたのだろう、と。

食べ物に関しては、ずいぶん前に、同じようなことを言っていた。
食べたいときは、経済的事情で食べられない、
お金に余裕がでて食べたられる時代には、からだの事情で食べられない、と。

あと、一時期、こんなこともよく義母は、言っていた。
どんな偉い役職の人でも、退職したら、ただの人。
いままでの、自分に仕えてきてくれた人間関係は、すべて、リセット。ぱー。
声を大にして言っている。
わたしは、それに関しては、もともと自分はお偉くないし、
お偉い人(夫)の横で甘い汁を吸っていたわけでもないので、
その格差に愕然とすることは、決してないと思っている。


人生の先輩の話は、いずれ自分が行く道なので、
わたしは、けっこう聞く耳をもって、熱心に聞いている。
その時にじたばたするよりは、先輩たちの話を聞いて、参考にして、あれこれプランを練ると
人生のうち、ほんの少しでも納得がいく人生を実行できるかも知れない。
プランだけで、挫折ということもあるかも知れないが。
そのときに、うじうじ嘆かないようにしたいものだ。(が、どうなることやら・・・)

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その割りに、緊急・地震対策、救急持ち出し袋とか、なんの準備もしていない
危機管理ゼロのわたし。
ちょっと、グラっときただけで、ぶるぶる、びくびく。
備えなくて、憂いだらけ。
言ってることと、やっていることが、まるで違う、典型だ。

 


細かいことには、こだわりません。

2011-08-15 | 

お盆行事も、どうにか終了し、昨夜、我が家に帰ってきた。

まだ、夫や娘たちは、今日は出勤せず、お盆休みが続いている。
上娘の友人(東京在住)の、お休みの長さを聞いて、
まあ、なんと長いこと・・・一度に集めて休みをとった、というものの、
大手企業の夏休みの長さには、驚くというか、ため息が出る。

なので、まだ我が家は、お休みモードで、平日のパターンではないが、
お盆関係は、きれいさっぱり、終わり、
土地に根ざした古い風習のない、歴史の浅い町の、いつものお休みの色合いだ。

夫の実家では、お盆は、ご先祖様がぞろぞろ団体さんで帰ってきて、
生きている我々が、あれこれ御供えする。
そっちよりも、今回は、上娘のゲストのほうにわたしは気を取られ、お盆行事は、
なにも苦もなく、難もなく、いとも、すんなりと、サクサク行われた。
はるばるゲストが来て泊まるとなると、宿泊部屋、リネン類、洗面、浴室、食事・・・と、
旅館とまでは言わないにしても、わざわざ遠方から来てくれているのだから、
居心地よく過ごしてもらえたら嬉しい。

付かず離れずの距離関係を意識して、くっつきすぎず、ほったらかしすぎず・・・
ちょいちょい、部屋に訪れたり、娘とゲストが、我々のほうに来たり・・・
今回は(も)、夫がゴルフで不在だったので、家の中が酸欠の危機にも陥らず、
暑苦しくなく、とてもスムーズにコトが進んだ。

義母と、我々との距離も、ゲストとの距離も、ほどよく取れ、けっこう、うまいぐあいにいったと思う。
帰り際に、にこやかな笑顔で挨拶をしてくれた彼女たち、
爽やかな、その後姿を見ながら送り出し、やれやれ、と胸を撫で下ろした。

その次の日からが、仏さんの御供えオサンドンだったので、スケジュール的には、とても楽だった。

いつもながらの、お盆用、仏さん用の食器で、決まったメニューの食事を御供えした。
この朱の漆塗りの食器は、お正月用とほとんど同じ時代のものなのだが、
一年に一度しか使わないものの、もう、わたしは、嫁入りした時以来、使っている。
180年近く前のものだが、使い始めたのは、いつ頃からなのだろう。
お膳も、椀皿も20客単位だから
もともとは、冠婚葬祭用に、大勢の人々をおもてなしするため購入されたのではないかと推測する。

