蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

あなたの履いてるソレ、お高いんでしょ?

2019-12-13 | 日々のこと
先日のダンパ。
自分をよく見せる、せっかくの良い機会があったのに、かさ上げし損なった。
踊りの話ではない。
更衣室での話。
更衣室と言っても、
会場の隅に衝立目隠しを置いただけのスペース。
そこで着替えていると、見ず知らずの女性に言われた。

「奥さん!  その、履かれているもの(スパッツ?)、どこで買われましたの?  とても良いものなんでしょう?」と、目を輝かせて聞いてこられた。
わたし「え?あ、これ?安モノですよ」
その女性「えー?  そんな風に見えないけど、どこのブランドですか?  ぜひ、教えてください」
わたし「どこで買ったかなあ?
そこらへんにある、ほんとに安モノなんですよ。メーカーは知らないです。
フク○ケとか、そんなかんじでしょう、きっと、、、」
その女性「そうなんですか、、、。
これから、そういうのがないか、よく、見てみます」
彼女は、えらくお気に入りで、前のめり、ご執心。
首から下、センター、ウエストまで、縦に左右対称にフリル、ビラビラがデザインポイントの、紫色、ノーカラー、膝丈ニットワンピースの下に履いていたスパッツ。
黒地に、デニムに施されるようなオレンジのステッチが効いた、裏起毛ぬくぬくのスパッツ。
こんなモノが目に止まるとは、、、と、不思議なような驚きだった。

こういうやりとりだったが、後で気づいた。
嘘や、ねつ造とかではなく(とは言うもののちょっと演出を加えて)自分を良く見せる言い方があったのでは、、、

例えば、、、

「いえ、行きつけのブティックの店じまいセールで買ったから、とても安く手に入りました」
(実際は、ヨーロッパ輸入衣類を扱う、姑御用達のお高いお店、閉店に際してオーナー女性に無料で頂いたものも、いくつかあるが、クロゼットに積んだまま眠っている。
この女性は、わたしのブログに何度も登場する、わたしは苦手な人)

「イタリアのブランドが好きな、お洒落にうるさい姉にもらったので、値段はわからないです。どうなんでしょう??」
(実際の姉は、イタリアブランドとは縁がなく、わたしと似たり寄ったりの庶民派。
わたしよりは、ちょっとだけ気前がいい)

飾り気なく、ありのままが良いとは限らない。
せっかく、アカの他人さんが、お高く見積もってくれたのに、わざわざ自分から自分を安く見せるのは、もったいなかったかなあ、と。
しかし、ブランドはブランドでも、靴下メーカーでは、、、
(だが、国産メーカーは良質だ)

もともとわたしは背伸びしないタイプ、見栄は全く張らないので、自分を良く見せるなんていう作為的な答えを思いつかなかった。
残念。
惜しかった。
安もんスパッツのおばちゃんであることを自らの口で言うなんて、バカだったか?
お高く止まることも出来たのに、、、

いつもこんな感じで、自己得点ゲットのチャンスを逃す。
残念ではあるが、、、低飛行。
まあ、いいんじゃない?


集中力

2019-12-12 | 子育て
いきなり、、、の話題。
息子が高校2年の時に、自宅を建て替えた
年子である長女は、まさに受験期真っ只中、高3の夏に仮住まいに引っ越し、試験直前の1月に新築された家に移った。
受験勉強は、山積みされた段ボールの隙間でやっていた。
子供の大事な時期、デリケート状況を全く配慮しない、わたしのマイペース計画だった。
ごめんね、みんな。

まあ、勉強なんて、綺麗にキチンと状況を整えたから出来るものでもない。
現に、騒がしい喫茶店やコンビニの飲食ルームや、マクドなどで、勉強している受験生らしき学生をよく見る。
サイ○リアなどの価格の安い店は、学生が低年齢化している。
おしゃべりしに店に来ているわたしなのに、声を小さく気を使わざるを得ない。
なんで、家で勉強しないの?
と、そんなヤボな疑問は持たない。
なぜなら、「勉強したくない病」には、長年、持病としてお付き合いしてきた、わたし。

わたしは彼らの背景を想像する。
小さなきょうだいが、いっぱいいて、家で落ち着いて勉強する雰囲気ではない、、、というのは、昭和の話。
今はきょうだいも最小人数、家には母親は不在で(働いてます)、ひとり静かな環境、、、
よけいに勉強できないと思う。
どんな環境であれ、勉強はする気にならなければ、しないということ。
わかりきっている。