それは、まあ、いいとして、義母に、あいかわらず、洗濯物の干し方で、クレームをつけられる。
「北向きに干してはいけません。南向きに干しなさい」
もういい加減、覚えてもいいんだが、わたしも、気合を入れて聞いてないんだろう。
「はい」
あいかわらず、聞いているが、頭を素通り。
が、わたしは、ハンガーの向きを180度クルンと回した。
単にそれだけで、あっという間に、北向きが南向きに早変わり。
文句を言うより、ほんの一瞬、ハンガーを回すほうが、カンタン。
「昔は、着物の合わせの向きの加減で、重なった部分がよく乾くように、南向きに干すのよ」
「介護に行ってるUさん(介護スタッフ)が、言ってたけど、どこのお年寄りも、そう言ってるって」
そういう、追加フレーズ付き。

介護を受けながら、洗濯物の干し方をいちいち注意されたら、介護スタッフのひとも、うんざりするだろう。
でも、みなさん、徳を積んでおられるから、笑顔で実行されるのだろう。
(こころの中までは、知らないけれど)

わたしは、着物のたたみ方すら、まともに知らないのに、家で着物を洗濯して干すなんて
ありえないことなので、南向けの干し方を、音楽か教養講座のようなノリで、聞いていた。

お盆や、ご先祖様にまつわる、いろんな膨大な話も、義母から聞いた。
(我々の、「町の暮らし」が、重みがなく軽いと感じているフシもあるが)
しかしこれだけ、長年にわたり、何回も聞いているのに、
なんで、わたしは、こうも、まともに覚えられなくて理解できないんだろう。
不思議を通り越して、自分のいい加減さに、にたにた笑えてしまう。

でも、義母もいつまでも、アタマや記憶力、口が達者とも断言できないので、
このごろでは、わたしはメモをとったり、表を書いたりして、正確な理解と、記憶につなげられるよう、
自分なりに努力している。

しかし、わたしは、そうとうなアホだが・・・・
よくよく考えてみると、これだけアホなほうが、けっこう、うまく行っているように感じる。
(やる気がないだけ、とも言える?)
へんに賢かったりすると、やってられないかも。
意見も出るだろうし、考えが違うことを表明し、違う独自の道を歩むかも知れない。
(それはそれで、自立への自然な流れで、結構なことだが・・・)

嫁姑の権力は、うちの場合、年功序列なので、元気なうちは、姑が上司。
今の時代、着物なんぞ、まったく着なくて、家で着物を洗濯なんぞしなくても、いいの、いいの。
昔はそうであって、それを強制させようとしている人がいても、
同居していたり、介護スタッフをやっていて、毎日顔を突合せているわけでもないので、
べつに、(どうでも)いいの。
ご老人は、元気なうちが、ハナ。

嫁姑が助け合って、家を盛り立てて、次世代に引き継がせていくことができれば、それでいい。
時代に合わないことは、自分のなかで調整すればいいこと。
切り捨てるものと、残すものを振り分け、アレンジし、次代に伝えられたらいいと願っている。


ちなみに・・・
夫のエアコン依存病の遺伝子は、明らかに義母から、と明白にわかる、
家の中での、義母の節電しないぶりは、あっぱれで、闘う気力もなし。
各部屋、どの部屋もどの部屋も、窓も、ドアも開けっ放しで、エアコン、扇風機、つけっぱなし。
暑がりで冷え性の義母自身がベストと思える、そのやり方、暮らし方で、
義母の健康を保っているのなら、それでいいのかと。
何度も言うようだが、日ごろは、別々に暮らしているので、お互い、独立国。
表面上は、独立採算制。(実際は、経済負担はこちら持ち)
本当に助けがいる、その時まで、ぎりぎりまで、
義母自らが厳選したサポート・スタッフの力を借りながら、(今までそうであったように)
心身健康のため、自立した生活を送っていただきたい。

実際のところ、理想と現実はなかなか一致しないが、
相互理解、支え合いの精神がベースにあり、それを無理のないカタチで(試行錯誤しながら)
育んでいけば、ぎくしゃくせずに、お互いにとって適正な距離間が保てるように思う。

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よその家の、満足っぽい話、読んでいても、おもしろくとも、なんともないかも知れないですね。 
わたしは、いままで、不満たらたら(今でも、時折たらたら)でしたが、
最近になって、この年になって、ようやく、
大きな流れのなかで、モノゴトを見ることが、少しできるようになりました。

でも、まだまだ、未熟、
未完の、モラトリアムですが。

 


集まるのは、いま生きている人と、むかし、生きていた人たち。

2011-08-11 | 

明日から、ぐーんと忙しくなってくる。

お盆には、ご先祖様がぞろぞろ団体さんで帰省してくるからだ。
ついでに、生身の人間、上娘も、東京から友人を連れて帰省してくる。

仏さんのオサンドン(代々伝わる、きっちりメニューが決められたものがある)
毎年、これに、振り回されるのだが、それに加えて、人間のオサンドンが加わる。
しかも、ゲスト付き。

さらに、場所は夫の実家。
自分の家なら、勝手知ったるところだが、夫の両親の家。
庭が草ぼうぼうだと義母は気にし、先日からふらつく、ということで、おもてなし一切をわたしに委ねる。
夫の実家は、じつのところ、わたしの家より、キレイ。
掃除、きっちり。リネン類も完備、整理されている。
義母は、なんと、今は絶滅種の良妻賢母。
その良妻賢母を育てる学科を卒業し、みっちり仕込まれているので、家政に関しては、プロ並み。
あ、ちなみに、わたしは、幼稚園児並み。

しかし、おもてなし、といっても、そんなもの、できない。
お盆は、仏さんのおもてなしのほうが、優先順位が高い。

第一、お盆のど真ん中に帰ってこられても、仏さんを抱える家では、忙しいんだし、
「ちゃんとおもてなしできないから、お友達は連れてこないでね~」
と、とりあえず長女にやんわり断ったのだが、いったんは、聞き入れてくれたものの
「わたしたちは全然、気を使ってないから、そっちも、気を使わないでね」
と、来ることを決行するようだ。
あなたたちは、気にしなくても、こっち(義母と、わたし)は気にするんだって。

で、アタマが痛い。
お友達の分も、ちゃんと食べさせてあげられるだけの、料理の力量が、わたしにはない。
仏さんの分だけで、精一杯。あっぷあっぷ。
仏さんに出した分を、流用しようか。これ、いいかも。

しかし、それじゃあ、お若い20代の二人には、ちょっとシブすぎるような気がする。
御供えメニューは、オール野菜。肉、魚なし。

東京から出発し、明日の夕方には到着するという二人。
わたしは、のんきに、明日の昼過ぎに、夫の実家に向かう予定。
準備時間、ほとんどない。
大丈夫なの? わたし?
夕食、なににする気? まさか、またスキヤキ? 
(前も、我が家に二人が来たときのメニューは、スキヤキ。そのメニューしかない、と思われそう・・・。
いや、実際・・・そんなかんじ)
翌日の朝食は? 昼食は? あああ・・・
食事だけが、わたしの大ネック。(食事以外も、ネックだが・・・食事は、とりわけ極め付き)

落語家殺すにゃ刃物は要らぬ。あくびのひとつも、あればいい。
スロー(わたし)殺すにゃ刃物は要らぬ。「食事、家でいただきます」のアポがあればいい。


仏さんのメニューみたいに長い長い間、ずっと同じの献立のほうが、どれだけ楽だろう。
帰省組の仏さんに新人が参加すると(一番、近年では、10年前の義父)、
コーヒーとか、食事の合間に、その人だけが好きなものをプラスしていることもあるけれど。

わたしがあの世に行って、お盆に帰ってきたら、なにを供えてもらおうかな?
その頃、御供えしてくれるような、仏祀りをしてくれるような、そんな人物はいるのだろうか?