昨日、ポスティングされていた某証券会社の営業印刷物。
担当者の自己PRに、「偏差値40から浪人して早稲田に入った私の頑張りをぜひお役立てください」と、書かれていた。
これは、ひとつの売りになる。
というか、偏差値40って、、、、そっちのほうがすごかったりする。

やる気を出せば出来る見本みたいなものだが、実社会では勉学では図りきれない不条理もあるから、たいへん。
学者でさえもそう。
派閥があったり、研究費確保があったり。
楽しいだけのことなんてない。楽しくないこととセット。けど、いいんじゃない?
自分がやりたいことをするためには、犠牲や我慢はつきもの。

話はころりと変わるが、、、、、
我が息子。
当時、新築するにあたり、自分の部屋の好みのリクエストを問うと、なんと、畳の和室が良い、とのこと。
わたしは、夫の実家も、わたしの実家も昔々の純和風建築なので、生まれた時から、うんざりするほど和風には馴染みすぎて、それは避けたかったのに。
息子は、変わっている、、、が、そのおかげで、わたしは息子が家を出て行ってから使ってなかった彼の部屋をわたしの寝室にして、とても良い調子。
息子よ、ありがとう、和室にしてくれて。

息子が新築に移った高校2の終わりから高3の終わりまでの、たった1年しか彼は自室を使わなかった。
その1年は、、、畳の地模様が全く見えない、全面、本、プリントで埋め尽くされていた。
その隙間で寝転がって、受験勉強をしていた。
あのカオス、すごい。
どこに何を置いているのか、よくわかるなあと。
足の踏み場もない、ぐちゃぐちゃなのに、脳の中には整理されて入っていたようだ。

その後に、2回、彼の住まいを訪れたことがある。
1回目は、学生時代。わたしと見に行って探した賃貸物件。
2回目は、社会人になってから。彼が自分で探した、とても不思議な住まい。
あの子は、ちょっと変わっていてユニークだ。
少しわたしに似ているところもあり、複雑な心境になる。

こんなのだから、嫌われる

2019-12-11 | 時事&世の中
昨夜のニュースで、数学○○試験を最年少で合格した9歳の男の子のことが紹介されていた。
難易度は理系大学卒業レベルらしい。
スゴイ!の一言。
地球温暖化防止など、将来は人の役に立つことがしたいそうな。
立派。
おそらく、トンビが鷹を生んだのではないと想像する。
一般の凡人には参考にはならないが、まあ、否定する類のものではなく、絶賛!
少なくとも、すでに9歳で、理数系大学卒業レベルなんだから、13年早くクリアしている。
13年を次の段階に進むとして、、、しかし、70年ぐらい研究するとしたら、最初が短縮されたに過ぎない。
かえって、騒がれ過ぎてノイズかも知れない。

それとは別に、、、
柔らか頭を掘り下げる、NHKの番組で、灘校の取材がされていた。
面白かった。
寝ながら読めるように図書館のソファが設計されているそうだ。
灘校ならでは。
たんなる、だらしない、いい加減な怠惰でイマイチの、やる気のない、どんよりしたサボり生徒ばかり(いっぱい形容詞)が集まる学校だと、なんの意味もない。

明るい灘校。みんな秀才。
灘校生というだけで、すでにステイタス。
だが、学生時代、灘校の落ちこぼれを実際にリアルで知っている。
それはそれで気の毒。
関西の一流私立大学に滑り止めで合格しても、落ちこぼれ。
厳しい。
灘校に入ってしまった悲劇だ。
彼は、隠れ浪人して、医学部に入ったが、逆境に負けじと頑張ったんだろう。

と、わたしの話は嫌味ったらしい、上から目線の塊。
自分のことは、まったく棚に放り上げている。

これだから、わたしは嫌われる。

でも、スゴイ人はスゴイ。
自分は自分。
色々、知ってるってことは、悪くはないと思うんだけど、、、
あかんかしら。

よせばいいのに

2019-12-10 | ブログ
せっかく閲覧数が自己最高に達したというのに、、、またまた自滅行為をする。
わかっていながら、かなわん性格である、わたし。
ウケの悪い記事を書く。
わざわざ選んで書くのではなく、たまたま今、書きたいから、という、かなわん動機。

電子漫画がチラチラ、スマホに広告アピールしてくる。
前も電子漫画のことを書いたブログ記事、非常にウケが悪かった。
にもかからわらず、またもや電子漫画がわたしを呼ぶ。
今度は、女性漫画家が描く、成人向け漫画、アダルト・コミック。

女性が憧れるイイ女を描いているように思う。
美貌を誇るヒロインの容姿が、いかにも女性が羨望する、カッコよさの見本、典型である。
ストーリーもさることながら、憧れられる理想の美を持つ女性。
作者本人が熱く憧れるんだろう。
宝塚、タカラジェンヌのファンである作者、もっとも好きな女優さんの顔やイメージを具体的に描いていると推測する。
作者は、年齢的には、あまりお若くないように思う。
ストーリーや、ビジュアルから、バブル時期を経験した世代では?と推測する。
といっても、無料の1巻しか読んでないので、なんとも言えないが。

わたしの年齢では、成人向け漫画は、卒業の感があるので、観察したり、比較したり、余裕で楽しめる。
男性漫画家が描く成人漫画とは、また違う。
やはり、男性と女性では視点が違う。
それと、絵柄、タッチが違う。

この作家は大変だ。
すごく大量に作品を描いていた。
鶴の恩返しの夕鶴のごとく、自分の羽を抜いて布を織る。
その多作ぶりに、凄まじいバイタリティを感じると共に、旺盛な生活感を感じた。
生活していくために、機織りする、漫画家夕鶴。そう想像した。
ご本人はそんなことは思わず、溢れんばかりの才能とエネルギーが、多くの作品を生み出したのだろうけれど。
憧れと、想像と、実体験と、膨大な量の読み物、映画、舞台等を元に描いてるんだろうと憶測する。
主に、強烈な想像力と、構成力、画力が必要だ。
お疲れ様です。

漫画家だけでなく、人気小説作家は赤裸々、実体験や身内を切り売りすることがある。
ある意味、丸裸。
わたしは絶対に作家になれないと強く自覚する。
丸裸には、絶対にならない。なりたくない。
そもそも、作家じゃないんで。
それ以前に、程遠いんで。
と、書きながら、何を書いてるんだか。
よせばいいのに。
非公開という手もあるが、ブログ・ゴミ屋敷と化す。

最新キラキラは世界旅行のよう

2019-12-09 | 日々のこと
自宅から徒歩5分ぐらいの所に出来たお店。
さっそく行ってみた。
前は、昭和時代の広い、うどん屋さん。
店舗の骨格だけ残して(想像です)中をすっかりやり変えたようだ。
全面リノベか?

まったく、ぜんぜん、昭和のうどん屋さんのテイストを微塵も残さず、ガラリと別空間になっていた。
メチャメチャ感激した。
生まれ変わった、というよりは、別もん。
天然無垢材を使った家具や雑貨が販売され、ショールームがわりに店舗で使用されている。
しかも、カフェやオリジナルメニューを大空間で楽しめる。
子供たちの遊び場も空間に組み込まれている。
キッチンも客席も物販もショールームも、仕切無しの一つの空間。
三角頂点屋根まで見上げる高い天井。

そして今、2019年12月というこの瞬間には地域差やエリア特色はないのではないかと思った。
ここが、フィンランドでも香港でも、同じなんじゃないかと。
店員さんひとつ取ってもそう。
アジア系アメリカ人?シンガポール人?なんじゃないか?なんて思ったり。
わたしは、完全に空間を飛び越して、ワールドバリアフリー状態になった。
一言で言えば、今風のお店に感動した。
メニュー展開も申し分ない。

一緒に行ったのは、長女一家、次女。
夫は徒歩5分なのに、参加しなかった。
なので、夫の分だけ夕飯準備をして(買ってきて並べただけ)、皆と現地集合した。
海外に出向いて求めなくても、徒歩5分のところの「今」「時代の先っぽ」があるのに、味合わない、経験しないなんて、じつにもったいない。

ベトナムに今年行った時も感じた。
前に一度、行ったことがある場所だったが、施設がころっと新設されていた。
まさに、今風。
ベトナム風ではない。
切り口は、場所ではなく、時間。
横割り平面ではなく、縦割り時空だと思った。

時間軸で、最新のものは感動する。
やがて、最新ではなくなり、次の最新が現れ、その最新も最新をキープせず、不動ではなくなる。
最新は、次から次へと更新、上書きされる。