強制的に息子に責務を押し付けることになるのだろうけれど、
無言の圧力ほど、息子にとって、気の毒なものはない。
結婚してないかも知れないし、妻子のない、老いた独身の息子が細々と・・・・
なんだか、かわいそうな、そんな気もする。

現状から察すると、わたしは勝手に、彼は結婚してないだろうと想像してしまっている。
いまの、子供たちは、結婚はとても意識も違い、なかなか難しいので、親が外野からヤキモキしても、
昔のように縁談がまとまることはマレだと思う。

(奇跡的に)結婚できたとしても、この、仏壇やら、お墓やら、お盆のメニューやら、
そんなことをお嫁さんが引き継いでいってくれるのだろうか。
しかし、自分で終わらないようにするのが、わたしの、せめてもの責務かも知れない。
家意識や、家の宗教の継承って、代々、引き継ぐのが当たり前と考えられていた時代と
そうでない時代がある。
「うちは、重々しい家ザアマスすから、よろしくお願いするザマスっ」
と、重さをどしんと押し付けるって、誇りなのか、埃なのか、重いだけなのか。

日ごろ、サボりまくっているわたしだが、要(かなめ)のところだけ、きちんと押さえておかねば、
とは思いつつ・・・
いったい、どうなるんだろう。
嫁いでくるお嫁さんのタイプにもよるだろう。
この影響は、かなり大きい。

時代の波、時代の価値観、動くもの、動かないもの、自由なもの、そうでないもの、
いろいろあります。
非常に微妙な問題、立場である。
自分も嫁、姑も嫁、姑の姑も嫁、その前の姑も嫁、その前の・・・・。
つまり、嫁が、いずれ姑になって、延々、それが繰り返されているわけだ。

順番としては、それそろわたしが姑になる頃なんだけれど、
嫁姑・数珠つなぎが、わたしのところでストップしてしまうとも限らない。
嫁ももらっていないのに、そんなことを考えるわたし。
第一、今の時代「嫁をもらう」なんていう感覚こそ、古臭くない?
じゃあ、「嫁にきてあげる」? 
押しかけ女房?
いや、それはニュアンスが違う。これは女性の方が積極的な場合に使うフレーズ。

嫁に「行く」、「来る」、という、その概念が今では違うような気がする。
ま、専業主婦で食べさせてもらおう、なんてアタマっから思ってる女性や、
どーんと引き受ける男性には、そういったかんじなのかも知れないが。

平成のこのご時世に、こういった微妙なことを感じている妻、嫁のことを、
夫は、まるで理解していない。
家の方針に従うのは、あたりまえ。嫁に来ているのだから、と。
アタマの中は、むかし、むかし、むか~しの、ずっとずっと前のまま。
お盆にどっと徒党を組んでやってくるご先祖様たちと、さぞや話が合っていることだろう。
(お盆は、例年、毎年、夫はゴルフで不在だけど)

家や嫁の価値観、概念が時代とともに変わる今、
次世代のこともチラリと考えながら、
とりあえずは、忙しいお盆の行事をこなすことにしよう。

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けしからん・・・ことです。

2011-08-10 | 無題

アクセス解析、無料キャンペーン中なのに、ブログを更新しないなんて、許せない。


(誰が、誰を?許せない?)


まあ、なにしろ、せっかくだから、アップしないと。


これって、オマケほしさに、要らないものを買うのに似ている?


バーゲンだからって、ひとつでいいものを、二つならお得、とばかりに、


過剰にモノを買い増やすのと似ている?


「お得」「今だけ」の文字に、弱い、弱い。本当に弱い。


勝手に、もうひとりのわたしが、騒いでいる。


販売促進プロモーションに、みごと、まるまる引っかかり、踊らされる、典型的・深く考えない小市民・消費者。


 


まあ、結局は、申し込まないなら、踊らされているというよりは、勝手に踊っているだけ。


キャンペーンは、ユーザーが申し込んでお金が入って、なんぼ、のもの。


こんな機能が(有料だけど)あるんですよ~、と、ユーザーに広く認知されること、PRには、役立っているけれど。


 


ということなのだが、実は、今のわたしは、ブログにかかっていられない状況。多忙中。


その合間を縫って(いえ、単なる卑しい小心者)、ブログをアップしようと試みているのだが・・・。


目的が、ブログの充実ではなく、「更新」では、本末転倒。


こういうときは、わたしは他にすべきことがあるから、気も散って、じっくり腰を据えてられない。


駄作(ブログ社会のゴミ)を増やすだけ。


と、ここまで入力しつつ、眠くなって来た。


 


まあ、なんでもいいから、とにかく、アップしちゃおう。


きっと、イタい結果が待っているんだろうな・・・。


ふざけるな。ブログを甘く見るんじゃない。


もう来てやらん!!!


がくっと閲覧数が減る。


で、その対策に、アクセス解析の新しい機能として、


閲覧数が落ちたときは、その原因がわかるようなデータ集計を示してほしい。


・・・・・・・・・


 


ふと、ココで、マウスを握ったままの居眠りから目が覚めた。


あ~、自分のブログを居眠りしながら更新するって、最低。


ますます内容が地に落ちる。。。。


急いてはコトを仕損じる。


ということのようですね。


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さすがに、今日は、反省です。


 


 






ひやひや、どきり。

2011-08-09 | 無題

いま、ブログを運営しているgooでは、ブログアクセス解析キャンペーンを10日間、無料で行っている。
前にも、そういう期間があったが、無料の時だけ、解析をチェックして利用するものの
有料申し込みはしなかった。

閲覧時間帯、人数、どこから飛んできたか(閲覧元URL)、検索キーワード、閲覧ブラウザ
それらが、わかるというもの。

有料になると、月200円?だったっけ?かかるので、申し込む気はない。
他のブログサービスでは、無料のところも多い。

ま、それはいいとして、
昨日から始まったアクセス解析の結果が、さっそく、今日からわかる。
で、見てみたら・・・

検索キーワードは、なんか、人ではなく、自動的機械によるものっぽい雰囲気を感じた。
閲覧ページでは、ずいぶん、前のものをご覧になったものがあり、今、読むと、恥ずかしい。
前、書いたものは少し、ティストが変わっている。
基本的には同じなのだが、自分ながら、なにを書いているのか、どきどき、ひやひや。
まれに、どっきーーんっっ!!とすることもある。

よくまあ、恥ずかしげもなく・・・
読みながら、もういい、もういいから、そこで、やめて~、と、目を覆いたくなることもある。
(→なんて、だいたいは、誇張表現が多いんですけどね)

前は、アート展覧やら、マメに書いていたこともあったが、最近は、全然だ。
旅も、写真を必死で撮ったり、枚数多くアップするため、画像処理に、あっぷあっぷしたり・・・

それに比べると、
3ヶ月前のマカオなんか、写真もまだデジカメに入れたまんまで、データ保存もしていない。
ブログも、ほんの短文に、ケータイの小さい写真1枚のみ。
この、熱の入れない様、ずいぶん、変わるものだ。

途中で、パソコンがダウンした時期も2回あったり、
慣れないiPadで、動きにくい画面にイライラしたり。

いまは、あんまりブログ自体に、時間をかけないようになってきている。
ささっと仕上げて、他に移る。
とはいうものの、他のやりたいことに、なかなか移れずに、ぐずぐずしているが。
いつも、ぐずぐず、遅刻魔。スロー・スターター。

今日は、時間がない日なので、弾丸アップが要求される。(だれも、要求してない・・・)

で、。。。。
アクセス解析、10日間、楽しみだ。
無料になる日まで、わたしは、じっと我慢強く、辛抱強く、待ちます。
こういう忍耐力は、とてもある、と自己分析。
(たんに、ケチなだけか?)