しかし、新しいものに飛びつき、時を享受、消耗したらそれで終わりではない。
その時の感動、思い出がある。

同じものを見ても、自分自身が変化している。
見る目や感想も変わる。
ひとつとして同じ状況はない。

だが、目に焼き付いた光景は、一枚の絵のように色褪せないで記憶に残ることがある。
無意識に美化したり、演出したりしていることもある。

食べたものや、映画も、見た時の自分が変化しているため、同じ感想、感覚だとは限らない。
どんどん自分は衰えマイナスに変化するとしても、かつては、刺激や斬新なものばかり求めていたかも知れないが、自分がマイルドになるにつれ感受性も変わってくる。

変化を楽しめると思えば、年を重ねることも悪くない。

ちなみに、ご近所店、感激を興奮して長女に伝えたが、うんともすんとも反応がない。
わたしのボキャブラリー貧困のせいか?
自分の中ではキラキラなんだけど、人にはわかってもらえないようだ。
まあいい、自分が楽しければそれで最高、満足だ。


メモがわりにブログを使う

2019-12-07 | 日々のこと
今からブログ更新するのは無謀である。
あと5分ぐらいしか時間がない。 
次の駅で降りる。
無駄な抵抗はやめたほうがいい。

と、ここで記事は書きかけのまま放置されている。

しかし、毎日、ブログをアップしなければならないことはない。
駄作、くだらない記事ばかりアップするぐらいなら、しない方がマシ。
優秀な陶器作家は、気に入らない作品は割るらしい。
わたしは、全然割らないで、どんどん溜め込む。
ブログ・ゴミ屋敷の如く。

年末、慌ただしい。
今夜、次女が帰省しているが、長女を交えて、年末年始の計画を練った。
長女が長男にも伝えたようだ。
長男は、「年末の勤務体制がまだ決まってないため、決まったら連絡します」と、珍しく即座にリアクションがあった。
夫の姉もお正月に、姑の世話をしに来るとか、、、
家に後期高齢者のご主人を残したまんまでいいのか?
まさか、ご主人まで来ないだろうね、と首を一人、横にブルブル振ってみる。
長女一家だけでも5人いるのに、なんだか、いっぱい、夫の実家に人が集まりそうで、憂鬱になっている。
年末年始は、賑やかだったり、厳かだったりするものなのに、面倒臭かったり、憂鬱だったり、って、良くない傾向だ。
だって、、、日頃、誰も住んでいない空き家に、大勢ドヤドヤ泊りがけで民族大移動は、どう考えてもカサ高い。
誰が切り盛りする?
わたしじゃないよね?  
でも他に誰がいる?  
誰もいない。だって空き家なんだから。

まあ、火事場の馬鹿力で乗り切ることになりそうだ。

て、ブログというより、完全に、日記になっている。
というか、ブログと日記の違いを述べよ、である。
どこが違う?
おんなじだ。

爽やかでささやかな幸福

2019-12-06 | 暮らし



恒例、毎年、何かの形になる、紅葉の葉っぱ。
今年は、牛か?
ツタンカーメンになった時もある。
すごい! 王様の住処か?
また、日が変わると別の形になっている。
人が中に入っていて、風と共に動いているのかな?
そんなことを孫たちに言ったらダメだろう、と自主規制している。
いずれ、想像と現実の区別がつかず、本気で言っていると思われることだろう。

昼下がり、自宅で一人鼻歌を歌いながら、自分の食べるサンドイッチを作って食べる。
すごく満たされた気持ちになる。
べったり、粒マスタードは好きなだけ塗る。
ただし、賞味期限切れの瓶を今、開けたところ。
すでに切れて久しいが、文句言う人もいないので、気楽なもの。
粒マスタードなんか、匂いや味のチェックのしようがない。
が、カビが生えたらわかる。
(そもそも瓶には、賞味期限日はハッキリ表記されているけれど)
うん、カビは生えてなかったからオッケー。
わたしは、サンドイッチが大好き。
て、ブログに書いてもなんの意味もないが。

自分で食べたいものを好きな時に自分で作って食べられるのは、幸せだと、つくづく思う。
ドリップコーヒーやデザートも、自分で用意して、パクリ。

この世の中で、自分のために作る料理(というほどでもないけど)が一番、幸せの具現なんじゃないかと思う。
料理(というほどでもない、何度も言うけど)が出来ない人は、ある意味かわいそう。