さあ、お時間です。弾丸タイム終了。
今日もブログ、アップできて、らんらん気分。
 

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こんなブログに、
お越しいただき、ありがとうございました。


エアコン闘争、真っただなか。

2011-08-08 | 暮らし

毎日、暑いです。

で、室内の温度も、どんどん急上昇。
そこに、なんでか、昨日は、昼日中、暑いさかりにラーメンを作って食べたので、
塩からいのは、汗なのか、スープなのか、
顔面から吹き出て、滴り落ちるのは、、汗なのか、涙なのか、鼻水なのか、なんだかよくわからなくなり
さすがに、エアコンを入れた。
(夫は、ゴルフで不在)

下娘Rは、自室でエアコンを入れ、涼しく快適に過ごしている。
(目下、受験勉強中ということもあって、環境重視)
なんで、わたしだけ、こんな、滝の汗を流して、頑張っているのか、よくわからない。

これは、夫のエアコン中毒への、一種のあてつけ。
このあてつけストライキ、けっこう、根性がいる。
なにしろ、暑い。
暑いんだけど、無言の抗議なので、エアコンをつけては主義主張がアピールできない。
ハンガー・ストライキのようなもの。

夫は、暑かろうが、たいしたことなかろうが、涼しい自然風がそよそよ吹こうが、
めちゃくちゃ気持ちいい爽やか天然の風に、わたしが大感激しようが、
まったくお構いなしに、外の気温は無視して、いつも必ず窓を閉め切ってエアコンをつける。
それは、マイカー車内もそう。

どんなに快適な適温とわたしが感じる時でも、必ずエアコンを入れる。
寒いぐらいの時でも。(冷房する必要ある?)
節電なんていうコトバは、夫の辞書にはない。

で、わたしは、抵抗のエアコン・ストライキを敢行しているのだが・・・

最近、下娘Rが、わたしのストライキに、この、あほみたいに暑いのに、つきあいきれなくなったのか
独自路線を取り始めた。
自分だけ、自室に引き上げ、エアコン導入(家を建てた時から、各部屋に設置されているけれど)で、
穂高か、白馬か、はたまた蓼科か、軽井沢別荘の気分。

夫が帰宅して早々にリビング・ダイニングにエアコンを入れ、そこで寝てしまうと、エアコンをつけたまま、
わたしは自室(息子の部屋を流用)へ。
夫は、夜中に目をさまし、いったん、リビング・ダイニングのエアコンを切り、
今度は寝室に移り、そこで朝までエアコン。
わたしは、暑いのをガマンし、自室で、汗だらだら。
めちゃくちゃ寝苦しく、ほんのちょっと外の温度が下がる、夜中の3時過ぎぐらいまでは、
暑さとの闘い。ふとんの上で、ごろんごろん、七転八倒。
パジャマや枕カバーは、汗だく。

夫は、「おかあさんは、クーラーがキライやから」と、
わたしが、冷え性かなにかで、身体の都合で体が受け付けないように思っているようだ。
熱き思いで、煮えながら、真っ赤な蛸(タコ)になりながらの、わたしの抵抗が、まったく伝わっていない。
エアコン依存症への当てつけ、ひいては、嫌がらせは、まったく功を奏していない。
腹立つ。
自分がやたら暑いだけ。


しかし・・・よくよく考えてみると・・・
どっちみちエアコンを入れるんだから、意地を張ってないで、夫と同じ部屋にいれば、
こんな暑い、汗だらだらと闘わなくて、すむものを。

下娘Rにも、そう指摘された。
が、
「わたしは、夫婦別室の方針を決めたの!!」と、燃えたぎる胸のうちを明かした。

娘は、涼しい顔で、ふーーん、と言うのみ。
関与しない中立の立場を取るつもりのようだ。


あるとき、まったく違う話題で、わたしが、下娘Rに、「どんな家に住みたい?」
と、ユメのある話を投げかけた。
するとRは、すかざず、
「夫婦別室、家庭内別居ができる家!!」と、答えた。

これって、わたし、おちょくられている?