サンドイッチを作りながら、ふと次女のことを考えたり、自由な脳内。
意味もなく、楽しかったり、幸福感に満たされたりしている。
またまた、ふと、仕事で関わったことのある、女性カメラマンの言葉を思い出す。
蝶ブログにも書いたことがある。
彼女が言った。
「わたしの理想の、この世とのサヨナラは、ある、爽やかなお天気の朝、突然、流れ弾に当たって倒れることです」
恐怖もなにも、何が起こったかもわからずに、一瞬でこの世を去る。
しかし、銃弾で倒れた中村医師のような痛ましい出来ごとが実際に起きる限り、安易に浅はかに言えない。
世の中を良くするために汗水流して、弱い人を助けてくれる正義の味方がこんなことになるなんて、不条理の塊である。
合掌

可愛げゼロの憎まれ口

2019-12-05 | オトコとオンナ
靴下を裏返しにしたまま履いている人を見ると、、、
私の場合はスルーする。
裏返しのまま、洗濯機に放り込み、裏返しのまま干し、裏返しのままセットしてクロゼットに戻す。
(幼児、子供、ハンデキャップのある人は別)
朝、出勤前で忙しいのにかわいそうかな、と、ちらりと脳をかすめる。
が、なんでわたしが元通りにせにゃいかん、自分が裏返した自分の靴下、自分で元に戻せば良い、と考える。
気がつかずに、か、時間がなくて、か、裏返しのまま履いていたら、壇蜜みたいな人な助けられるかも知れない。
が、わたしが今後、将来、国連総長に就任する確率ぐらいかと思う。

ちなみに娘は、娘婿の靴下は裏返しのままで元に戻すらしい。
(夫婦分担制。洗濯、掃除は娘。食事作りは娘婿)
娘と娘婿と、最初、脱いだ後、裏返しのままの娘婿の靴下の処置について二人で話し合った結果、娘婿が、「裏返したままで結構です。僕が履くときに表にします」との結論に達した模様。

「どうにかしてあげなくては」は、母性本能をくすぐられ、精神的バックアップなのか、肉体、あるいは頭脳を駆使して労務することなのか。

わたしは、どうやら母性本能は、ゼロのようだ。
かわりに、人間愛には満ち溢れ、ちょっとしたことでも涙する。
涙ポロポロ、感涙パターン。
元々、ダメンズは嫌い。
搾取されるのは嫌だ。
男性に意味なく尽くす、いや、尽くすことが喜び、という路線ではなく、男性に尽くされるほうが断然好きである。

靴下を裏返しにして履いている男性がいると、近寄らないだろう。
逆に、わたしが裏返しに履いていたとして、「あなたの靴下、裏返しですよ」とご親切に言ってくれる人がいたなら、もっと近寄らない。
恥をかかせるような、他人へ指摘はよくない。
デリカシーがない人も嫌い。
(注意してくれる人を逆恨みするのか??
でも、無神経はかえって人を傷つけることがある)

わたしの年齢で、靴下を裏返しに履いていたら、誰がどう見ても、ぼけにしか見えない。
靴下レベルなら、見て見ぬフリをするのが思いやりだと思う。

家を出る間際に、自分の靴下の片方がどこかに行った、と大騒ぎしているわたしには、人の靴下まで気が回らない。
ましてや、人へのフォローなどとんでもない。
行方不明になった片方の靴下を一緒に探してくれるような、そんなフォローをしてほしい側である。

自分のことで精一杯。
優秀なヘルパーさんしか相手にしてくれないことだろう。

補足、追加。
身の回りの世話は焼きたくないが、自分にしかできない内容のフォローで相手を喜ばせることはしたい。
ただし、自ら喜んで自主的にしたいと思う場合。
強制されたら嫌。
ああ、なんて、自己中。
やはり優秀ヘルパーさんしか相手にしてくれない、、、に違いない。



かなわん人

2019-12-03 | 人々の風景
さて、今朝は何を書こうかな。
リアルタイム、電車内、隣のブース座席のおばあさん。
目の前に座っている女性に、ベラベラ話している。
99パーセントをおばあさんが話し、1パーセントを前の女性。
ほぼ聞き役。にこやかや笑顔で、そうですね〜と、頷く。
アカの他人じゃないかと思う。
なぜなら、あんな話、延々と聞くのは、ヘルパーさんぐらいなんじゃないかと。
見ず知らずの人に、自分の人生を語るおばあさん。
たんなる、おしゃべりなのか、寂しい人なのか。
なんだかね〜。

自分の人生を肯定しまくる。
子育てとは、夫婦とは、、、自分が偉い話ばっかり。
通路を挟んで座っていても、うんざり。
聞き役の女性も、降りるまでの辛抱だろう。
話の中身を一句もらさず、聞いているわたしのほうが、かなわん人かも。
次の駅で降りるまでに、ブログ終了できて、やれやれ。
これを「暇つぶし」という。

あら、話題の通路隣のおばあさんも降りるようだ。
大阪は都心だから、いろんな人が集い通過する。

少年と、わたし

2019-12-01 | 人々の風景
昨日、21時から、テレビ番組、NHKスペシャル、「ボクの自学ノート〜7年間の小さな大冒険」を見た。
とても感動した。
隅から隅まで、端から端まで、わたしは大絶賛、大共鳴。
とても共感を覚えた。
今は高校生になった梅田明日佳君が、まるでわたし自身、自分のことのような、そんな錯覚を覚えた。
どっかりと感情移入した。
きっと、沢山の人が同じような感想を抱いたと思う。(彼と似たような性質、傾向の人は)
明日佳君は、小学校3年から始めた自習ノートを先生に読んでもらっていた。
小学校を卒業すると、自習ノートの課題は終了したが、引き続き自習ノートを書き続け、読んでくれる人々を探して、直接、手渡した。
読んだ人達は、絶賛していた。
だが、明日佳君に手紙を渡されたうちの一人の女性が放送内で言っていた。
もし自分の子供なら、、、手放しでは喜べない、と。

作文、絵画、自主研究、、、いろいろ自分の興味あることを自習ノートを通して世の中と繋がっている明日佳君。
あんな逸材なのに、学校では、変わり者扱いだそうだ。
アインシュタインと同じだ。
好きなものにのめり込むのはよいが、時間は無尽蔵ではない。
時間をかけすぎず、効率を考えよう、でないと社会では適応できないよ、と学校から指導を受けている。
やるべきことをほったらかして、好きなことに打ち込んではならない、と。
まあそれも一理ある。
学校は社会の常識も、とりあえず教える。

明日佳君は、公立高校の受験に失敗した。
好きなことに打ち込むあまり、学校の勉強が疎かになったのだろう。
よくあることだ。
個性を大事にすると、全体的にどれもまんべんなく出来る、ではなくなる。
凸凹が出来る。
スペシャリストか、ゼネラリストか。
明日佳君も、理系か文系か、自分の進む道に迷いがあるようだ。

アインシュタインの素晴らしい点は、ものすごく難しいことを、誰にもわかるように伝えられることだそうだ。
明日佳君は、口べたではあるが、文字や行動で、伝える力が強力、押しが強い。
だから、文系、理系と決め込まなくてもよい、と明日佳君を知る人がアドバイスしていた。

目がキラキラして、好奇心の塊の明日佳君。
わたしは、彼の、自分が考えていることを人にわかるように説明する能力、文章力に、脱帽した。
頭の中でこんがらがって、ぐちゃぐちゃになるのではなく、整理されている。
彼はアナログ少年で、タイポグラファーのように、きっちりした美しい、わかりやすい、鉛筆習字のお手本のような文字を書く。
筆圧も、しっかり。
さらさらと、くるくると軽く適当に鉛筆を回して、流しているのではない。
一文字、一文字、力を込めて、こころを込めて書いている。

だが、友達と遊んだり、周りには目を向けず、ひたすら自分が興味のあることだけを掘り下げる。
なので、同級生たちや学校では、コミュニケーション能力がないとみなされる。
このあたり、わたしと似ている。
だが、わたしは、若くなく、将来性もなく、才能もないので、自分が面白いと思うことだけに関心があり、コミュニケーション能力がない部分だけが、明日佳君との共通点だ。
肝心カナメの、キラキラ能力はない。
でも、なんだか、(能力の有無や、ポテンシャルの違いはあるが)自分を見ているようで、とても面白かった。

いったい、なにをこんなにワクワクしているのだろう、、、
長女に一連の番組で紹介された明日佳君のことを話すと、クールな反応が返ってきた。

もし、明日佳君みたいな子が自分の子供なら、やはり困るかも知れない、と。
どの分野でも、ものにならない時は、どんな職業で身を立てるのか、と。
夢、理想、好きなことと現実。
彼女はわたしの子供の割には、とてもシビアだ。
母親であるわたしがこんなのだから、だろうか。反面教師。
しかし、精神的にも経済的にも社会的にも、自立してくれて嬉しい限りだ。

わたしは、良い時代に生まれた。
今、平成や令和にもし生まれていたら、完全に落ちこぼれである。
わたしが生まれた時代は、今と価値観や、社会のシステムが違っていたので、わたしのような人間でも生きていけた。
ああ、よかった。わたし。
(ちっとも反省にはなっていない、、、)