また、今日も、暑さとの闘い。
いつまで、もつか、わたしの意地と根性。

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夜中は、手動式風送り機(うちわ)で、ぱたぱたと生暖かい風を送っている、が、
体を動かすことで、よけいに体温が上昇しているような気がする。

トップ画像用↓を作ったが、あまりにも暑苦しい(みっともない)ので、トップは涼しげなものにして、
最後にココで、暑苦しさを強調してみました。

 


年齢に合ってない服

2011-08-07 | ファッション

先週、買ったばかりの服に初めて袖を通して、ちょっと、うきうき気分だったところに、
母に、頭ごなしに、けなされまくった、なにひとつ良いところのない、わたしのファッション。

先日、ダンス教室の更衣室での、オバサマ方の会話。
わたしは、ほとんどは、会話には参加しないで、着替えながら、背中で聞くだけの、盗聴魔。


年がいって、若い格好するのって、あれ、おかしいわよね。
ファッションが若いと、顔が、ほら、年齢相応の顔がね~、よけいに老けてることを強調して
ほら、顔だけが浮くっていうか、逆の方に。みっともないわよ。
あれって、ほんと、よくないわね~。
本人は、良くっても、ねえ。
見てるほうは、ねえ・・・。見栄えがねえ・・・。


ふむふむ。
非常に共感できる、
しかし、それって、ひょっとして、わたしのことじゃあ、ないですよね!?

わたしの、ファッションも、じつは、本人だけが良いと思っている部類のものもある。
ぎりぎりアウトのものや、ぎりぎりセーフのもの、問題なくOKなもの、限りなくヘンなもの、
よせばいいのに、似合ってないのに、無理してる風のもの、
なかには、偶然、大ヒットのものもある。

だが、哀しいのは、自分で意識し、コントロールできないこと。
すべてが、偶然の賜物(たまもの)。


母にボロカスけなされた、その不評のファッションで、昨日、出かけた。
あんなに否定されたファッションでも、それを着て出かけるわたしは、
けっこう、気にするようで、気にしない、鋼鉄のおんな?

家の最寄り駅(鉄道)の手前のところで、
わたしより15~20歳ぐらい年上の女性に、ジロジロ、遠くから、わたしが近寄るまで見られた。
へん? わたし?
改札口のところで、またもや似たような年齢の女性に、これまたジロジロ。
なんなんですか? ヘンなら、そんなジロジロ見ていいんですか?

なんか気になって、お店の鏡に映った自分を見て、
わっ、似合ってない! 服と顔が、分離、分裂!
と、うげっ!となった。
これって、あの更衣室のオバサマが言ってた、顔がよけいに悪い意味で目立つって、やつ?

ちょっと恥ずかしくなった。
鋼鉄のおんなじゃなかったの、わたし?  じゃなくって、厚顔のおんな?

しかしながら、これは、自意識過剰の産物だと、わたしは冷静に心理分析しております。
なにも、そこまで目立つわけでも、ひどいわけでもない、・・・はず。
それに、ジロジロの女性は、二人とも同じエリア、同じ年齢層。
駅周辺の地元でのお買い物やら、銀行やらの家周りの所用ならともかく、
(自宅近くだから、どんな格好でも気にならない、
都心で多くの他の遠くから集まってきている人々の目があるわけじゃなし、
けっこうヘーキよね? ってかんじで)
なのに、居住駅から都心方向に出向いていく女性として、あの服装はないのでは、ってこと?
もっと、ちゃんとした格好しろよって?

逆に、地元周辺だからこそ、知り合いの目があるので、まともな格好をしよう、
都心は、知らない人ばかりなので、その場限り、どんな格好でもOK、という考えもあるだろう。

ま、どっちにしても、わたしの、考えすぎ、自意識の一人歩きだと思う。
おばあさん一歩手前の人にとっては、あそこまで若い(似合ってない)格好をするってことが、
自分では恥ずかしくてしないのに、よくやるなあ・・・と、そんなかんじで見ているのかなあ・・・。

どっちにしても、自信のあるファッションで注目を浴びるのは、とても結構なことだが、
自信のない、けなされたファッションで、ジロジロ見られるのは、ますます自信がなくなるってことだ。
でも、また、着て行きそう。
そこまで言われても、そして、自分で見てもヘンと感じるのに、
なんで、しつっこく着て行こうとするのかが、意味不明。

自分が、とことんイヤと感じないと、着るんだろう、おそらく。

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確実に言えることは、ただひとつ。
誰も見てません。

 


オシリに火がつく前に。

2011-08-06 | 日々のこと

さて。
本日は、時間があまりないので、
しょーもないことを、うだうだ文字に変換する作業に、じっくり、取り組むことができない。
ま、どーでいいことに割く時間が、減るだけなのだが。
わたしにとっては、とっても楽しみの、ウフフの大切な時間。

お盆を前に、あれこれ忙しい。
忙しさが目の前に、デデーンと鎮座しているのだが、ちらと見て、見ぬふり。
忙しさの真ん中に突入すれば、巻き込まれて、洗濯機の中でぐるぐる回るみたいになるだけ。
そうやって、めまいや、汗や、いろんな、ぐちゃぐちゃが、
ひとつひとつの用事をこなしていくうちに、解決クリアーされて、最後には終了!ご苦労様!
となって、めでたし、めでたし。

でも、今は、その洗濯機を前に、
ああ、この洗濯機に入るのね、その日まで、あと1週間を切るのか~、と、
ぼんやり、自由時間を楽しんでいる。

といっても、単にお盆行事、プラスアルファなだけなんだけれど。
義母も、暑さのせいか、すこし参っているようなので、ちょっと心配。
同時に行われる予定の別件行事、延期するべきか、否か、悩むところだ。

ダンスもメリハリが大事。
「溜め」の時間を少しとって、一気に、素早い動きに突入する。
すると、キレが出る。

それと同じで、生活も、メリハリがあってもいい。
が、少しずつ、計画的に、毎日のノルマをクリアして積み重ねると、
大きなコトの直前にアタフタしなくていい。
一夜漬けの試験勉強より、毎日の予習、復習の積み重ねが大事。

とはいうものの、わたしは、スロー・スターターの遅刻魔なので、
いつもオシリに火がついてから、あっちっち、と、走り回る、困った性格。
待ち時間の自由時間を取りすぎて、本番の時間がいつも足りず、ミスを多発するか、
納得できないような中途半端な結果になる。

事前にたっぷりの時間をとって、用意、準備に余裕をもってコトを進めるべき・・・・・
なんだが・・・・

毎回、失敗を繰り返し、今度こそ、と思うのだが、やはり、オシリに火がつかないと動かない。
丸いギザギザが回転して、ピザを切り分ける調理ツールみたいな、
あるいは、
服地の裁断前に印をつける、同じような形の裁縫器具、
馬にとっては、痛~い器具で、馬が騎乗人に、がしっと、オシリを蹴られなければ、動かない。
(しかし、あの器具、動物虐待ですね)

今も、これを入力中に、一ヶ月に一度の、古紙回収業者のアナウンスが聞こえ、
「あ、そうだった、今日だった!!」と猛スピードで、出した。
そうやって、必要以上に短時間で焦ってやると、
転んだり、足を引っ掛けたり、いろんなトラブルが予想される。
(たまたま、今日はセーフだったけれど)

そういっているうちに、時間が来た。
ああ、中途半端。
だから、もっと前もって取りかかるべき。
(じつは、ぎりぎりまで、べつのコトして遊んでいた・・・)

なにがなんだか、わからないぐらい、ぐるぐる濁流パニックに陥って、ぱぱぱぱっとコトを仕上げてしまう、
その、火事場の馬鹿ヂカラっぽい方法、そろそろ卒業しなくっちゃ。

いままでは、まわりの人に助けられて、(というか、ほとんどが、まわりの人の力)
どうにかこうにか、ここまで来たものの。

あ、出発間際、文末、いまごろになって、ダンスのことが書きたくなった。
無理に決まってる。
今日のわたしは、何が言いたいのか・・・

もっと余裕をもって、コトを進めるべし、そう言いたいんだろう、きっと。
身をもって、そう思う。

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わっ、今日も遅刻だっ!!